【試し読み】なぜ、日本のIPOはリターンが異常に高いのか? 『日本型IPOの不思議』
2021年6月、政府は「成長戦略実行計画」を閣議決定し、そのなかで「企業のダイナミズムの復活」に向けたスタートアップ企業の創出と規模拡大のための環境整備を謳いました。そして、その第1の課題に挙げられたのが、IPO(新規株式公開)における公開価格の決定プロセスを見直すことでした。
なぜ日本の(特に小規模)IPOでは、公開価格と初値(市場で初めて成立した価格)との差が、諸外国よりはるかに大きいのでしょうか? これでは、公開株式を事前に割り当てられた一部の投資家が儲けるだけで、発行企業は成長に必要な資金を十分に調達できず、またこれまでリスクマネーを提供して企業を支えてきた既存投資家もリスクに見合った利益を得られません。
このような市場では、中長期にわたり安定的にリスクマネーを供給する投資家は育たないでしょう。そして、その資金を基にイノベーションが生まれ、企業が成長し、新たな産業と雇用が創出されるという経済成長のダイナミズムも期待できないでしょう。
『日本型IPOの不思議』(3月中旬刊行予定)は、このIPO制度に着目して「なぜ日本のIPOはリターンが異常に高いのか」と問いかけ、公開価格の決定プロセスに生じる「歪み」の正体を明らかにします。そして、「新興企業も投資家も健全に育つ市場」の形成に向けて、具体的・現実的な提言を行っています。
本書は、現在進行している証券市場改革論争に一石を投じ、日本経済の成長に向け一つの道筋を示す書となるでしょう。
今回は、本書の問題意識が端的に紹介されている「はじめに」部分を公開しますので、ぜひご覧ください。
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はじめに-何かおかしい日本のIPO
企業が証券取引所に上場する際、通常は株式を発行する。それをIPOと呼び、そのときの価格を公開価格と呼ぶ。市場で初めて成立する価格が初値(はつね)である。詳しい説明は後回しにして、まずは本書の主題と直結した最近の新聞記事を紹介しよう。
2020年に実施された93件のIPOの初値が公開価格の平均2.3倍に達したことについての記事である。そのなかで、上場後も株価が公開価格の4倍近くの水準にあるIT系企業の幹部の発言をこのように紹介している。
長らく日本のIPOを研究してきた筆者にとって、この記事はある意味で衝撃的であった。平均2.3 倍という数字のことではない。日本のIPOに関する記事で企業側の不満を大きく取り上げたのは、筆者の知るかぎり、これが初めてだったからである(注1)。この種の記事でよく目にするのは、初値の高騰を受けて「市場から高い評価を受けた」と歓迎する、筆者にいわせれば不可解な、企業経営者の発言である。
もっとも、この記事は逆の立場の意見も平等に紹介している。「初値が高騰しても、株価は時間の経過とともに公開価格付近に落ち着くことが多い」(大手監査法人)とされ、証券会社は「適切な値決めをしている」(国内証券)との姿勢を崩していない。こちらはよく耳にする主張である。かたや「公開価格が低すぎる」で、かたや「公開価格は適切である」。公開価格と初値の現実的関係を踏まえると、後者の主張は「初値が高すぎる」と言い換えてもよい。はたしてどちらの主張が正しいのか。
これは本書の検討課題の1つであるが、結果を先取りしていうと、全体的には両面とも観察される。しかし、代表的な新興市場である東証マザーズでは、公開価格が低すぎる面が強く表れている。逆に、東証1部になると、どちらもほとんど観察されない。
もしそうだとしたら、日本のIPOは「新興企業が損をして証券会社から割当を受けた投家が得をする」という構図が、ほぼ成り立っていることになる。
いま、一般に値動きが落ち着いてくる上場1カ月後の市場価格で同数の株式を発行することを想定し、その場合の推定獲得額から実際の獲得額(企業の調達額+既存株主の回収額)を差し引いた値を求めてみると、東証マザーズの場合、その値は平均で約19 億円に達する(2001年以降の20 年間)。これは実際の獲得額の約1.2倍である。低すぎる公開価格によりいかに大きな損失を被っているかがわかる。
成長のための資金をIPOで調達したいと考える新興企業にとって、これが成長阻害要因になっていることは明らかである。日本経済が再活性化するためには、新興企業が成長し、その成功事例がより多くの起業家の参入を促し、新たな産業の創出につながるという循環が必要であるが、肝心のファイナンスがこれを妨げている。
同様の損失は、ベンチャーキャピタルのように、成長の初期段階からリスク覚悟で出資してきた既存株主にもあてはまる。これでは、リスクに見合った回収ができているとは思えない。彼らの出資意欲に悪影響を及ぼしていることは、やはり容易に想像できる。
視点を少し変えてみよう。IPOの初値はなぜこれほどまでに高騰するのか。よくいわれる「答え」を2つほどあげてみよう。
1つは、成長期待の高い銘柄に対して買いが殺到するためというものである。事実、初値が高騰する銘柄には、IT系のように成長期待の高いものが多く含まれている。しかし、もしそうであれば、なぜその成長期待は公開価格にも反映されないのか。経済学をもちだすまでもなく、投資家に人気のある銘柄なら発行価格も高くなって然るべきである。初値だけ極端に高くなるということは、本来ならあり得ない。
もう1つの答えは、需給要因に理由を求めるものである。日本のIPOは発行規模が小さく供給が少ないので、買いが少し集まるだけで初値がすぐに上昇するというわけである。では、なぜその需給要因は公開価格にも反映されないのか。やはり経済学をもちだすまでもなく、供給の少ない銘柄なら、発行価格も高くなって然るべきである。初値だけ極端に高くなるということは、やはりあり得ない。
こうした「答え」からわかるように、日本では、公開価格を需給の論理でとらえる発想がほとんどない。そのため、公開価格が不自然に低くてもそれには目が届かず、高騰の理由をすべて初値に求めようとする。
もちろん、公開前の株式にはそれを取引するオープンな市場は存在しない。したがって、公開価格の決定に需給が反映されにくいのは確かである。その意味で、公開価格の決定は人為的とならざるを得ない。しかし、市場がまだ成立していなくても、公開が予定されている企業の情報は目論見書(後述)通して開示されており、発行間近の株式に対する需要は投 家の間で間違いなく存在する。財・サービスの世界で、まもなく販売される製品に対する需要がすでにあるのと同じである。
だからこそ、欧米では、機関投資家と呼ばれる大口投資家の需要を(たとえ部分的でも)公開価格に反映させる仕組みが確立されている。そして、その方式は90年代後半から日本にも導入され、定着している。にもかかわらず、本論で明らかにするように、公開価格に投資家の需要が反映されているとはとても思えない現象が観察される。
公開価格が過度に低く決定されていることを認めれば、初値が高騰する理由はいたって簡単である。高いリターンがほぼ確実に約束されているという意味でローリスク&ハイリターンのIPO株を、投資家は誰もが欲しがる。しかし、供給にはかぎりがあるので、証券会社からの割当だけでは満たされない需要(超過需要)が大量に発生する。その超過需要が上場日に一気に表面化し、株価が本来の水準に戻るだけのことである。
欧米では、 IPOのリターンが高い現象のことを、研究者のみならず実務家も過小値付け(アンダープライシング)と呼ぶ。同じ現象を指しているにもかかわらず、初値に原因を求める日本とは発想がまったく逆である。
図表0・1は、主要先進国について、2001年以降の20年間に実施されたIPOの平均リターンを比較したものである。これをみるとわかるように、日本のIPOの平均リターンは群を抜いて高く、欧米3ヵ国のそれを60%ポイント以上上回っている。
同図のデータ提供者であるJ・リッター教授(フロリダ大学)の公表サイトによると、世界54ヵ国の中でIPOの平均リターンが日本より高いのは、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、中国、ヨルダン、インド、韓国、マレーシア、ギリシャの8ヵ国だけである。
IPOのリターンが高いこと自体、じつは問題でない。重要なのは、それがリスクの高さに見合っているかどうかである(注2)。先進国の中で、日本だけIPO株のリスクが突出して高いと考える理由はあるだろうか。
ベンチャーキャピタルが十分発達していないこともあり、日本では、リスクの高い初期の段階から上場を選択せざるを得ない企業が多いのは確かである。また、投資判断に必要な情報の開示が不十分で、投資家の感じるリスクが大きいという面もあるのかもしれない。しかし、そうした理由だけで60%ポイント超のリターン格差を説明できるだろうか。常識的に考えて無理である。
もし何らかの理由で、リスクに見合う以上のリターン(以下、余分なプレミアムと呼ぶ)が割当先の投資家に提供される状況が続いたら、国民経済的にみてどのような弊害が生じるか。いろいろ考えられるが、直接的には投資家をスポイルすることになる。
たとえていうなら、一部の従業員が労働力に見合う以上の報酬を得ている企業のようなものである。他の従業員は、マジメに働くのをやめて一部従業員のようになろうとするか、バカバカしくなり企業を辞めてしまう。同様のことはIPOにもあてはまる。
すなわち、そうした状況下では、「リスクに見合うリターンが見込まれるなら株式を長期で保有してもよい」と考える投資家は、IPO取引に参加してこない。何とかして証券会社からIPO株の割当を受け、初日に売り抜けることで余分なプレミアムを得ようと考える投資家ばかりが参加してくる。否、誰もがそういう投資家になりたがる。と同時に、IPO株を長期で保有することの魅力を感じなくなる。言葉は悪いが、IPO市場は短期利得追求者の草刈場と化す。
これが「貯蓄から投資へ」をスローガンとして掲げる国のあるべき姿だろうか。国民に、健全な資産形成の一環として(預貯金などの安全資産ばかりでなく)株式や投資信託を長期的に保有してもらい、それを通してリスクマネーの安定的な最終供給者になってもらうことなど、望めそうにない。もちろん、IPOだけが問題なのではないが、株式のデビュー時からしてこうであるから、推して知るべしといえよう。
断っておくが、筆者は短期利得追求者を非難しているわけではない。彼らはきわめて合理的な行動をとっており、意識せずとも市場の効率化に貢献している。問題は、これから本書で明らかにするように、初日売り抜け行動を有利なものにしてきた価格形成の「歪み」にある。本来なら市場の力で消えるはずの余分なプレミアムが、毎回のように発生しているというのは、価格形成に人為的な力が働いているからにほかならない。
この歪みを放置したら、日本は「IPO後進国」と揶揄されても仕方ない状況が今後も続くことになる。何より、このままでは新興企業も投資家も健全には育たない。
本書では、なぜ日本のIPOは異常なほどリターンが高いのかという謎を解く形で、歪みの実態を示し、その原因を明らかにし、是正に向けた提言を行う。なかでも最大の目的は、 IPOの価格形成がいかに歪んだものになっているかを読者に理解してもらい、問題意識を共有してもらうことである。それができれば、後半で展開する筆者の解釈や提言は、今後の論議に向けての試論にすぎないので、本書の目的は達成されたのも同然である。
最後に、次の点を強調しておきたい。IPOにかぎったことではないが、この種の議論は制度(事務手続きを規定している規則を含む)の影響を強く受ける。本書の主題である IPOの値付けに関する制度は、公表資料や関係者への質問を通して、筆者なりに学んだつもりである。しかし、見落としや理解不足による間違いがあるかもしれない。
もし、そうした間違いがなければ筆者の主張は根本的に変わっていたはずというのであれば、読者の指摘に素直に耳を傾けたい。その際、第2部で紹介する奇妙な現象をどう説明したらよいのか、できれば代わりの解釈を聞かせて欲しい。それが説得力ある解釈であれば、自説を改めることに筆者はやぶさかでない。
【注】
(1)同様の不満は、未上場企業に出資するベンチャーキャピタルからも出ている(2021年1月11 日付『日本経済新聞』朝刊第7面「上場は後回し、成長優先」)。
(2)ここでいうリスクはあくまで便宜上の表現であり、投資家が嫌うもの――それを受け入れる代わりに対価としての報酬(プレミアム)を要求するもの――を総称した言葉である。
【データの出所と入手可能性】
本書で使用した日本のIPOデータは、筆者が30年以上にわたり種々の媒体から収集し、構築してきたデータベースからのものである(利用媒体名については、金子隆(2019)『IPOの経済分析――過小値付けの謎を解く』東洋経済新報社、25頁参照)。このデータベースの一部は、J ・リッター教授がIPO研究に資する目的で開設しているIPOデータ用ウェブサイト(下記)のジャパンページに、スプレッドシート形式で掲載されている。本書で使用するデータの多くはそこから入手可能である。また、このサイトには、本書で紹介する米国のIPOデータの多くが掲載されている。
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