【試し読み】『美とミソジニー』美しくなろうとするのは本当に自分の選択なのか?
日常生活のなかで女性向けの美容広告はたくさん目につきます。たとえば、「脱毛」「化粧品」「美容整形」などなど。一般的に、「脱毛」や「化粧」は女性の「身だしなみ」として勧められるものです。とりわけSNSの発達によって外見を重視する傾向がさらに強まったように感じます。
しかしふと考えてみると、なぜ、主に女性だけが化粧をして、脱毛して、美しくなろうとするのでしょうか? そのような素朴だけど深い疑問に切り込んだのがシーラ・ジェフリーズの『美とミソジニー』(原書初版2005年)です。刊行以来版を重ね、現在第2版がRoutledgeから出版されています。
この本では、化粧や美容整形だけではなく、ハイヒール靴やファッションも俎上に載せているのですが、このような女性の美容行為を、男性支配と女性の従属を促進させる「有害な文化習慣」だと考え、それがなぜなのか理論的に説明しています。韓国で盛り上がった「脱コルセット運動」の源流ともいわれています。韓国語版(2018年)の序文はこちらから読めます。
このnoteでは、女性と男性の服装の非対称性についての一文から始まる「日本語版序文」の一部を公開します。ぜひご一読ください。
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日本語版序文
私はテレビでウィンブルドンのテニスの試合を見ながら、『美とミソジニー』の日本語版序文を書いていた。女性プレイヤーは短いスカートを履いていて、ほとんど常に下着が見えており、しばしば両脚の間も見えている。ウェアの上は、胸や胴体の輪郭が見えるようにタイトになっていて、肩が覆われていないので、腕は剝き出しになっている。一方、男性プレイヤーは、膝までのゆったりとしたショートパンツに、肩がすべて隠れるゆったりとしたポロシャツやTシャツを着ている。この対照的な光景は、本書のテーマである、女性に押しつけられた美や外見の規範といったものが、女性の従属的な地位を示し、男性の快楽のために女性を提示する有害な文化的慣行であることをよく表わしている。
私が本書の初版を書いたのは2000年代前半のことだが、20世紀後半の一時期にフェミニズムの影響で女性が厳しい美の基準から脱却しはじめた後、ヒールの高い靴などの有害な慣行が再び文化的に女性に課せられていることに心を痛めていた。私は、イギリスのマンチェスターの大学に進学した1960年代後半、当時の女性に求められていた通りの外見をしていた。金褐色に染めたロングヘアを肩から垂らし、化粧をして、体の大部分を脱毛し、高いヒールの靴を履いていた。1970年代になると、こうしたルールは緩和された。女性解放運動が起こり、何千人もの若い女性たちが化粧やハイヒールをやめて、ジーンズやTシャツ、トレーナー、そしてショートヘア(しばしば非常にショートな髪)というスタイルを採るようになったからだ。これは一個の革命だったが、長続きしなかった。
現在、女性のセクシュアライゼーションは非常に進んでいるので、欧米でもかつてこのような一定の体制変革がなされたことを思い出すのは難しいかもしれない。1990年代までは、女性はゆったりとした着心地の良い長袖のシャツとズボンを身につけ、髪をショートにし、フラットシューズを履くことができた。スーツやジャケットを着て体のラインを覆ったり隠したりする男性たちに許されている尊厳を、女性も持つことができたのである。
しかし、この快適さと自由は常に脅かされていた。より保守的な時代になって、フェミニズム運動が強いバックラッシュをこうむるようになると、男性ファッションデザイナーやポルノ業界は、女性の外見に関する侮辱的な規範を復活させ、それを推進した。この外見規範は、男性支配の権力ヒエラルキーの中で私たち女性が劣等な地位にあることを表示するものだ。本書の初版が出版された2005年にすでにこの規範が強固なものになっていたが、それ以降、年々ますます有害な行為が生み出されるようになっている。
1970年代の女性解放運動以降、欧米では公的世界における女性の目覚ましい進歩が見られるようになった。議会に選出される女性議員の数は大幅に増大し、40年前にはほとんど女性が存在しなかったような多くの機関や職業に女性たちが進出している。しかし、その一方で、私的世界での女性の抑圧はより強固なものとなっている。急成長したポルノ産業は、男性の支配と女性の従属というセクシュアリティを、女性の寝室で構築するようになった。女性はその性的関係において、ポルノの中で推進されている暴力的行為(たとえば首絞めなど)を受けるようになった。
また、女性は自分自身の身体との関係においても、その運動性、快適性、尊厳などの観点から有害な文化的慣行(ピンヒールを履いたり、体を露出するような服を身につけたりなど)にさらされている。このような装いは、転びやすかったり痛みを伴ったりするだけではない。権威ある振る舞いをしようとしたり、ちゃんと話に耳を傾けてもらいたいと思っている女性たちの威厳を深いレベルで掘りくずしている。女性は、公的世界では平等を求めて闘う一方で、「私的」生活においては従属的な地位に囚われたままなのである。
本書の新たな版が出版されるたびに、私は希望のメッセージを伝えようとしてきた。つまり、公的世界で活躍したいと願う女性たちの状況は悪意をもってコントロールされているが、変化は必ず訪れ、事態は良くなっていくだろうと。しかし、本書の初版が2005年に出版され、2014年に改訂版が出されて以降、女性に対する有害な外見的慣行の拘束は、ますますダメージの大きなものになっている。とりわけ増大したのは、男性の興奮を誘うためにボディラインをくっきりと見せる極端にタイトな服、アジアの被抑圧女性から持ち込まれたエクステンションでつくられた極端に長い髪、そして異常に高いヒールの三つである。
これらは政界やメディアで活躍するエリート女性のあいだでは、どこにでも見られる光景となっている。この慣行の厳しさは、テレビニュースでの女性のアナウンサーやレポーターの外見に端的に表わされており、さらにジョー・バイデン大統領、エマニュエル・マクロン仏大統領、ボリス・ジョンソン英首相の妻たちも、国家行事や国際会議の場でトロフィーのように紹介されている。2021年6月にコーンウォールで開催されたG7会議での催しでは、ジル・バイデン、ブリジット・マクロン、キャリー・ジョンソンの三人(みな結婚で旧姓を失っている)は、高いヒールの靴を履いているせいでバランスを崩しながら歩いていた。彼女らはみな、長い、あるいは非常に長いブロンドの髪をして、脱毛した脛が見えるスカートを履いていた。
このような格好は非常に居心地が悪いにちがいなく、身なりを整えるのに膨大な労力が必要だったはずだ。肉体労働をする女性がこのような髪型をすることはできないので、それはステータスを示すものだが、男性の髪フェチを満足させるものでもある。この会議の種々の写真は、社会的に構築された性的差異、つまり権力格差の両極性を示すのに役立つ。これらのエリート女性は、新しい世代の少女や女性に対して、女性の従属性を示す「美」の実践をモデル化しているのである。
今日では、1970年代と1980年代に非常に強力で影響力のあった、美容行為に対するフェミニストの批判は、西洋では徹底的に葬り去られてしまった。性差の極端な表現についてさえ論評の対象とされず、多くのフェミニストにとっても当然のことのように思われている。現在、フェミニズム運動が再び盛り上がりつつあるが、美に対する批判はまだその射程に入っていない。1970年代の女性解放運動では、美に対する批判が土台そのものにあったにもかかわらずである。
しかし、韓国では非常に心強い発展が見られる。韓国で急激に盛り上がっている「脱コルセット」運動は、屈辱的な美容行為を拒絶することをその中心に据えている。2019年10月、私は著書『有害なジェンダー(Gender Hurts)』の韓国語版のプロモーションのために韓国で講演ツアーを行なったが、会場を埋め尽くすショートヘアの頭、頭、頭を見て驚き、深い喜びを感じた。
韓国のフェミニストたちは、美容行為に縛られたり、男性の興奮のために提供される商品となることを拒否しており、彼女らの活動は実に刺激的なものであった。ソウルの江南地区は、美容整形ツーリズムの拠点となっており、多くの美容整形クリニックや病院が施術を行なっている。私がソウルに滞在していたとき、ティーンのときにふくらはぎの筋肉にボトックスを注入した若い女性にこの地区を案内してもらった。彼女は、もう二度と長い距離を歩くことができないと語った。韓国ではボトックスは、女性の筋肉を目立たなくするために使用される。筋肉は男性にとって魅力的ではないからだ。美容行為がこれほどまでに女性に対して有害な影響を与えている国で、それを拒否する強力なフェミニズム運動が起きているのは、実にもっともなことである。
(続きは本書にて)
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