多様な学びの場と学校教育(9)
子ども達は主体的に学ぶのか?
今日も私のnoteにお立ち寄りいただきありがとうございます。
多様な学びの場について、考えてきています。
前回、小学校や中学校、高校で学習指導要領を撤廃し、高校入試もなくしてしまい、それぞれの学校で独自の授業を展開して良いことにして、オルタナティブスクールやフリースクールも学校という扱いにすることを考えてみました。
そうして、多様な学びの場を作ることが出来たとき、子ども達は、主体的に学ぶのか、本当に子ども達が学びたいものだけ学べばいいのか?
ということを、今回は考えてみたいと思います。
まず、多様な学びの場ができたとして、子ども達が主体的に学ぶのか?という問題を考えてみます。
主体的に学ぶのかどうか、ということについてですが、好きなものを学んで良いとなっても、子どもの中に学ぶためのベースとなるものがなければ、学ばないのではないかと思うのです。
ゲームが好きだからと言って、ゲームがどのようにして出来上がっているかということに興味を持つ子どもは、極端に少ないことは、よく知られていrます。
絵を描くことが好きな子どもであれば、どうやったらうまく描けるかということに興味を持つかもしれません。
でも、だからと言って、うまく描けるようになるために、描く対象となるものを、どのように見るかということを考えることは少ないと思います。
もちろん、それを学んでいくことはできますが、それには、いくつかの段階を踏んでいかなければならないということが考えられます。
そのベースとして、学ぶためには、興味をもったことについて、感じること、疑問を持つことが備わっている方が学びやすいことがあります。
絵を描くとして、「どうしてこんなにキレイな絵をかけるのか?」ということを感じることが必要です。
例えば、静物画を見た時に、リンゴが描かれているとすると、「リンゴをどうしたらこのように描けるのだろう?」と疑問を持つことが必要です。
はっきりと具体的に思えなかったとしても、何となく疑問に感じるようなことは必要だと思います。
ここがなければ、学ぶところまでいかないと、私は考えています。
これについては、学校教育の前に、就学前の小さい頃から、家庭で育まれていないと、何となく疑問に感じる、などということは、とても難しいことだと思うのです。
小さい子どもの「なんで?」という問いに、ご家族がどこまで一緒に考えてきたか、子どもが疑問に感じたことを、ご家族がそのまま受け止めてきたかで、大きな差が出てしまいます。
多様な学びの場ができたとしても、主体的に学ぶ土壌が子どもの中に醸成できていなければ、主体的に学ぶことは、なかなか難しいのではないかと、今の子ども達を見ていて感じます。
反対に言えば、今、学校に行けない子ども達は、主体的に学ぶ土壌が子どもの中にできているのに、その主体性とは異なることを学校で求められることに、心が違和感を覚えて、学校に通うことを躊躇しているようにも、私は感じています。
だから、多様な学びの場がたくさんできたところで、主体的に学べるかというと、子ども達の中に、主体的に学ぶための準備ができていなければ、多様な学びの場を生かすことは、全くできないことになります。
次に、子ども達が学びたいことだけを学んでいいのか?というもう一つの問題を考えてみます。
今、欧米の方が、日本に来て、日本の素晴らしさを実感したというような動画がネット上にたくさん上がっています。
先日も、ヨーロッパの方が、東京の地下鉄で整然と並んで電車を待ち、順番に乗っていくということに感動したという動画が上がっていました。
この整然と並んで乗車するには、並んだ方から順番であること、譲りあいの精神があることなどが必要です。
そのためには、そういうことを徹底して教えないといけません。
お読みいただいている方にお聞きしますが、こんなことを学校教育で教えてもらいましたか?
この素晴らしい日本の文化とも言えるべき、どんなところでも整然と並んで、文句も言わずに黙って待つことなど、習うことがありましたか?
学校でそのようなことを教えていることを聞いたことも見たことも、私はありません。
私が勉強不足のために、知らないということであれば、お詫びするしかありませんが、そのようなことを教えている時間は、まず学校にはありません。
では、私達は、どこで身に着けてきたのでしょうか?
ご家庭で教えていることはあるでしょう。
それでは、子どもに教えているご家族はどこで教えられたのでしょうか?
どこで身に着けていったのでしょうか?
すごく不思議だと思いませんか?
鉄道だけでなく、銀行のATMでも、デパートの買い物でも、スーパーのレジでも、コンサート終了後の出口でも、花火大会の帰りの道でも、我が国の人たちの多くは、黙って並んで整然と移動していきます。
どこで、習って、覚えて、身に着けてきたのでしょうか?
そして、多様な学びの場がたくさんあれば、学校なんかなくてもいいという意見について、どうお考えでしょうか?
そのことを、次回は考えてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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