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人生を振り返る①居残り常習~御三家

 普段育児と研究で過去を振り返る暇もないのですが、運がいい(?)ことに宿泊を伴う出張をすることとなりました。出張先はスーパーが8時には閉まってしまう程の田舎で、ホテル周りも何もないため、自分の人生を一度立ち止まって振り返ることとしました。

 神様のカルテという本にも「正しいという字は、一度立ち止まること」と書いてあります。今後の人生を正しく歩ためにも、一度立ち止まって少し自分の人生を振り返ろうと思います。


小学生時代(遊び好き小学生〜御三家受験)

・低学年

 低学年の頃は外遊びが大好きで、居残り勉強させられてるような子供でした。居残り勉強させられていたのは、単純に宿題をやってないからです。なぜ宿題をやらなかったというと、家に帰るとすぐにランドセルを置いて公園に遊びに行ってしまうためです。ランドセルを置いた瞬間なぜか宿題の存在を忘れてしまうような子供でした。

 当時の担任の先生は、昭和の頑固先生の様な方で、非常に厳格で怖い方でした。廊下に立たされたり、バインダーですっぱたかれたりもしましたが、不思議と嫌ではありませんでした。おそらく子供心ながら厳しさの裏に自分を見てくれているという愛情を感じたためでしょう。昨今ハラスメントととやかく言われるような時代ですが、こういった真正面から向き合ってくれる先生は少ないでしょうし、忙しい中、劣等生の私に勉強を根気強く教えてくださったことは今でも感謝しております。 

・中学年

 中学年の頃にようやく勉強を始める様になりました。この頃は算数で掛け算が始まっていましたが、私はなぜか引き算ができないくせに、姉の影響で九九が大好きだったものですから掛け算が得意になり、ちょうど勉強が楽しくなったのです。もし、この記事を読んでる方で子供が勉強をしない、子供が勉強についていけてないことを心配されてる方がいらっしゃいましたら、まず小さなことを積み重ねて楽しく思えるところから始めさせれば良いかと。楽しくないことを続けるのは難しいですし、もし続けさせたとしてもきっとその子は人生のどこかの段階で迷走することになるのではと思います。

 また、この頃から友達の影響で野球に目覚めます。ただ、どうにも球技全般の運動神経が悪いみたいで、なかなかレギュラーにもなれず、お情けで数回試合に出させていただけるような感じでした。親も休日を犠牲にして見に来てくれているので、子供心ながら親にいい格好を見せられなくて申し訳ないと思っていました。もっとも両親はそのように感じていなかったでしょう。子供を持つ今の年齢となった今なら分かります。子供が悩みながらも一生懸命に取り組んでいる、その姿を見れるだけで幸せであると。
 
 そして、ちょどこの頃に、私の語彙力を心配した母親が小説の朗読をしてくれるようになりました。私が特に好きだったのは、「泣けない魚たち」という本です。この本の影響で、魚とり(所謂ガサガサ)にハマり、野球がない休日には父親に頼み込んで川で一緒に魚とりをしてもらいました。どこに魚がいるのかということを常に考えるため、考え続ける癖がついたように感じます。おそらくこの時の経験を通じた考え続ける癖が私を研究職へと導いたのではないかと考えています。


・高学年

 私は国語力が低く、どうやら周りの同級生よりも発達が遅いのではないかと心配した母親が塾に入れてくれました。その塾はこじんまりした塾で、全生徒数が100名程ですが、神奈川や東京の御三家にも毎年数名入学させるような少数精鋭の塾でした。そこで、私は体の大きく熊のような国語の先生とOne on Oneで国語の指導を受けることになりました。教える先生が良かったからか、どうやら私の国語力はかなり伸びたようで、母親も喜んでいました。母の喜んでいる様子を見るのは子供心ながら嬉しさを感じていました。この時、塾側から母親に、息子さんに中学受験をチャレンジさせてはいかが?という提案がされ、徐々に算数や理科といった科目も受けるようになります。

 この頃から母も真剣に中学受験を考える様になり、私を中学の文化祭や体育祭に連れていくようになります。そして、とある男子校で伸び伸びと過ごせるのではないかと勧めるようになりました。中学受験について賛否両論があるとは思いますが、私の気質と校風がマッチしているかを考えてくれた母親には感謝しています。

 そこから途中で野球をやめることとなりましたが、不思議と嫌な感じはしませんでした。むしろようやく辞められるという安心感させ得られました。おそらく子供心ながらに自身が球技に向いていないこと、体育会系の気質が本能的に嫌だったのではないかと思います。それに塾でできた友達との遊びや一緒に勉強するのが好きだったのです。

 高学年になると、塾に通う頻度が多くなりました。6年生の5月くらいの生活はこんな感じでした。
・学校が終わる
・家で塾の用意をする
・公園に自転車でダッシュで向かい、友達と少し遊ぶ
・途中でバイバイし、塾に向かう(5時〜9時くらいまで)
・父親が迎えに来てくれて、帰りのローソンで駄菓子を買ってもらう
・夕食後、勉強して寝る
 文章にして書くとなかなかハードな小学生時代を送ってたみたいです。2月の勝者という漫画がありますが、割とあんな感じです。

 とはいえ、塾では仲の良い友達と切磋琢磨し、家では母親が料理を作ってくれ、父親もコロコロコミックや駄菓子を買ってくれたりしてくれてるので、苦しくはなかったです。孤独な環境で勉強していなかったからなのでしょう。苦労はしたものの、晴れて御三家中学に入学することとなります。

 中学受験についての詳細はかなり長くなるのでまた別で書こうと思います。

 



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