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【試し読み】シリーズ「怪獣化するプラットフォーム権力と法」刊行にあたって
国家に比肩しうる影響力をもちはじめたデジタルプラットフォーム。その積極的側面を最大化し、消極的側面を最小化するために何が必要なのか。
2024年8月から刊行開始となったシリーズ「怪獣化するプラットフォーム権力と法」では、ネットワーク空間における新たな秩序の形成を目指し、デジタルプラットフォームのもつ機能と課題を検証します。
本シリーズは下記の全4巻構成となっております。
第Ⅰ巻『プラットフォームと国家――How to settle the battle of Monsters』
(山本龍彦 編集代表/ポリーヌ・トュルク、河嶋春菜 編)
第Ⅱ巻『プラットフォームと権力――How to tame the Monsters』
(石塚壮太郎 編)
第Ⅲ巻『プラットフォームとデモクラシー――The Future of Another Monster ‘Demos’』
(駒村圭吾 編)
第Ⅳ巻『プラットフォームと社会基盤――How to engage the Monsters』
(磯部哲 編集代表/河嶋春菜、柴田洋二郎、堀口悟郎、水林翔 編)
このnoteでは、山本龍彦教授による「本講座の刊行にあたって」の一部を特別に公開いたします。ぜひご一読ください。
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本講座の刊行にあたって
「近代」なる時代が前提にしてきた「人間の秩序」は、決して所与のものではない。むしろある時代には、「神の秩序」にこそ圧倒的な所与性があった。ルネサンスを一つの画期に、人間は、自らに宿る理性を究極の権威として「神の秩序」に挑み、幾度も血を流しつつも、神ではなく人間を中心とした「人間の秩序」を獲得していったのである。
この近代的秩序の重要な守護者が、リヴァイアサン、すなわち主権国家であった。
この〈怪獣〉の暴力性は、憲法によって管理されながら、主として秩序破壊者に対し向けられ、そうして、種々の課題を抱えながらも、近代というパラダイムは数百年(仮にヴェストファーレン条約を起点とするならば約350年以上)に亘り維持されてきたといってよい。
しかし、人工知能(AI)を中心としたInformation Technology が急速な発展を遂げたいま、リヴァイアサンに対抗するもう一つの〈怪獣〉が現れた。GAFAM(Google 、Amazon 、Facebook〔Meta〕、Apple 、Microsoft)に代表されるメガ・プラットフォームである。もちろん、これまでもリヴァイアサンに影響を与えるグローバルな主体は存在したが、一主権国家の人口を遥かに超える数のユーザーをもち、その包括的な生活基盤(インフラ)として機能する主体は歴史上存在してこなかったように思われる。しかもそこでは、各ユーザーの行動および精神は、膨大なデータに基づき全面的に把握・管理され、情報・コンテンツの個別的で選択的なフィードにより効果的に形成・誘導される。ある国際政治学者の言葉を借りれば、メガ・プラットフォームは、これまでのグローバル企業とは「まったく別次元」の存在なのである(イアン・ブレマー)。
実際、仮想的存在でもある彼らは、物理的障壁をすり抜けて国家の領土奥深くにまで侵入し、国家の権力行使のありようをコントロールし始めているだけでなく、情報戦・認知戦の「戦場」として、国家間の戦争や安全保障のありようをもコントロールし始めている。かくして、かつて絶対的な権力を誇ったリヴァイアサンは、このもう一つの〈怪獣〉によって既にその手足を縛られているようにも思われる。実際、彼らのその比類なき地政学的影響力のために、主要国首脳会議(G7)のような国際会議にもプラットフォーム企業の「首脳」が列席するようになり、リヴァイアサンらによる国際的なルール形成に実質的な影響力を与えるようになってきている(渡辺淳基「AIルール動かすのは『G11』 G7と肩を並べた巨大IT企業たち」朝日新聞デジタル2023年6月11日)。
思えば、教会や諸侯といった他の権力を抑え込むことで誕生した近代の主権国家体制において、〈怪獣〉として存在してよいのはリヴァイアサンだけであった。しかしいま、急成長する情報技術、とりわけAIの力を背景に、それとは異なる〈怪獣〉が再び姿を現し、リヴァイアサン一強を前提とした近代的法システムを強く揺さぶり始めている。それは、リヴァイアサンの力(主権=法)によって維持されてきた「人間の秩序」の危機ともいえるだろう。リヴァイアサンの力を制御する憲法の存在と実践により我々が辛うじて支えてきた自由で民主的な秩序の命運は、いまやリヴァイアサンとは異なるこのもう一つの〈怪獣〉の手に握られている。が、それにもかかわらず、この〈怪獣〉を統制する理論と技術を、我々は未だ十分に知らないからである。
「怪獣化するプラットフォーム権力と法」と題する本講座は、グローバルなメガ・プラットフォームを、海獣リヴァイアサンと二頭一対の陸獣として旧約聖書(ヨブ記40‐41章)に描かれる「ビヒモス」に喩えて、リヴァイアサンとビヒモスの力の対抗と、その制御のあり方を法学的に検討し、自由と民主主義の行く末を展望しようとするものである。その検討には、この二対の〈怪獣〉がもつ力の本質や正統性、それぞれが発する「法」(法/アルゴリズムまたはコード)の本質や正統性、「人間の秩序」と「アルゴリズムの秩序」の本質や正統性などに関する根源的な問いも含まれるはずである。
――ビヒモス。周知のとおり、晩年のトマス・ホッブズもまた、リヴァイアサンに挑戦し、その手から主権を奪おうとする権力的存在を、この異形の〈怪獣〉に擬えた(ホッブズ〔山田園子訳〕『ビヒモス』〔岩波書店、2022年)。もっとも、ホッブズがそこで念頭に置いていたのは、イングランド内戦時(1640年〜50年代)に世俗の王権(チャールズ1世)に反逆した長老派聖職者や教皇主義者、そして彼らに協力した議会派であり、現在のメガ・プラットフォームとは大きく異なる。しかし、内戦時、長老派聖職者らが、説教により人民(demos)の良心を操作して反逆へと駆り立て、政治的分断や混乱を惹起することでリヴァイアサンを動揺させた点において、メガ・プラットフォームと共通する要素を見出すこともできる。現代の〈ビヒモス〉もまた、偽・誤情報や誹謗中傷を広く流通・拡散させるアルゴリズムによって人民の良心を操作し、分断や混乱を惹起することでリヴァイアサンをすくみあがらせているからである。ビヒモスという歴史ある比喩を借りることを、ホッブズもきっと許してくれるだろう。
もっとも、ホッブズがリヴァイアサンに制圧されるべき内乱勢力としてビヒモスを徹底して暗く描いたのに対して、本講座は全体として、ビヒモスの位置付けについてより自由な立場をとる。確かに欧州連合(EU)は、情報技術が加速するなかにあっても、主権はなお人民の同意により設置される「国家」が保持すべきとの考えに立ち、「デジタル主権」なる標語の下、一般データ保護規則(GDPR)やデジタルサービス法(DSA)といった立法を通じてビヒモスの力を抑制しようと試みている。しかし、それは「国家」に一応の信頼が置かれているからで、軍事政権下にあるアジアの国などでは、むしろビヒモス(GAFAM)こそが自由と民主主義の旗手のように見えるかもしれない。また、各領土においてリヴァイアサンが絶対的権力をもち、領土を超越した――リヴァイアサン間の争いを調停する――メタ的な権力主体を想定し得ない近代主権国家体制は、国際的平面においては「自然状態」を帰結するため、グローバルな課題に対処するには不都合であり、かつまた、戦争なるものを究極的に防ぐことができない。このように近代主権国家体制の限界を強調するならば、国家を股にかけるグローバルな権力主体としてのメガ・プラットフォームに一定の期待を寄せるという考えも成り立ち得よう。かくして本講座は、ビヒモスに対しリヴァイアサンが完全勝利するというホッブズ的帰結を、各執筆者に、また読者諸氏に強制するものではない。
かように、本講座は「リヴァイアサンvs.ビヒモス」に関するあらゆる考察を受容するが、次のような認識については多くの執筆者が共有しているものと考える。それは、ビヒモスとその支配形式であるAI・アルゴリズムが、「人間の秩序」を一部代替しつつあり、我々はいまやリヴァイアサンの力、リヴァイアサンの法だけを見ていればよいというわけにはいかなくなった、ということである。我々は、ビヒモスの力、ビヒモスの「法」(アルゴリズムまたはコード)にも目配せしながら、二つの権力主体の対抗関係に学問的関心を向けなければならない。これは、近代の伝統的な法学からは大胆な提案であろうが、その意義が歴史的に証明される日は、近い将来必ず来るように思われる。
各巻では、リヴァイアサンとビヒモスとの相克・協働、そこでの問題点やあるべき姿が描かれる。第Ⅰ巻『プラットフォームと国家――How to settle the battle of Monsters』(山本龍彦 編集代表/ポリーヌ・トュルク、河嶋春菜 編)では、欧州連合の「デジタル主権」など、ビヒモスの権力化に対する各国・地域の対応が比較され、リヴァイアサンとビヒモスとのあるべき関係性が検討される。第Ⅱ巻『プラットフォームと権力――How to tame the Monsters』(石塚壮太郎 編)では、プラットフォーム権力の統制理論と、その具体的な手法が、憲法や競争法などの視点から検討される。第Ⅲ巻『プラットフォームとデモクラシー――The Future of Another Monster ‘Demos’』(駒村圭吾 編)では、プラットフォームの台頭による「人民(demos)」の変容が理論的に検討され、デモクラシーの未来が展望される。第Ⅳ巻『プラットフォームと社会基盤――How to engage the Monsters』(磯部哲 編集代表/河嶋春菜、柴田洋二郎、堀口悟郎、水林翔 編)では、プラットフォームが社会基盤としての地位を獲得することで、これまで国家が中心的に担うものとされてきた労働、教育、医療政策のあり方がいかに変容するかが検討される。
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