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【22限目】2学期が始まる

2020.8.27

暑い中、夏休みを大幅に短縮した、2学期が始まった

朝の登校時、午後の下校時に子供たちの声が聞こえるようになった。いつもだったら何気ない日常だったはずが、今、子供たちの声を聞いて、その声が平和の象徴のように思えた。

2学期は、行事も多く、楽しい学期です。行事を通して色々な経験をして、一段と成長するときです。コロナ禍の中で、8月下旬からの早い2学期の始まりになりました。しかも、宿泊を伴う楽しい行事(修学旅行・サマーキャンプ・スキー教室)の中止も決まりました。

2学期最大の行事である運動会を、withコロナの下で、今、できる方法で先生方は考え準備しておられます。例えば、密にならないように、2つの学年で1時間だけのミニ、ミニ運動会をして、保護者の人数も制限して、子どもたちとの楽しみを実現させてあげたいと考えておられる学校もあります。


学校が大きく変わった時があった 2年制から1年制へ

ほとんどの学校が2学年単位で、クラスや担任が変わっていました。私が小学校の時もそうでした。長い間続いていましたが。ある時から、1年ごとにクラスも担任も変わる単学年制になりました。

時代の流れが速くなって、一人の先生が2年間担任をするのは長すぎるという事と、子どもたちも色々な先生に教えてもらうのも大切ではないか、という理由だったと思います。

私が子供の時とあまり変っていなかった学校がその時を境に、先生も子どもも、とても忙しくなったような気がします。2年間でゆったりと子どもを見て育てるという教育ではなく1年間で子どもを育てていく時代になりました。

時が流れる中で、1年制の良さも理解できるようになり、今はそれが普通になっています。

変わらないのは、子どもたちが楽しんで、共に喜べる授業がしたい、どうすれば子どもたちが成長するだろうか、良い1年にしたいと、考えて、日々頑張っている先生たちは、2年制でも1年制でも同じだと思う。


学校が変わっていく 教科担任制

中教審で、2022年から高学年の算数・理科・英語を専科性にすると言うニュースを見ました。

調べてみると、
『中央教育審議会は13日、各教科を専門の教員が教える「教科担任制」について、2022年度をめどに小学校5,6年生に本格的に導入すべきだとする方針を取りまとめた。教員の専門性を高めて授業の質を上げるとともに、授業準備の負担を減らして働き方改革にもつなげる。対象とすべき教科として、英語・理科・算数を挙げた。(朝日新聞社)』  

記事を読んで、中学校の専科性にうまくつながるという事も考えられます。

また、
・算数は積み重ねていく教科なので、全クラス同じ先生にみていただくのも効果的だと思います。
・理科は、特に高学年は、単元によって準備も大変です教師の負担も大きいです。
・英語は発音や表現を正しく伝えないと子どもの語学力は身に付きません。

忙しい担任にとっても、その時間に他の教材の準備や、子どものことでゆっくり時間がとれるというメリットがあります。

教師が教材研究をしっかりして、1時間の授業を提供出来れば、子どもたちに、学ぶことの楽しさや喜びをより一層伝えることが出来ると思います。

ただ、教科担任制の導入に向けて、必要な教員を確保できない場合の担任の負担が大きくなるという心配があります。


教材を使って人を育てる

出来ないことをしかる。人格を否定するような叱り方をするのではなく、出来ることを褒める。

人には得意な事、苦手な事があります。漢字を覚えるのが得意な子、いくらノートに書いてもなかなか覚えられない子、英語もすぐに覚えて発音できる子、なかなか単語が覚えられない子、教師は子供たちの得意な事、苦手なことを把握して授業を進めていきますが、それが一番難しいと、いつも思っています。

中教審の提案の中に「新しい時代を通じて実現を見据えて学校教育の姿として、子どもの学びについては『多様な子どもたちを誰一人取り残すことのない、個別最適化された学びが実現』。」と、書かれていましたが、それが授業をする中で、一番難しいことで、永遠の課題だと思っています。

出来る子、わかっている子に視点を合わせて進めていく授業は、進度が速く、単元もすぐに終わってしまいます。わからない子を、なんとか分かるようにしたいと、教材を色々工夫して進めていくと、時間がかかり、進度も進みません。その子にとって適切な教材を準備し、地道に寄り添って積み重ねていくうちに分かってきます。

その時の嬉しそうな顔を見ると、こちらも嬉しくなります。子どもは頑張ったら出来るという経験をします。授業を通して、子どもを育てる。それは、学力を付けるのと同じぐらい大切な事だと思っています。


息子との会話から学んだこと  お母さんは、お母さんや

子どもが小学校の時に、私のそばで宿題をしていましたので「分からないことがあったら聞きや。」と、教える気満々で言うと、「お母さんは、僕の先生と違う。先生は学校にいる。お母さんは、お母さんや。」と、言われて、ドキッと、したことがありました。

家では、お母さんを頑張らなくては、学校では、先生を頑張らなくてはと、その時深く思いました。

また、ある時は、「お母さん。漢字覚えて、書けるのに、なんでノートに何回も書かなあかんのかなあ。」と、言われた時も、返事に困り、「何回も書いたら字が上手になるで。」と、あまり説得力のない返事をしました。

私のクラスの子も、そんなことを思いながら宿題をしている子もいるだろうなあと、・・・・子どもの得意なことを見つけて上手に伸ばしてあげたいなあと思いました。

このコロナ禍の中で、夏休み中に学校が始まり、遅れているカリキュラムを何とかこなさなければと、急ぐ気持ちもあると思いますが、子どもたちが楽しみにしていたはずの行事に代わるものを計画して、学校でしかできない学びの場を経験させてあげられたらと思います。

汗をふきながら登校する子供たちの姿を見て、どうか、体に気を付けて、楽しい一日でありますようにと、願う日々です。


【編集担当より】

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「ワインのあるテーブル」


コロナウィルスの影響で、この半年いろいろな物事が変わりました。アフターコロナやウィズコロナといった文脈でこれからの世界の在り方について、様々な意見がでています。ワクチンがどこまで有効かはわかりませんが、早く今まで通りの日常が戻ればと、個人的には願います。

文中での漢字の宿題の話は、たぶん私かと思います。母親以外に先生にも同じ質問をしていたように思います。当時は、一律で同じ宿題をすることに大変抵抗があったように覚えています。見方を変えて教師の視点に立つと、また違った見え方になるなと思いました。授業を通して、子どもを育てるというのは、クラス単位や学校単位でみると、たしかに永遠の課題だなと思います。

今年は、残暑が厳しいですね。皆様ご自愛ください。

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