「自分を見つけるブックカフェ」の店主。自己とは何かがわかっていない者による自己紹介
愛知県田原市六連町にある、お一人様用の席しかないブックカフェ
「自分を見つけるブックカフェ」の店主です。
自分が今まで読んできた1000冊以上の本が並んでいて、
うちのコンセプトは、
「忙しない現代社会で、お客様が一人で過ごすゆっくりとした時間を通じて、自分自身と向き合って自分を見つける」
というものです。
が、これはあくまで表向きの説明で、
実のところ店主は「自分を見つける」なんて言っておきながら、
そもそも「自分とは何か?」というところで引っかかり続けています。
「自分とは何か?」
簡単な質問のようで実は難解極まるものです。
多くの人は「自分とはなんですか?」と訊かれれば、
「自分の名前」を答えます。
しかし、これはあくまで名前であって別にその名前でなくても自分は自分です。
今から別の名前を名乗ってもいいし、役所にいって手続きを踏めば名前は正式に変えられます。
名前は自分ではないわけです。
そうなると、人は経歴を答えます。
「◯◯大学を出て、××という会社に勤め、△△が趣味です」
でも◯◯大学でなくても、××会社でなくても、別の趣味を持っていても自分は自分です。学歴が変わるだけ、職歴が変わるだけ、趣味が変わるだけで、自分という核は変わらない。
つまり、人が「これが自分だ」と思っているものは
実は自分の「属性」であって、
その人自身が何か、何が自分か、というのはなかなか容易には考えきれないものなのです。
そうなると自分を指差して
「これが自分! この肉体こそが自分だ!」
と言いたくなります。
その場合、
「この肉体のどこからどこまでが自分なのか」と疑問が浮かびます。
頭の先から指の先までが自分であるような気がします。
が、果たして本当にそうなのでしょうか。
たとえば右腕を切り落としたとします。
その切り落とされた右腕は自分なのだろうか?
さっきまでは、頭の先から指の先までが自分であったような気がしましたが、
右腕が切り落とされた今、その右腕は自分ではないような気がします……。
そうやって次々に自分だと感じる部分が残るまで切り落としていくとします。
左腕も、右脚も左脚も、目も耳も鼻も口もどんどんどんどん切り落としていって
最後に残るのはこの頭脳。
「脳が自分だ! この脳みそこそが自分なんだ!」
と答えにたどり着いた気がしたのもつかの間……、
また同じ疑問が浮かびます。
「この脳みその、どこからどこまでが自分なんだ……?」
一体、何億という脳細胞群のどれが、あるいはどの組織群が自分なのでしょうか。
仮にその「自分」の発端である細胞や細胞群を見つけたとして、
その部分だけを切除して皆さんに見せながら、
「これが自分です」
なんて言ったところで、
「それは◯◯という細胞で、あなたではないよ」と返されてしまうのがオチなのです。
属性でもない、肉体でもない、脳みそにも見当たらない……。
でも確かに「ここにある」と感じるのに、
あるあると言っているここにだけはない……、
そんな摩訶不思議の存在、
それが自分。
自分など決して見つからないと理解していながら
それでもなお見つけようとするこの姿勢に、
深い意味があるような気がしてならないから、
店主は死ぬまで自分を見つけようとし続けていきます。
このnoteでは、こういった文章を投稿していきます。
決して見つからない「自分を見つける」ために。
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