「選択」を「正解」に / 安倍立矩
お久しぶりです。4年の安倍立矩です。
さて、時が流れるのも速いもので予選会前最後のブログとなります。
とはいいつつ、何書けばいいのかなぁって思いながら今までの陸上生活の振り返りを書き進めてしまったので、長く拙い内容になってしまいましたが、最後までお付き合いしていただけると幸いです。
「長距離」を「選択」
今思えば、姉との勝負がすべての始まりでした。
600mのコースを小学生だった自分が2周、中学生で陸上競技部でバリバリに活躍していた姉が3周のハンデマッチ。
2周目の半分もいかないところで、姉は颯爽と追い抜いていき、自分はただただ見ているだけでなにもできずに終わったことを今でも鮮明に覚えています。
「自分は遅い、勝てない」
この時味わった「敗北」の味が僕の長距離人生の原点です。
中学生に上がって、部活動を選ぶタイミングになった時、バドミントンなどの運動部を見て回りましたが、結局この出来事がきっかけで陸上競技部に入部することを「選択」しました。(球技がからっきしダメだったこともありますが笑)
冬の朝早くから軽い準備体操だけで4000を全力で走らされたりとか、6,7人でフルマラソン終わるまでエンドレスリレーさせられたりして、普通の中学生ってこんなに走ってる!?ってキレそうになるくらいには走り続けました笑
きつすぎてグラウンドの隅で吐いた練習もありました(あの日飲んだスポドリの味が本当にまずかったのもありますが…)
それでも陸上競技を嫌になることなく続けることができたのは2人の仲間のおかげです。
一人は入部当初から「全国大会に出る」と大々的に宣言して、1年生から上級生に食らいついていた自信家。
もう一人はとんでもないピッチで走る短距離顔負けのスピードスター。
そんな才能あふれる二人に追いつこうとすべてのメニューを全力投球で部活に打ち込んできました。
二人がずっと自分の目標としていてくれたから、高い目標に向けて一緒に練習してくれたから、自分自身もそれにつられて実力を伸ばすことができました。
そんな3人で切磋琢磨した結果、全員で関東大会(←地区で1人出るだけで結構話題になる)に出場することができたし、たった3人で得点を荒稼ぎして県総体の総合入賞したりとなかなかに珍しい結果を連発していた気がします。
各校大人数で閉会式参加してたのに、3人でポツンと並んで賞状取り入ったのも懐かしいね笑
二人に出会えたおかげで、「陸上競技って楽しいじゃん。もっと続けて頑張ろう」って思うことができた、今でも大切でかけがえのない3年間です。
「高校」を「選択」
中学3年、自分自身が初めてした進路選択。
お誘いをいただいた強豪校に進学するという選択肢もありましたが、学業と陸上競技を両立したいという気持ちが強く地元の公立高校である厚木高校に進学することに決めました。(って理由付けしてますが実家から近いからですね、はい笑)
今まで受け身で陸上競技をやっていた中で、指導者のいない競技生活は不安いっぱいでした。
今の自分にどの練習が必要かインターネットで情報を探してメニューに取り入れたり、短距離の練習に紛れ込んでスピード練をしたりと不安をぬぐうようにがむしゃらに走り続けました。
そんなゴールの見えない努力に光が差したのは2年生の時でした。
今まで何かと理由をつけてやってこなかった1500mで3分台が出た時です。
5000mよりもバチバチにポジション争いをするヒリヒリ感。
一瞬で勝負が決してしまうような緊張感。
そんな魅力に引き込まれ、気づいたら1500mの虜になっていました。
夢中で戦い続けているうちに、駒をインターハイにまで進めることができました。
中学校3年以来の全国大会。あの時全く歯が立たなかった悔しさを糧に、爪痕を残してやると意気込んでスタートラインに立ちました。
前半から突っ込んで前に陣取って、
700過ぎからスパートかけて集団から抜け出して、
ラスト1周で抜かれても脚に乳酸がたまっても
全身の力がなくなるくらい文字通り全力で走り抜けました。
それでも着で通過することができず、レースが終わった後はボロボロに泣きながらトラックを後にしました。(わざわざ沖縄にまで勧誘に来てくださった保科さんにも驚かれるくらい笑)
ここで終わりだ。
そう思いながら持ち場に戻りました。
「決勝行ったぞ」
泣いている自分を見て困惑している顧問と付き添いの子がそう言いました。
何を言っているか最初わかりませんでした。
結果見て来いと言われるがままに電光掲示板を確認すると、決勝進出者の名前に安倍立矩が書かれているのを見つけました。
決勝ボーダーまでの差はたった1秒。
最後まで諦めなかったことで首の皮がつながったこと、
中学校のリベンジを果たすことができたこと、
嬉しくてまた涙がこぼれました。
あの日勝ち取った景色を僕は忘れることはないと思います。
それほどに熱く忘れられない夏でした。
インターハイが終わってすぐに県新人。
1500,5000mに加えて、マイルも走るというタイトなスケジュール。
決勝までなると会場にいる人も少なくなって、厚木高校から出場する選手も減っている中で、
「あべりく!」
競技場に響き渡るくらい熱烈な応援の声が聞こえた時は、この学校に進学して本当によかったなと実感しました。
ちゃんと個人でも結果を出せたことも嬉しかったけれど、自分の練習に付き合ってもらった短距離の選手と一緒に表彰台に上って関東に行けたこと本当にうれしかったです。
このメンバーで3年次のインターハイ路線を戦うことができなかったことは残念だけれど、自分ひとりじゃできない経験をさせてもらって幸せな時間を過ごさせていただいたと思っています。
「慶應で箱根」を「選択」
そして、大学へ進学。
自分の一番最初のブログでも書きましたが、自分は第一志望の国公立大学に入試で落ちて、慶應義塾大学への進学を決めました。
落ちた時はそれはそれは悔しくて、親の目の前で号泣するくらいでした。
それでも自分は「慶應義塾大学で箱根駅伝出場」を目指すことを「選択」しました。
慶應義塾大学はスポーツ推薦がありません。
強い選手が入りづらいことはもちろん、学校柄、體育會に入ってまで競技を続ける人も決して多くありません。
そんなディスアドバンテージを負う中、箱根駅伝を本気で目指して練習する先輩方の姿を練習会で目の当たりにしました。
「慶應というブランドがありながら、逆境に立ち向かう姿がかっこいい!自分もあんな風に陸上をやりたい!」
と思い、私立は慶應にしようと心に決めました。
そんな思いがありながらも、最初は走る距離のギャップに愕然としました。
高校時は下手したら月間200kmもいかない月もあったのに、突然2,3倍も走る距離が急増し、苦手なペース走も週1回はあって毎日ヘトヘトで合宿所に帰ってました。
それでも1年からAチームでの練習、選抜合宿にも参加させていただける、最高の環境下で陸上競技に没頭することができました。
コロナの影響で丸一年走らなかったブランクも徐々に埋まっていき、秋には5000mで大幅に自己ベストを更新。着実に力がついているなと実感しながら日々の生活を送っていました。
「箱根駅伝出場を諦めない」を「選択」
2年の箱根駅伝予選会。
2年間で土台作りをきっちりやって、今年こそ活躍してチームに貢献するんだと意気込んで臨んだ大一番。
夏合宿ではあれだけ練習ができたのに、
自己ベストから考えても余裕をもって走れるはずなのに、
本番での走りはまるで自分の体じゃなくなったみたいに重く、脚も攣って目も当てられない走りをしてしまいました。
大学に入ってきてからやってきたことがすべて無駄だったのかな
なんて考えが頭の中でいっぱいになって、気づいたら親に
陸上辞めたい
と泣きながら電話をかけていました。
そんな時、部から離れるのを強く引き留めてくれたのは保科さんでした。
「お前がいないと箱根駅伝に行けない。」
「来年こそ頼むぞ。」
そう言ってどん底にいた自分に手を差し伸べてくれました。
端から見たら、部に引き留めるだけの甘い文句だったかもしれません。
でも、思い返せば、
わざわざ沖縄にまで勧誘に来てくれたり、
その他何度も大会に足を運んでくれたり、
1500mと両立したいなんてわがままを聞いてくれたり、
いつも保科さんは自分に期待してくれていたことを思い出しました。
そんな人の期待に一度も答えずに部を離れるのはあまりにも恩知らずではないか、保科さんを箱根に連れていくまではやめられないともう一度陸上競技を続ける決心をすることができました。
気持ち的に吹っ切れたからか、冬には10000mで塾記録の更新。3年の箱根駅伝予選会では64分台でのフィニッシュとようやく大学陸上らしい結果を残してラストイヤーに突入することができました。
あの時の恩を返す。
10月19日、保科さんを胴上げする。それだけのために今日まで走り続けてきました。
「選択」を「正解」に
紆余曲折を経てなお走り続けてきた10年間。
振り返ると、自分の陸上人生には「選択」であふれていたように思います。
たくさんの「選択」があって、今の自分はここにいるし、波乱万丈ながらも充実した競技人生を過ごすことができました。
でも、正しい「選択」だったから今の陸上人生を送れているのかというとそうではないと思います。
もしかしたら「長距離」を「選択」していなかったら、別のスポーツで才能が開花していたかもしれないし、
「進路」の「選択」が違ったら、全く毛色の違う陸上生活を送っていたかもしれません。
それでも、今までの「選択」が「正解」になっているとしたら、「選択」に覚悟をもって取り組んできたからだと思います。
「選択」をした時点の自分に胸を張って、『この「選択」をしてよかった!』と言えるように、ひたむきに走って、走って、走り続けた結果の産物が「正解」という形で返ってきたと思っています。
「結果」は「行動」で変えられる
これが自分の陸上人生の核であり、陸上競技から学んだ一番の教訓です。
さて、そんな「選択」を「正解」にする作業も大詰めとなりました。
「慶應で箱根」
本気でこの目標を達成することを「選択」し、慶應競走部の門をたたいたメンバーとともに、苦しい練習に耐えながら4年間陸上競技に打ち込むことができました。
特に今年執り行われた3回にもわたる夏合宿では、どの学年の選手であっても、
「今年箱根駅伝出場を決める」
という強い意志が練習・生活の中で垣間見える、過去一アツい夏を過ごすことができました。
こんなに陸上競技に集中できる環境があるのは、ひとえに日ごろ応援してくれる方々のおかげです。
特に、今年実施いたしましたクラウドファンディングでは述べ350人、合計9279000円ものご支援をいただきました。本当に感謝してもしきれません。
この御恩に報いるためには、「箱根駅伝本戦」という形でしか返すことができたいと思っています。
是非僕らの「選択」が「正解」になったかを立川で見届けていただければ幸いです。
最後に
最後に感謝の気持ちを込めてメッセージを書きたいと思います。
長距離ブロックのみんなへ
去年の予選会の結果発表後。出走したメンバーも応援・サポートに回ったメンバーも悔しく、涙を流していた姿が今でも印象に残っています。それだけこのチームが本気で箱根駅伝本戦に賭けていた想いが大きかったことがひしひしと伝わりました。
本戦に行けなかったことは自分自身もほんとに悔しかったし、やれることを全部やりきった中での敗北は心に来るものがあったけれど、みんなのその熱い想いのおかげでこのチームはまだ強くなれるなと感じたし、来年こそ勝てると確信することができたレースになりました。
その想いは最近走りにもちゃんと表れているように感じます。
特に去年までBチームが散々言われてきた「前との距離を開けない」という課題。
前まではペースを守ってればいいやとどこか自分本位な走りをする選手も多かったけれど、「自分がこのチームの雰囲気を作るんだ」という当事者意識が芽生えたからか、チーム内で声を掛け合ったり、離れそうになっても何度もスパートをかけて集団から離されまいとする姿が見られました。
そんな泥臭い走りを見て、自分も負けられないなとすごい刺激をもらっていました。
そんな高い意識で練習をこなしてきたところを見ると、本当に去年の何倍も強いチームになったなと思えるし、実感している選手も多いと思います。
でも、「結果」を出さないことにはそれは証明できません。
俺たちなりに頑張ったでは評価はされません、残念ながら。
こんなに頑張ってきたメンバーを見てると報われないのは自分としてはとても悲しいです。今までの努力がちゃんと評価されるように、「頑張った」じゃなく「結果」にこだわって最後まで一緒に戦おうね。
信じてるよ。
田島公太郎へ
書くかすっごい迷ったけど、君なしではここまで走ってこれなかったと思うので、書きます。恥ずかしいのでリアクション不要です。
いつも思うのは、田島は自分とは真逆の人間だなということ。
音楽の好みも違う。趣味も走ってきた環境も何もかもが違う。
高校時代には都大路で優勝争いをしたり、1年には関東学生連合として箱根駅伝を経験したりと根っからの駅伝漢で。
友達だったけど、どこか自分の世界とは別の住人の憧れの存在として見ていたように思う。
それが変わったのは君が駅伝主将としてチームを引っ張り始めてすぐの時。
記念館前で過呼吸っぽくなって座り込んでいるのを見かけた時。
あの時の君は苦しそうに何かと戦っているように見えた。
思えば、2年生から幹部を任されて、長距離ブロックが他ブロックと違う動きをできるようにうまく立ち回る必要があって、それでも自身は結果を出すことが求められて、何もかもが戦うべき敵に見えていた時期だったんじゃないかなって思う。
その姿を見て、
田島が強いだけじゃダメだ
当たり前だけど、見ようともしてこなかった事実にようやく気付かされた瞬間だった。
その日から田島と一緒に戦えるくらいに強くならなきゃって思えた。
3年の予選会の直前。
「ヘアピンのすれ違いでガッツポーズするから、送り返してくれ」
と頼んでくれたとき、2年間も情けない結果を出していたのにそれでも期待を込めてそうお願いしてくれて本当にうれしかった。
公園入ってヘアピンまでの5km弱。止まりそうな脚を動かしてくれたのはこの約束だったよ。
君の期待に応えられるまで3年もかかってしまったけれど、ようやく君と肩を並べて戦えるまで強くなれた。
あの日を過ぎても田島が頑張ってチームを引っ張ってくれたから、
どんな理不尽にも仕事でも全力投球でいてくれたから、
みんなが本気で箱根駅伝を目指す環境が守られてきたと思う。
チームのためにここまで頑張ってくれた田島と一緒に箱根路を走りたい。
そのために今年はヘアピン越しにじゃなくて、ちゃんと隣で戦ってみせる。
勝つぞ、ハムタロー。
今まで一緒に走ってくれて心からありがとう。
ってな感じで僕の予選会前最後のブログを締めさせていただきます。
拙くて長いブログをここまで読んでくださっている方は間違いなく僕のファンですね。いつもありがとうございます。
明日は尼子君です。
普段の彼は食べてる最中に口の中身見せてきたり、ゲップしたりとなかなかにきったねぇやつですが、ポイント前の準備やセルフケアを人一倍徹底してやるアスリート精神の強い、慶應自慢の選手です。
そんな彼ですが夏合宿での怪我の影響で予選会のエントリーから漏れてしまいました。
4年間も共に生活し、練習して戦ってきた同期と最後の予選会を走れないことほんとに悔しいです。
彼にもう一度走る舞台を用意するために、彼と箱根路を一緒に走るためにも予選会当日は死ぬ気で本戦への切符を勝ち取りに行きます。
それじゃよろしく!
陸の王者の挑戦まであと9日🔥