雑誌『教育と医学』(2022年7・8月号)「特集にあたって」「編集後記」公開
雑誌『教育と医学』の最新号、2022年5・6号が、4月27日に発売されました。今号の特集は、「子どもの権利と人権教育」です。
「子どもの権利条約」の批准から四半世紀以上が経過しましたが、今日、子どもの権利をめぐる環境はどのくらい向上してきているでしょうか。「いじめ」や虐待をはじめ、子どもに関するさまざまな問題は、「人権の侵害」としてどのくらい議論されているでしょうか。改めて「子どもの権利」の意味を考え、それを保障する仕組み、また子どもへの人権教育のあり方について考えます。
「特集にあたって」と、「編集後記」を公開します。ぜひご一読ください。
また、今号から3本の連載が新たにスタートしました。いずれも現代の子どもをめぐるさまざまな問題を考えるうえでヒントとなる、刺激的な論考です。どうぞご期待ください。
●特集にあたって
子どもの人権侵害はなぜ見過ごされやすいのか
鈴木 篤
一九八九年の国連総会で署名された「子どもの権利条約」は、日本でも一九九四年に批准されています。それから約三〇年近くが経とうとしており、この条約の批准当時の子どもたちの中には、今や自らが親となり、子育てにあたっている人たちもいることでしょう。
ただ、私たちの周りに目を向けてみると、本号にも寄稿していただいている木村草太氏たちの著書『子どもの人権を守るために』で示されるように、また、本誌で前号まで連載を続けていただいた内田良氏の記事「教育のリアル」でも描かれていたように、家庭や学校、そして社会のあちこちで子どもたちの人権が脅かされるという事態がまだまだ見られます。
歴史学者の浜林正夫氏は著書『人権の思想史』の中で、子どもの学習権は子どもに教育を与えようという大人の側からの発想として生まれてきたものにすぎず、子どもの側の権利として教育を捉える視点は長らく確立されてこなかったことを指摘しています。なぜでしょうか。
おそらく、それは子どもたちを大人にするために必要な教育という営みが、子どもの意志をなかば無視するところからスタートせざるを得ないためだと思われます。人権思想家として有名なジョン・ロックも、いまだ理性を持たない子どもたちには自由は存在せず、(養育の義務を果たす限り)親には子どもに対する支配と制裁の権利が存在すると述べています(『統治論』)。子どもたちは、自由になるためにこそ理性をしっかりと身につける必要があり、そのためには親(やその代理人としての教師)の指示に従うことが必要だと、私たちの暮らす近代社会全体がなかば当然のように思いこんでいるのです。
また、教育思想家のジャン・ジャック・ルソーは有名な著書『エミール』において、子どもたちへの過剰な教育を批判しますが、同時に彼は子どもたちが欲しがる物や心地よい環境を与えることを戒め、子どもたちが親や教師に「依存せざるをえなくなる」ような環境を作るよう勧めます。しかしよくよく考えてみると、「子どものため」だとして子どもが手にできる物や環境を大人が決定し、大人の考えに従わせようとするこうした方法も、一歩間違えれば虐待へとつながりかねない危険性をはらんでいます。
私たちは普段、「子どものため」と願いながら、子どもたちを大人の決めたルールに従わせたり、子どもの行動や自由を制限したりしています。ほとんどの場合、そうした措置は「子どものため」「教育のため」にこそ行われています。しかし、それらが実際には子どもの権利を侵害している場合もあるでしょう。
また、多くの子どもたちを相手に行われる学校教育では、徐々に様々な課題が人権教育の中で意識されるようになってはきているものの、多くの場合、マジョリティの子どもたちの考えが重視され、マイノリティの子どもたちにも多数派への同調が求められがちです。
さらに、新型コロナウイルス感染症の蔓延を受けて、子どもの人権に対する侵害はその程度を悪化させています。保護者の生活状態の悪化は、そのもとで暮らす子どもの生活状態の悪化にも直結しているのです。
なお、このように考えてくると、保護者や教師だけですべてを決定することには問題がありそうです。子どもの人権侵害をときに生み出し、ときに隠蔽もする「子どものため」「教育のため」という意識が持つ課題を乗り越えるためには、子どもの権利条約でも重視されている「子どもの意見表明・参加の権利」が重要となるのかもしれません。
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●編集後記
子どもの人権とは、人類にとって非常に大きなミッションと言えるものです。フランスの歴史学者アリエスが『子供の誕生』(原著1960年)という有名な著作のなかで示したとおり、中世には子どもを「子どもとして」可愛がるという心性がありませんでした。子どもという人生の一時期を特別な時として大事にするという感性がないというのは、現代に生きる私たちの感覚からすると不思議でさえあります。中世を生きる人々は、私たちにとっての「子ども」を、小さな幼児期を過ぎれば大人たちと変わらない存在として捉えていたということなのでしょう。子どもという存在を認識することが無かった時代、そんな時代が私たちが生きる現代に先立ってあったということを明らかにしたアリエスの研究は、歴史学においても教育学においても、そして日常的な感覚からいっても、大変衝撃的なものでした。
そして、中世を経て、近代という時代において人々は少しずつ「子ども」という存在に気づいていくことになりますが、そのことにおいて大きな影響を及ぼした人物こそ、巻頭言で鈴木篤が取り上げているルソーです。ルソーは『エミール』(原著1762年)のなかで、子どもの自然・本性を重視した教育の重要性を精緻な言葉で示していきました。「子どもの発見」を歴史上において成し遂げ「エミールの時代」を経て、私たちは子供期というかけがえのない人生の一時期があることを当たり前のものとして受け入れるようになったわけです。子どもの人権という考え方は、「子どもの発見」から地続きであるのです。
このように、子どもの人権という考え方の裏側には数百年にも及ぶ歴史があるということを、現代に生きる私たちは幾度も振り返ってみる必要があるのかもしれません。いまの子どものあり方は決して普遍的なものではなく、長い年月を経ていまの状況があり、それもまた過渡的なものにすぎないということを、本特集の諸論考をお読み頂きながら感じてもらえたらと思います。 (藤田雄飛)
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