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朝の国のものがたり

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韓国史をもとに創作した超短編物語集です。
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記事一覧

菊花

菊花

 朝鮮王朝前期明宗時代(1545~67年)の晩秋のことである。
 主上(国王・明宗)は弘文館に満開の黄菊がこんもりと植わった鉢を送り、詩を読むよう命じた。王宮図書の管理やその他学術関係の事柄を扱う部署である弘文館で働くものであれば即時に詩の一つくらい詠じられると思われたのだろう。
 黄菊を見て真っ先に詠じたのは宋純だった。
「風霜が降りる時にようやく花開く黄菊を
 美しい鉢に盛って玉堂に送って下さ

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沸流東征

沸流東征

「また移るのですか?」
 王の決定に側近たちは、ウンザリしていた。
「仕方なかろう、この地は国造りに適さん」
「まぁ、そうですけれど」
 沸流王とその民たちは、もともと海の向こうの大陸に暮らしていた。そこでは大乱が起こり沸流の一族は勢力争いに負けてしまい、彼は母親と弟とともに新たなる土地を求め故地を去った。彼らの統治下にいた人々もそれに従った。
 ひたすら東に向かって進んだところ海辺に到着した。

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会蘇曲

会蘇曲

新羅のある王様の時代のことです。
その頃、新羅では中秋の日、機織りを競う行事がありました。全国から我こそはという機織り名人の女性たちが王宮に集まって来ました。
機織りは日の出と共に始まり日が沈んだ時点で終了です。
夜明け前の薄暗い中、王宮の庭にはたくさんの織り機が並べられ、その前には織姫たちが待機しています。
太陽が顔を出すと同時に女性たちはいっせいに織り始めました。皆真剣な表情で手を動かしていま

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立春帖

立春帖

「実に見事だ」
親馬鹿に思えるかも知れないが息子の書は本当に秀逸だった。六歳の子供が書いたものとは思えなかった。
「今年はお前の書いた立春帖を門に貼ろう」
父の思わぬ賞賛に元春は
「ありがとうございます」
と元気に応えて平伏するのだった。
翌日、一人の士人が父を訪ねて来た。「北學議」等の著書がある楚亭朴斉家だった。
「こちらの立春帖を書かれたのはどなたでしょうか?」
舍廊房(書斎)に通された楚亭は

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上巳の風景

上巳の風景

 久しぶりに都に来た秋江(추강)はいつになく賑わっていることに少し戸惑った。
 射亭を見ると射客が命中させるたびに、後に控える妓女たちが
「大当たり」
と歓声を上げていた。
ーそうか、今日は上巳の日なのだなぁ
 改めて周囲を見回すと城壁内外には紅い杏の花が咲き誇っている。
 その西側から日が差して東側に花影をつくる。
 馬に乗った老人が通り過ぎると風が女墻より吹き込んでくる。
 秋江はさっそくこの

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七夕

七夕

玉峰は夜空を見上げた。天気が良いためか銀河水(天の川)がはっきりと見える。
「今年は牽牛と織女が会えるわね」
彼らは一年に一度しか会うことが出来ない、運悪く雨が降ってしまったらその年は会えないのだ。世間の人々は二人を気の毒がる。
だけど彼らには無限に時がある。今年が駄目でも来年、再来年があるではないか。そして、銀河水を挟んで互いを思いやることも出来る。
だけど私は‥。
自分が撒いた種とはいえ、愛し

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学術論争

学術論争

 1970年代のとある日のこと。
 白頭山麓の或る学校ではちょっとした騒ぎになっていました。平壌から新任教師がやってくるというのです。季節外れのこの時期に来るのですからワケ有りの人なのでしょう。よくある話です。
 新任の先生の名前は都宥浩といいました。初老の生真面目な研究者というタイプです。都先生の担当科目は歴史でした。教え方は丁寧で言葉の端々からその知識の深さが感じられました。
 日が経つにつれ

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海から来た王妃

海から来た王妃

「王妃は海の向こうから来ると王はおっしゃっていたけれど、まことだろうか?」
 伽耶諸国の長の一人である留天干は従者を連れて命じられるまま望山島に行きました。
 ぼんやりと海を眺めていますと赤い帆を掛け赤い旗を翻した船が見えました。そこで留天たちは炬火を掲げて合図を送りますと船は望山島に近づいて来ました。船が着き中から見慣れない服装をした人々が降りて来ました。干は王にこのことを報せるとともに船の人か

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星雲

 今宵はとりわけ寒いが、その分空は晴れ渡っている。 綿入れ帽子を被り、上着を何枚も着込んで湛軒先生は庭に出て天を仰ぐ。無数の星が闇を照らす。
「あれが北斗星‥、ということは」
 先生は清国の友人が送ってくれた天文書と照らし合わせながら、星々の名称を確認する。地平線に目を移すと淡い光を放つ雲が見えた。
「あれが星雲というものか」
 雲のように集まった星の群れ。“星雲”とは上手く名付けたものだ。彼は一

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異聞 駕洛国記

異聞 駕洛国記

 その地は豊かでしたが、人々の暮らし向きはよくありませんでした。なぜなら、この地の九人の領主たちが自身の領地を広げようと互いに争っていたからでした。
 住民たちは、うんざりし“こうなったのも、この地を治める王がいないためなのだろう”と常に口にしていました。
 こんな暮らしの中でも人々は毎年、三月の上巳になると、北側の川に行き沐浴し、その後皆で会食して厄祓いをするのでした。
 ある年の三月上巳の日の

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