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はじめまして

みなさん、こんにちは。
今日からnoteを始めようと思います、福島大学4年(行政政策学類・陸上競技部)の安部景太です。今後ともよろしくお願いします。
これまでの陸上人生をもとにした自己紹介や、これからについて、また試合結果や練習結果等を綴って投稿していきたいと思います。
なるべく陸上競技で統一していきたいと思っていますが、計画性のなさはピカイチなので、そこのところは多めに見ていただけたら嬉しいです!

noteを始めたキッカケ

さて、僕が今回このnoteを始めようと思ったキッカケを紹介します。

僕は先述した通り、福島大学陸上競技部に所属をしていました。11月19日に行われました、「第35回市町村対抗福島県縦断駅伝競走大会『ふくしま駅伝』」を持って陸上競技部での活動は終了しました。

陸上競技部での活動は、単に陸上競技をするだけでなく、活動の一環に「選手ブログ」の更新があり、そういった活動の中で、自分自身の思ったことや感じたことを綴るのが好きなのだなと感じたため、部での活動が終了した今、こうしてnoteでの投稿をすることに決めました。

こうしたnoteでの投稿に需要はないと思いますが、自己満足でもいいので、継続していければなと思います。良かったら、読んでくださいと軽く思っている程度なので、僕の投稿がみなさんのお目にかかる機会があれば幸いです。

手始めに、この投稿の結びとして簡単に自己紹介を行っていきたいと思います。

自己紹介・思い出①過去編(小学校)

改めまして、名前は安部景太(あべけいた)と申します。出身は福島県の会津若松市、一箕小学校、一箕中学校、大沼高等学校に通っていました。

今回は小学校のことを綴っていきたいと思います。

・陸上人生スタート

小学校3年生の時の担任であった松崎先生という方との出会い、そしてマラソン大会に出場し、1.5km(6分13秒)で優勝したことをキッカケに陸上を始めようと思いました。
4年生から小学校では部活動がスタートするので、4年生からは正式に陸上部に所属をし、本格的に長距離を専門種目に走り出していきました。

小学5年 3kmの部 11分05秒(第5位)


・トラックレース

5年生から、公式の大会に出場することができるようになり、旧会津陸上競技場での1000mが僕の陸上人生初のトラックレースとなりました。当時の競技場は土のトラックで、それまでは当たり前だったかもしれませんが、今となっては自分も土のトラックで試合をしていた時代があったのだと考えると、年齢は若いですが、あんまり若い世代ではないのかな、なんて思ったりもします。笑

初のトラックレースは3分31秒(コンマ以降のタイムは覚えてません)でした。その後もいくつかトラックレースに出場をしました。中でも初めてのタータントラックの試合となった福島大学長距離記録会のことは今でも忘れません。1500mに出場をし、優勝したら北海道で行われる東日本大会に進める試合でしたが、5分24秒?くらいで5位でした。今まで勝っていた同じ小学校の相手に優勝の座を取られ、何とも言えない気持ちでその姿を見ていた記憶が今でも鮮明に思い出されます。

小学6年生になってから順調にタイムも伸びてきましたが、勝てていた相手にも勝てなくなり、「勝てない自分が当たり前」、「それを当たり前のように、いかにも本気を出していませんという態度」がかっこいいと思って競技をしていた記憶があります。とてつもなくダサいですよね、、、笑

ただ小学生だった僕には、そうすることでしか、この勝てなくなってしまったという何とも言えない気持ちを晴らす方法はなかったのだと思います。今となっては分かるのですが、やはり気持ちも考えも未熟だった小学生の頃の自分には分かるはずもなく、、、

・陸上人生初挫折

そういった気持ちの中でも、1000mは3分31秒だった5年生の頃から3分13秒までタイムが伸びました。

1500mでも5分19秒から5分04秒(練習タイム)までタイムが伸び、11月に開催される「福島県小学生クロスカントリーリレー」に向けてチームの調子は上り調子で優勝をも狙える位置まで来ていました。

しかし、、、

クロスカントリーリレーでは、男子3人、女子3人の合計6人を1人1.5kmで襷を繋ぎ、僕はアンカーを任されました。

先頭で襷を受け取るものの、ゴール直前100mを切ったところで後続に追いつかれてしまい、そして残りの50m付近で先頭を明け渡し、着差ありの同タイムで優勝を逃してしまいました。

溢れんばかりの悔し涙と、もう辞めてしまいたいと思ったあの日のことは今でも忘れません。

しかし、数日が経って先生方からありがたいお言葉をいただき、中でも印象に残っているのが、「結果を出すことよりも、続けることが大切」という言葉でした。

その言葉をもらって、この悔しさを絶対にどこかで晴らさなければならないと思い、中学で陸上をするつもりではなかった自分の気持ちに火が灯されました。
今思えば、負けて良かったなんて無責任なことは言えませんが、あの出来事がなければ、今でも陸上をしていたかは分かりません。
陸上を続けるキッカケには間違いなくなったので、そういった気持ちを持って中学でも陸上を続けていこうと思いました。

福島県小学生クロスカントリーリレー
(自分:前列中央)

自己紹介・思い出②過去編(中学校)予告

小学校時代の悔しさを晴らすために中学でも陸上部に入部をしましたが、1番の暗黒期だった中学時代、、、

その模様は次回の投稿でしていきたいと思います、、、笑


長くなりましたが、今後とも安部景太をよろしくお願いします。
何も楽しむものはないと思いますが、次回もお楽しみに!

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