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【試し読み】『立ち退かされるのは誰か?――ジェントリフィケーションと脅かされるコミュニティ』
再開発による「立ち退き」、グローバルな不動産投資と家賃高騰……。
〈ジェントリフィケーション〉という言葉を生みだした社会学者ルース・グラス。彼女が都市ロンドンで〈発見〉した現象は、現代の都市問題を予見していた……。
地域コミュニティが脅かされつつある現代都市の課題との共通点をさぐる『立ち退かされるのは誰か?――ジェントリフィケーションと脅かされるコミュニティ』(山本薫子 著)。
このnoteでは、「序章」を特別に公開いたします。
ぜひご一読ください。
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序章 ジェントリフィケーションとは何か
1 「ジェントリフィケーション」とは
「ジェントリフィケーション」(gentrification)という語をこれまで聞いたことがあるだろうか。もしも、この語を何回か聞いたことがあるとすれば、それらがそれぞれどのような意味の語として、どのような立場から用いられていたか、思い出してもらいたい。なぜこのようなことを書くかというと、ジェントリフィケーションは、誰が、どのような文脈で用いるかによってその意味する現象、対象が異なる場合が多い、という類の語だからだ。
ジェントリフィケーションの一般的な説明としては、インナーエリアと呼ばれる、中心部の労働者住宅地域、低所得地域が再開発され、高級住宅や中流層(ミドルクラス)以上の人々を対象とする商業施設が新たに開業することで、住民の入れ替わりが起き、より高所得の住民が増加する現象である。
ジェントリフィケーションは、今日、世界中の都市が直面する重大な現象の一つとして注目され、同時に社会的弱者の困窮や排除を促進するとして批判もされてきた。一般には、一九九〇年代以降に注目され始めた都市の現象で、当初は欧米諸国の大都市を中心に指摘されていたが、現在はアジアをはじめとするその他の地域、さらには世界中の都市でも生じているとされる。
しかし、ジェントリフィケーションという語は、今日、広く流通しているがゆえに、幅広い場面で用いられがちな語でもある。ややもすると、使い勝手のよい、一種のマジックワードのような不安定さもある。
2 都市の分極化
ジェントリフィケーションはどのようにして生じてきたのだろうか。
ジェントリフィケーションという語が最初に使用されたのは一九六四年だが、広く注目されるようになったのは一九九〇年代以降のことである。そして、その背景には一九八〇年代以降の都市が直面した変化がある。
一九八〇年代以降、都市のグローバル化、経済のサービス化、情報化が進んだことで、都市の社会構造に変化が生じた。具体的には、高学歴、高所得で専門職に従事する人々(アッパープロフェッショナル等)と、低所得で非正規のサービス労働(サービス産業での労働)等に従事する人々の人口規模がそれぞれ拡大した。このように、社会全体の階層構成が上層と下層に分かれていくことを分極化、そのような状態の都市を二重都市(デュアル・シティ)と呼ぶ。
分極化、二重都市は、欧米の大都市を対象にした研究、分析をもとに研究者らによって指摘されたものだが、当然ながら都市・地域はいずれも地理、歴史、産業、人口構成など多くの点でそれぞれ固有の特性を持つ。たとえば日本の都市の分極化については現在まで多くの検証がなされてきており、現在も検証が進められている。その中には、新たな階層構造の出現、三層への分化に関する指摘など、単なる二極化ではないという議論もある。日本に限らず、他のアジアや中南米、アフリカ等の地域のいずれにおいても、必ずしも欧米大都市と同列に都市の分極化を見るのではなく、都市の実態をより詳細、具体的に把握し検証することが必要だと言えよう。
3 再開発とジェントリフィケーション
多くの欧米都市では一九七〇年代ごろにインナーエリアにおいて貧困の集中、治安の悪化、人口やビジネスの流出といった都市の衰退が進んだ。こうした事態への対応策として、一九八〇年代以降にインナーエリアの再開発が進み、老朽化した建物が改装(リノベーション)されたり、建て替えられるなどした。これらは不動産価値を上昇させるとともに、再開発されたインナーエリアに中流層が新たな居住者、消費者として戻ってくること(都心回帰)を促進するものでもあった。
再開発されたインナーエリアで何が起きたかというと、地価上昇に加えて、老朽化した建物の取り壊しや改装、新しい商業施設やマンション(集合住宅)の建設、中流層向けの小売店や飲食店が増加した。これを地域の「高級化」とも呼ぶ。中心部の再生・活性化を推進する立場から見れば、それまで衰退傾向にあった中心部に人々(住民、消費者)と活気が戻る、という好ましい現象として映る。人口が回帰することで、これまで空いていた土地や建物・部屋に借り手が現れ、経済が活性化し、賑わいが生まれ、自治体の税収も増える。日本でも、特に地方都市の多くで経済衰退、地域社会の停滞が懸念され、都市中心部の活性化が試みられている。そうした取り組みや施策は直接的にジェントリフィケーションと呼ばれることは少ないが、構造的に見れば類似点は多い。
4 ジェントリフィケーションに対する批判
一方で、再開発されたインナーエリアにもともと住んでいた人々、その地域の小規模商店を利用していた人々からはどのように見えるだろうか。同じ光景を目の前にして、まったく反対の見方になる場合も多いだろう。
それらの人々から見ると、地価上昇によって家賃が上昇し、馴染みの小規模商店が閉店し、以前よりも高い価格の商品ばかりが売られるようになり、以前よりも生活しにくい状況が生じる。これは明らかに望ましいことではない。場合によっては、もっと家賃・賃料の安い他の場所へ移り住まなくてはいけない、という事態も生じるが、これが「立ち退き」である。立ち退きは必ずしも家賃・賃料の高騰だけによって生じるわけではない。周囲の同じような立場の人々が立ち退くことで自分も立ち退かざるを得ないと感じたり、周囲に高級店や社会階層の高い人々が増えることで一種の圧力を感じることによる立ち退きも起きうる。
そして、再開発によって新しい商業施設やマンションが増えていくことは、都市空間が審美化されていくことでもある。都市空間の審美化とは、建物等が建てられたり、改装されるなどして、外見的な「新しさ」「きれいさ」を多くの人々が感じるような場にすることであり、ゴミが落ちていない、掃除が行き届いているといった「清潔さ」「クリーンさ」が含まれることも多い。ただし、都市空間の審美化に対しては立場によって評価は分かれ、都市の経済活性を目指す立場から見れば、「街が新しくきれいになる」ことは望ましく、そのことを維持するために清掃だけでなく、警備、防犯等のセキュリティの強化も進められていく。それは単に管理者の判断だけによるのではなく、そこを利用する住民、消費者らによる安全・安心を求める意識の高まりによるものでもある。そして、その背景には見知らぬ他者への恐怖・不安感がある。海外の事例では、ジェントリフィケーションの高まりによって警察の取り締まり(特に低所得者に対する取り締まり)が増えた、中流層の住民・消費者による警察への通報が増えた、という指摘もされている。
低所得の住民やホームレス状態の人々の側から見たとき、審美化され、セキュリティが強化された都市空間は、非常に居心地が悪い場所となる。もともと自分たちが暮らしていた地域であるにもかかわらず、ただ歩いているだけ、座っているだけで「何かしでかすのではないか」と疑いの目で見られたり、寝転ぶことや長時間座り続けることができないような設計のベンチや椅子が増えたりする。明らかにその空間からの追い出しや排除が意図されているように感じられるものばかりだ。この背景には、ジェントリフィケーションによって都市インナーエリアの低所得地域そのものが空間的に縮小している、低所得の住民やホームレス状態の人々が過ごせる場所が相対的に減っていることが大きく関係している。
そして、都市活性化を期待する楽観的なジェントリフィケーション観に対して、ジェントリフィケーションそのものが都市インナーエリアを新たに商品化するものであり、その過程の中で立ち退きや排除が正当化されていくという批判もある(スミス 一九九六=二〇一四)。この正当化のプロセスの中で、特定の社会的カテゴリーの人々を貶めるようなイメージ付与がなされ、バッシング(非難)がなされるといった動きもある。たとえば、「怠け者や税金泥棒なのだから追い出されても自業自得」などといった言説である。こうした点からも、ジェントリフィケーションによって都市の低所得地域がどのような影響を受けているのか、検討することは重要だ。
5 ジェントリフィケーションは日本でどのように報道されてきたか
では、日本ではいつから、どのような文脈で、このジェントリフィケーションという語が用いられるようになったのだろうか。
日本で初めてジェントリフィケーションという語が掲載された記事は、一九八八年に『朝日新聞』と『日本経済新聞』でそれぞれ一件ずつあった(「中流が追われる街 貧富の両層に住宅2極化 「放置ビル買って」市は懸命の再生策」、「海外報告(米国)――よみがえる伝統的町並み、根強い歴史への愛着」)。いずれも米国の社会情勢に関する国際報道で、ニューヨークなど米国の大都市での再開発、家賃上昇、低所得の住民の追い出しが社会問題となっている状況に関するレポートである。米国を中心とする海外でのジェントリフィケーションに関する報道の大半は類似した論調であり、ジェントリフィケーションを「問題」として位置づけている。これは一九八八年から二〇二四年までの期間で一貫している。
日本国内の事象に関する報道を見ると、ジェントリフィケーションという外来語がどのような意味を持って、それぞれの時代ごとに日本社会に浸透していったかを知ることができる。日本で初めてジェントリフィケーションという語が用いられた記事は一九八九年の『日本経済新聞』の記事(第一章多面鏡に写す(一五)アメリカ村曲り角――持ち味薄れ高級化の波(わが関西))だが、ここでは、大阪市内の通称「アメリカ村」と呼ばれる地域に大手商業資本が進出することで生じている変化・問題について報じている。記事では、ジェントリフィケーションという語を「薄汚く、古びた町並みが、市街地再開発などで高級な地域に変わっていくこと」と説明し、「アメリカ村」での地価高騰や個性喪失等を問題視している。一方で、同じ『日本経済新聞』の一九九〇年の記事(「湘南ブランドはおおらかな気品――神奈川県など商品開発」)ではジェントリフィケーションという語が商品を販売する側から見て望ましい、消費者の「高級化」(高所得化)と解釈され、高級化した(高所得の)家族という意味合いの「ジェントリフィケーションファミリー」という造語が登場している。
そして、十数年以上にわたってジェントリフィケーションという語は紙面にはほとんど登場しなかったが、二〇〇八年に関西社会経済研究所(当時)が大阪市の再生を目指す提言「水都ジェントリフィケーション 大阪トライアングル構想」を発表したことが『日本経済新聞』で報道されている(「関西社会経済研、水都再生へ提言」)。この提言では、ジェントリフィケーションは都市再生の取り組み手法の一つと位置づけられ、ニューヨークのソーホー地区の例に倣って、老朽化、貧困化によって停滞したインナーシティを再生する方法とみなされている。このように一九八九年に掲載された記事で扱われた日本国内の事象ではジェントリフィケーションという語が地価高騰等と結びつけられて問題視されていたものの、それ以降の一九九〇年、二〇〇八年に掲載された記事では高所得の消費者獲得や都市再生という意味に解釈され、好意的にとらえられていることがわかる。
二〇一二年に『日本経済新聞』に掲載された経済論評(「都市の構造と課題(6)」)でも、政策やディベロッパーによる再開発によって高所得者の都心回帰が起き、地価や家賃、固定資産税などが上がることでそれまでの居住者が追い出される現象をジェントリフィケーションと位置づけている。この記事では、もともとの住民や新たに居住する住民の双方にマイナスの影響が生じる可能性にも触れつつ、そうした再開発が都市の効率性や周辺地域の安全性を高め、特に密集した大都市では非常に多くのメリットがあると述
べている。
ジェントリフィケーションに対するこうした好意的な評価が一変するのは、二〇一〇年代半ばである。一九九六年に米国で出版されたN・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市―新たなる都市のフロンティア』の翻訳が二〇一四年に日本で出版され、その書評が二〇一四年の『毎日新聞』に掲載された(「今週の本棚・新刊」)。この記事では、ジェントリフィケーションについて、貧困層が多く、停滞気味の大都市中心部が再開発されることによって再活性化する一方で、もともとの住民が減少し、地域文化の喪
失にもつながりかねない、としている。具体的な例も示されており、下町の観光スポット化、芸術家の活躍の場とされることなどが挙げられている。当時すでにそれらに類似した事例は国内都市の各地で生じており、読者の見知った出来事と関連づけながら、ジェントリフィケーションの負の側面に警鐘を鳴らす記事となっていた。
そして、ジェントリフィケーションに関するこのような見方を反映した記事が、同じ『毎日新聞』に二本掲載されたのが翌二〇一五年である。この二本はいずれもコラム(エッセイ)であり、片方はオリンピックなどのスポーツ・メガイベントの問題点について(「発信箱:光と影」)、もう一方は長く「寄せ場」として知られてきた大阪・釜ヶ崎を例に芸術活動が地域にジェントリフィケーションという負の影響をもたらしかねないことへの気づきと危惧について書かれたもの(「ならまち暮らし―芸術という罠」)である。なお、後者は奈良版に掲載されたが、二〇一八年に、それを引用して主に高齢者の住宅問題の観点から野党国会議員が参議院で質問を行っている。
そして、二〇一八年に掲載された記事二本(インタビュー「(聴く!)神戸大教授・小笠原博毅さん『万博反対』の論理」、投書「反対続け排除される人守る」)はいずれもジェントリフィケーションを地域にマイナスの影響を及ぼしかねない「高級化」とみなし、「地域の特性や文化が失われる」「時代遅れの開発主義、拡張主義」として大阪万国博覧会(万博)開催反対を訴えている。二〇一八年に『日本経済新聞』に掲載された経済論評(「東京一極集中の功罪(中)」)は、今後、日本でも都市中心部への高所得世帯集中の可能性があり、それが地域の社会経済の構成に変化を生じさせて問題が生じるかもしれない、と指摘している。このように、このころから日本国内の都市問題につながる可能性のあるものとしてジェントリフィケーションが認識され始めたが、その背景には、メガイベント(東京オリンピック・パラリンピック(当初予定二〇二〇年)、大阪万博(二〇二五年予定))の開催にともなう再開発・都市再編の進行もあったと推測できる。
二〇一〇年代後半には、日本国内の都市で生じている事象に対してジェントリフィケーションという語を用いて批判的にとらえる記事が目立つようになったが、二〇二〇年前後以降に掲載された記事を見ると、(1)断定的な評価が避けられていること、(2)インバウンドによる価格上昇やフードデザート(食の砂漠=生鮮食料品等の入手が困難な地域)などそれまで取り上げられてこなかった論点が扱われるようになったこと、の二点を指摘できる。二〇一九年の『読売新聞』、二〇二一年の『朝日新聞』にはいずれも、大阪・釜ヶ崎の変化について紹介する記事が掲載されている(「西成 外国人ビジネスの波 あいりん地区周辺」、「釜ケ崎PR、ぶつかる思い「印象変えたい」×「貧困、見せ物でない」」)。釜ヶ崎での社会変化についてジェントリフィケーションだとして批判的にとらえた記事はそれまでも掲載されているが、ここで注目したいことは、二〇一九年の『読売新聞』記事では「大阪市西成区でジェントリフィケーションが起こるかどうかについては、有識者の間でも見解が分かれている」とし、二〇二一年の『朝日新聞』記事では「街の活性化を困窮者の雇用につなげる視点が大切」「路上生活を送る人たちは置き去りにされている」という、専門家による異なる視点のコメントを掲載している点である。
また、新型コロナウイルス感染症拡大による規制等が一定程度緩和された二〇二三年には、『日本経済新聞』が訪日客の急増がホテル等の価格を押し上げている現象について扱った記事(「JRが外国人パスを大幅値上げ 客価格、手本は途上国」)を掲載し、そこで「都市に富裕層が増え一般人が住めなくなる現象」としてジェントリフィケーションを紹介している。同じ年に『日本経済新聞』は「富裕層が移り住み、居住環境が変わる現象」としてジェントリフィケーションを説明した上で、東京の都心部で手ごろな価格で生鮮食品が買えるスーパーや個人商店が撤退し、いわゆる「買い物難民」が発生している問題を取り上げている(「『食の砂漠』都心にも買い物難民 大型開発で住環境変化」)。
報道される記事数全体の中では依然として数は少ないものの、二〇一五年から二〇二四年六月までだけを見ると、ジェントリフィケーションという語が登場する記事数はそれまでよりも増加し、また日本国内の事象を扱った記事と海外の事象について扱った記事の数は同数であった(各一三件)。このことは、日本国内でも徐々にジェントリフィケーションという語が浸透しつつあることと、日本の都市で実際に生じている事象、現象を問題視して検討する際にジェントリフィケーションという語が用いられるようになってきたことを示している。一方で、これまで見てきたように、その意味する内容に依然としてばらつきがあることは否めない。
6 ジェントリフィケーションという語の誕生と混乱
新聞報道の推移からもわかるように、日本の都市については欧米ほど積極的にジェントリフィケーションに関する指摘、議論はされてこなかった。その主な理由として、住宅不足や住環境をめぐる格差の拡大が欧米ほどは深刻化していないことも挙げられるが、しかし実際にはジェントリフィケーションと呼びうる事象は起きている。日本では住宅地域ではなく商業空間での変化やアートを用いた地域活性に関してジェントリフィケーションが指摘されがちであったことも欧米との違いであろう。
ジェントリフィケーションという語は、単に地域の人口(住民、消費者)が入れ替わる状況のみを指すだけでなく、再開発に対する批判、新自由主義的な不動産市場に対する批判の文脈でも用いられてきた。同時に、地域の経済活性をうながすための新たな提案や方策を考える場面ではむしろポジティブな意味合いで用いられることもある(「水都ジェントリフィケーション」など)。いずれにしても、今日の都市で起きている現象について知り、課題や政策について考える際に欠かすことができない語であることは確かだ。
ジェントリフィケーションという語を初めて使用したのは、英国の社会学者ルース・グラス(RuthGlass 一九一二年〜一九九〇年)である。日本がちょうど高度経済成長期真っ只中にあった一九六四年に英国で出版された、グラスと他の研究者らによる共著書『ロンドン―変化の諸相(London: Aspect of Change)』(一九六四年)で初めて使用された。グラスは、一九五〇年代後半のロンドンで低所得層が住まいを追われ、その後に中流層などが移り住み、その地域の社会構成(住民、商店、施設、社会関係、雰囲気等を含めたすべて)が変化する状況を呼び表すものとして、ジェントリフィケーションという新語を考案した。その後、特に、グラス没後の一九九〇年代以降、この新語は広く世界的に流通し、今日に至っている。今日、都市研究、社会学、地理学などの教科書ではジェントリフィケーションという現象について必ずと言ってよいほど紹介・説明がされている。
ジェントリフィケーションをはじめとして、当時、グラスが注目した都市の変化とそれにともなう社会や人々への影響は、今日、よりいっそう顕著となっている。そして、それらは、ロンドンに限らず、多くの先進国都市で大きな社会課題ともなっている。たとえば、適正価格の住宅(アフォーダブル・ハウジング)の不足、住環境をめぐる格差の拡大とそれを背景にした若年層の郊外流出などがある。また、移民の増加、貧困、差別の問題も重要な都市の課題である。
一方で、当時グラスが想定していなかったような都市の現象も生じている。たとえば、居住ではなく投機目的のマンションやコンドミニアム(分譲集合住宅)の購入、民泊と呼ばれる旅行者等への住宅や部屋の提供などはグラスの時代には起きていなかった。このように、住宅や居住をめぐる状況は時代とともに変化してきた。また、公共空間でのパブリックアート設置にともなう観光化やアートイベントに対して、低所得層の排除や公共空間の管理をもたらしていると批判的にとらえ、アートウォッシングと呼び、ジェ
ントリフィケーションの一種として批判する動きもある。これらも含め、都市開発・再開発やそこで生じた変化の全般をまとめてジェントリフィケーションと呼ぶ状況も一部では生まれている。むろん、地価・家賃の上昇や賃貸住宅からの住民の追い出し、貧困はずっと以前から存在していた事象ではないか、という指摘もできよう。何が新しい現象で、何はそうではないのか、という混乱も今日のジェントリフィケーションという語をめぐって生じている。都市において生じる変化のスピードはさらに速くなり、そこでの現象を分析するための変数はさらに複雑になってきている。
かつては「都市研究」という一つの枠組みで都市の事象を全体的にとらえようとする学問的試みが現代よりも積極的に行われていた。しかし、時代が進み、学問分野の細分化、都市に関わる産業の多様化などを背景として、多くの研究者や論客がそれぞれの立場から都市とそこでの現象を説明するための用語、方法を考案し、発展させてきた。そうした中でもジェントリフィケーションはとりわけ注目の対象であり、どのように新たにとらえ直すか、という試みや、新たな概念の構築が各地で目指されている。たとえば近年では「プラネタリー・ジェントリフィケーション」という新たな枠組みも登場し、注目されている。
7 ジェントリフィケーションをめぐる都市問題の由来を探る
都市で生じている現象の要因は、必ずしもその都市の中だけに存在するわけではない。特にグローバル化の進展以降、世界中の都市では類似の現象が生じ、それらは同じ語(たとえばジェントリフィケーション)で呼ばれている。一方で、私たちは、自分の生活にも関わるような変化(日本で言えば、駅前商店街の衰退、家族経営小売店の閉店、大規模マンションの増加や都市空間の景観変化など)そのものを具体的に認知しても、それらに関わる社会や都市の全体状況がどうなっているのか、詳細に知ることはなかなかできな
い。グローバル化を背景に、都市の変化を説明するための変数・指標は多様化・複雑化し、影響が及ぶ範囲も広域化している。
ことばが時代を超えて使用されていくことでその意味内容が徐々に変質していくことは普遍的な現象である。ジェントリフィケーションという語が生まれたとき、グラスは何を見て、何を問題と考え、何を指摘するためにこの語を考案したのだろうか。そして、そこでグラスが見た光景や問題の構造は現代に置き換えるとどのようなものだろうか。
今日、欧米をはじめとした都市では、中心部の再開発が進み、インナーエリアの再編と地価上昇が続いている。特に、住宅価格、家賃の高騰は著しく、大きな社会問題となっている都市も多い。こうした状況は低所得層、若年層、高齢者層などへの圧迫、都市における分断状況となって現れている。こうした中で、グラスの業績を振り返り、グラスが着目した都市の変化とそこでの問題を知ることは、単に過去を振り返るだけでなく、都市の変化、とりわけ住宅や人々の生活に関わる変化の総体を現代史の中で把握し、今、
私たちが目の当たりにしているそれぞれの事象の背景、由来をたどる経験でもある。
本書は二部構成となっている。第一部ではグラスの業績や現代から見たその意義についてまとめた。
第1章「『ジェントリフィケーション』の名づけ親 ルース・グラス」でグラスの経歴を紹介した後、第2章「英国の住宅はどう変わったか」で英国の住宅政策のうち、グラスの著作・研究に関わる時期について概要と流れを紹介する。
そして、第3章から第6章では、グラスの業績をたどりながら、当時の英国およびロンドンの住宅、都市問題へのグラスの関わり、問題関心を探っていく。第3章「地域コミュニティの重要性」では、グラスが関わった公営住宅団地等での住民調査について紹介し、これらを通じてグラスが住民らによる地域コミュニティ形成を重要だと考えるようになった経緯について説明する。そして、第4章「労働者の賃貸住宅をめぐる新たな問題」では、中心部をはじめとしたロンドン全体の社会変化を通じていかにしてグラスがジェントリフィケーションという現象を発見したか、当時それはどのような問題だったのか、グラス自身の記述も参照しながら紹介する。さらに、第5章「移民労働者の増加と『人種問題』」と第6章「スケープゴート化された移民たち」では、移民(西インド諸島出身者)増加に対する英国社会の反応や混乱について研究・分析を行ったグラスの後期の著作の内容に触れながら、移民増加に揺れる当時の英国社会や英国人をグラスがどのように考えていたのかを紹介する。そして、第7章「現代から見るグラスの意義と再評価」では現代の視点からグラスの業績の意義について考える。
第二部では、グラスが生きた時代のロンドンから離れて、カナダ・バンクーバーと横浜という現代の二つの都市についてジェントリフィケーションの観点からそれぞれの状況や課題について考える。第8章から第12章ではカナダ・バンクーバーのインナーエリアに位置する低所得地域ダウンタウン・イーストサイド(DTES)で生じたジェントリフィケーションをめぐる変化や課題について紹介する。第8章「カナダ・バンクーバーの住宅不足と家賃高騰」ではバンクーバーでの住宅をめぐる状況、課題について、第9章「バンクーバーの低所得地域ダウンタウン・イーストサイド」では低所得地域DTESの歴史・変化・課題について説明する。そして、第10章「DTESにおけるジェントリフィケーションへの対抗」では、低家賃住宅の不足、DTESが社会福祉施策の拠点とされてきた経緯等にも触れながら、地域社会がジェントリフィケーションにどのように直面し、それに対して人々がどのように認識し、また対抗的な取り組みを行ってきたかを紹介する。続く第
11章「チャイナタウンでのジェントリフィケーションと移民の『歴史』」では、DTESに隣接するチャイナタウンでのジェントリフィケーションとそれへの対抗をめぐる状況やそこでの立場や意見の相違、その背景について説明する。第12章「縮減する低所得地域とホームレスの排除」では、DTESおよび周辺地域でホームレスが増加すると同時に排除も行われている状況とその背景について考える。
第13章「福祉化する横浜・寿町の現在」では、寄せ場として知られてきた横浜・寿町について、特に社会福祉的な役割が期待される地域に変化してきた経緯やそこでの課題について紹介しながら、ジェントリフィケーションとの関連について考える。ただし、バンクーバーと異なり、寿町ではホームレスの居場所が失われつつあるものの、家賃高騰やあからさまな住民の追い出しが起きているわけではなく、ジェントリフィケーションが生じているとは明確には言い難い。そのため、第13章については福祉的なニーズの増大にともなう地域構造の変容について焦点を絞り、主に「イメージの刷新」という観点から寿町でのジェントリフィケーションの今後の可能性について検討する。
ジェントリフィケーションという語が最初に登場した一九六四年当時と現代では都市の人口構成・産業・テクノロジー発展などさまざまな点で違いがある。また、ロンドン、バンクーバー、横浜はそれぞれに異なる歴史や社会情勢、制度等に基づく都市であり、単純な比較は困難である。しかし、今日ジェントリフィケーションと呼ばれる事象をどのように理解できるか、時代を超えてどのような都市の問題・課題があるのか、グラスが指摘したことをたどりながら、またバンクーバーと横浜の事例を参照しつつ、考えてみたい。これらを通じて、ジェントリフィケーションという語が表す現象のより深く、多面的な理解につながれば幸いである。
なお、第10章、第11章、第13章に登場する人名はいずれも仮名である。
タイトルを含むグラスの著作の翻訳はいずれも筆者によるものである。グラス以外による英語での著作等については、原題を省き、筆者による和訳や英語をそのままカタカナ表記するなどして記載した。
(1)『朝日新聞』、『毎日新聞』、『読売新聞』、『日本経済新聞』の掲載記事。検索には、それぞれ朝日新聞クロスサーチ、毎索、ヨミダス歴史館、日経テレコン21を用いた。
(2)質問第九号「『ジェントリフィケーション』への対策と老朽化した集合住宅からの高齢者の立ち退き問題に関する質問主意書」(二〇一八年二月五日、参議院)。質問四点のうち二点は「政府は、世界の主要都市で問題になっている『ジェントリフィケーション』をどのように認識しているか」「政府が『ジェントリフィケーション』を取り組むべき課題だと認識している場合、政府の住宅政策において、同現象にどのような対策を講じるべきであると考えているか、具体的に示されたい」であったが、これに対して政府
は「お尋ねの趣旨が明らかではないため、お答えすることは困難である」と回答している(答弁書第九号 内閣参質一九六第九号)。
(3)諸現象が北から南へ、西から東へ(欧米から世界各地へ)広がるとみなす「グローバル化」の発想に対して、地球規模での資本の再編過程をとらえて世界各地で生じているジェントリフィケーションについて再検討するための概念。
(4)Loretta Lees, Hyun Bang Shin & Ernesto López-Morales,2016, Planetary Gentrification, Cambridge: Polity.
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著者略歴
山本薫子(やまもと・かほるこ)
東京都立大学都市環境科学研究科准教授。
博士(社会学)。専門は都市社会学。
主要著作:
『横浜・寿町と外国人―グローバル化する大都市インナーエリア 』(福村出版、2008年)
『原発避難者の声を聞く―復興政策の何が問題か 』(共著、岩波ブックレット、2015年)
『社会にひらく 社会調査入門。(共著、ミネルヴァ書房、2023年)など。
目次
序 章 ジェントリフィケーションとは何か
第Ⅰ部 ジェントリフィケーションの〈発見〉
第1章 「ジェントリフィケーション」の名づけ親 ルース・グラス
第2章 英国の住宅はどう変わったか
第3章 地域コミュニティの重要性
第4章 労働者の賃貸住宅をめぐる新たな問題
第5章 移民労働者の増加と「人種問題」
第6章 スケープゴート化された移民たち
第7章 現代から見るグラスの意義と再評価
第Ⅱ部 現代のジェントリフィケーションを考える
第8章 カナダ・バンクーバーの住宅不足と家賃高騰
第9章 バンクーバーの低所得地域ダウンタウン・イーストサイド
第10章 DTES におけるジェントリフィケーションへの対抗
第11章 チャイナタウンでのジェントリフィケーションと移民の「歴史」
第12章 縮減する低所得地域とホームレスの排除
第13章 福祉化する横浜・寿町の現在
終 章 ジェントリフィケーションを通して社会をとらえる
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