子どもも他人も変えられない(1)
再び凹んだ子ども
不登校だった子どもが、ある程度元気になり、高校受験や大学受験をしたいと言い出すことが、良くあります。
こうなってくると、もう大丈夫だとばかりに、ご家族も思われるかもしれません。
ところが、そうとばかりは言い切れないことがあります。
見かけは元気です。
人ともコミュニケーションがとれるようになっています。
自分の目標も明確になっています。
表情も明るく、笑顔で、元気になったと本人も周りの大人も思っているのです。
ところが、模試を受けたり、入試を受けたりして、何かしらの結果が出てくると、その結果に、ものすごく心が揺れ動くのです。
どんな受験生でも、結果が出れば、それに気持ちがもっていかれることは、当然です。
結果が悪ければ、より一層です。
そんなことは、受験生あるあるで、誰にでもよくあることでしかありません。
ところが、不登校の子ども、その中でも繊細で感受性豊かな子どもは、本人が思っている以上に、心の中にいろいろ抱えていて、それを見ないように、感じないようにしてきたことが、出てくることが多々あるのです。
模試の結果が悪かった、入試で不合格になった、こうなったときに、今まで蓋をして見ないようにしてきたものが、一気に噴き出してくるようなことがあります。
それでも、本人は、まだ、何に自分が心をもっていかれているのか、何がすごく辛いのか、嫌なのかがわかりません。
それくらい、子どもが心に重しをのせて、見えないようにしてきたものがあるのです。
これが出てくることは、本人には辛いことなのですが、そこを考えるだけで、乗り越えていけるようになっていきます。
ところが、周りの大人は、もう元気だと思っていたのに、再び凹んでしまい、しばらく動けなかったりするので、「またか」という思いになります。
ここで、一番の問題は、この「またか」なのです。
元気になったことで、もう大丈夫だと思ったところに、試験の結果が悪かったことで、凹んでいる子どもを見て、周りの大人が、一番はご家族ですが、ショックを受けてしまいます。
そこで、本当に子どものことを考えていたかどうかが、露骨に出てしまいます。
凹んでいる子どもに、ご家族が寄り添えたのであれば、本当に本人と寄り添い、一緒に元気になってきたと言えます。
しかし、「またか」と思い、「そんなことで凹んでいたらダメだ」と本人に言ったり、励まそうとしたりする行動に出るご家族が本当に多いのです。
これは、ここまで、表面的には子どもに寄り添っては来たのですが、学校に行って欲しい、どうして行けないのか、みんながんばって通っている、という思いをやはり心に持っていた証拠だと言っていいかもしれません。
そのことがダメだと言っているのではありません。
多少なりとも、その思いはご家族なら持っていてもおかしくありません。
しかし、それを強く持っている、他の子どもと比べる気持ちが強くある、凹んでいる子ども以上に、模試や入試で取り返して欲しいと強く思っていることが、かなりあると、ご家族も自覚がないことを知っておいて欲しいのです。
そのご家族の強い思いが、凹んでいる子ども達の一番の負担になっているのだと、知って欲しいと強く願うのです。
成績という他人と比べられるもので、自分が凹み、そこから心の中に隠していた思いで傷つき、ご家族が自分と他の子どもを比べる思いをずっと持っていたと感じ取った時に、子ども達は再び、動けない状態になるのは、ご理解いただけるのではないかと思います。
だから、「お母様が笑顔になる」ことが大切だと、これまでも訴えてきたのです。
お母様の心の状態を良くすることが、子ども達が元気でいる一番の材料なのです。
こうして凹んでしまった子どもは、いったい何を心に抱えてきたのかは、子どもによって違います。
それを考えてみたいと思います。