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坂本龍一と陸上競技のピーキング論

3年の鈴木太陽です。
あけましておめでとうございます。
1月は地に足ついた落ち着きがありつつもおめでと〜みたいな雰囲気が大好きです。朝練は寒いけど。

先日、ひょんなきっかけで坂本龍一展を見に東京都現代美術館に行ってきました。
今回のブログでは、「波」というキーワードに焦点を当てて、坂本龍一展の話から世の中の話、陸上競技のピーキングの話へと繋げていきます。
まぁとりあえず、下のリンクからBGMを流して読み進んでください。
Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)/ 坂本龍一 です。


坂本龍一展「音を見る、時を聴く」


坂本龍一と聞いて、「名前は聞いたことあるし戦場のメリークリスマスくらいは知ってるけど、、」という人がほとんどだと思います。紛れもなく僕もその一人でした。
坂本龍一は音楽家、作曲家であり、映画音楽や環境問題への取り組みなど幅広い分野で世界に影響を与えました。
今回の展示のテーマは「音を見る、時を聴く」。坂本龍一が追求してきた音楽の世界観が、視覚的に表現され、没入していく構成になっていました。
そして僕はこの展覧会を「波」というキーワードの視点から眺めてみました。

例えば、water state 1という作品では展示室の中央に一見鏡と見間違うほどの澄んだ水面を持つ黒い水盤があり、大きな石が周囲に配置されています。部屋いっぱいに響く音とともに、天井からその水面に水滴が落ちていくのですが、その水滴のリズムは過去10年の東京の地域の降水量データを抽出し、1年ごとに凝縮したデータを用いているようです。

water state1

時間の流れという波が凝縮され、音という波とともに、水滴となって水面に視覚化されていきます。

水面の模様をぼーっと眺めているうちに、過去10年の東京の雨がリンクし響いていくような感覚になります。

このように、会場には、彼が作り上げた音や映像が絶妙なバランスで配置されており、ただの展示ではなく空間そのものが楽器であるかのような感覚でした。
音楽という目に見えないものが「視覚的な形」に変わる。それを体験できるのが、この展覧会の面白さでした。
そして、坂本龍一が生涯をかけて追求してきたテーマのひとつに、「波」という概念があったのではないかと思わせる展示でした。
ピアノの音や自然、人の営みの中に、さまざまな「波」を感じました。
また、彼の音楽にしばしば登場する自然音、風や雨、波の音も、僕たちの日常に潜むささやかな「波」を改めて意識させてくれました。

特に印象に残ったのが、坂本龍一が語った「音楽は人間の耳に聞こえる振動のほんの一部にすぎない」という言葉です。
この言葉を咀嚼すると、音は波そのものであり、その波が人間の意識や感情にどう作用するかを、彼は追求していたのだと気づかされました。
波長が異なれば感じ方も変わり、同じ曲でも聴く人やタイミングによってまったく異なる世界が広がるのではないか。

展覧会を通じて、僕がぼんやりと感じていた「世の中の事象はほとんど波である」という思いがさらに強くなりました。
そして、坂本龍一の音楽を聴きながら、この「波」というテーマを自分なりに掘り下げてみたくなりました。

世の中の事象はほとんど「波」である


もともと僕は、世の中のほとんどの事象は「波」である、と言うイメージを強く持っています。
さっきから何度も出ている音の波は、まずひとつそうです。高い音ほど音波の波は細かくなり、低い音ほど緩やかになります。
生命の源、海ももちろん波です。
あとは心電図なんかも心臓が血を吐き出し、吸い込んでいく際の波ですよね。
心泊の波の停止は、基本的には死を意味するでしょう。

波🌊

身の回りに目を向けてもたくさんあります。
例えば経済の波。景気の拡大と衰退の波が繰り返されています。
政治の世界もです。遥か昔から、例えば平家物語の「諸行無常の響きあり」「盛者必衰の理を表す」なんて言うのは平家の興隆と衰退の波と言えます。現在でも左右の波など様々です。
身近でいうと流行の変遷も波と言えるでしょう。服も音楽も、世の中全体で見ても個人の好みで見ても、その流れは目新しさと飽きの輪廻、すなわち波といえます。哲学などに関連する思想、あるいは宗教などの流行り?も、波と捉えることができるのではないでしょうか。
量子力学の視点でも、すべての物質は波としての性質を持っているようです。

人間関係だって波です。
ある時は親密で、またある時には距離を感じたりすれ違いが生じたりすることもあります。距離感の変化も波と捉えています。
2時間の会話一つとってもそこにはいろんな話題の波があり、距離感を調整する波があり、またその会話を音という波で発しています。
「あの人とは波長が合う気がする」の”波”は、分解するとさらに細かな無数の波が関わり合っていそうです。

焼肉を食べる手順だって人それぞれに波があります。
タンから入り、カルビで燃やすのかはたまたロースなのか、大きなステーキを焼くタイミングはいつなのか、冷麺は〆なのかそれともチェイサーとして肉の途中に挟むのか。

そして今、あなたがこの文章を読んでいるこの瞬間にも「時間」という波が流れています。
このように、この世の中のほとんど全ての事象は「波」であるというイメージを、よくも悪くも、僕は強く持っています。

あらゆる波を「此処ぞ」に合わせる


このような波はもちろん陸上競技にもたくさん存在します。
そして、ピーキングとはこの数多にある波の1つでも多くを「此処ぞ」の舞台に持ってくることだと僕は考えています。

いわゆる長距離選手のピーキングや能力開発を考えるときの大事な要素が、ダメージと超回復の波です。ありきたりにはなりますが、基本の振り返りとして。
大前提、練習は身体にダメージを与えるものです。練習をすると一時的に身体能力は下がります。そりゃそうです。練習した直後にTTをして自己ベストは出るわけがありません。
その後の回復期(ジョグでゆったり繋ぐ2,3日)を経て身体能力が元々よりも少し高くまで回復する、そこにまた身体に刺激を入れていく、繰り返しです。

このような1回1回のポイントの波(3,4日周期)がありつつ、もっと大きなダメージと超回復の波もあります。
冬季練習や夏合宿はしっかり詰めている場合、どちらかといえばダメージ寄りになり、その後1ヶ月あるいは数ヶ月かけて細かな波を繰り返しながら大きく超回復していきます。
このダメージを入れるタイミング、回復具合の嗅覚こそが”陸上競技者のセンス”の重要な要素の一つだと考えています。

小さい頃、お風呂で身体を前後にゆっさゆっさと揺らしてして波をだんだんと大きくしていった経験は誰もがあるのでは無いでしょうか?
僕だけですかね笑、きっとあるはず。
波に同期して体を揺らすと波はどんどんどんどんと大きくなり、溢れんばかりの大波になります。
一方で、ただがむしゃらに早く体を前後に揺らしたところで、波のタイミングに合わせることができないと、大波どころかぐしゃぐしゃと水をかき回しているだけになってしまいます。

どのタイミングで体を揺らすか、このイメージをどれだけ陸上競技に落とし込み、どのタイミングでどんな刺激を身体に入れるか。
そして、大波を作り出して、その頂点をパシッと「此処ぞ」に合わせることができるか。

陸上競技における波はパッと思いつくだけでも以下のようにたくさんあります。

短期的な波=日々のトレーニングやコンディション管理
・ダメージと回復、超回復(週2回の波)
・1日ごとの調子の波:睡眠の質、栄養摂取、ストレスレベル、生活リズムなど
・レース中の集中力の波
・乳酸値の波
・VO2MAXの波
・ランニングエコノミーの波
中期的な波=ピーキングに向けたトレーニングプランの基盤
・1週間程度の調子の波:トレーニングサイクル単位での強度や寮の調整
・1~2ヶ月程度の期分けによる波:数ヶ月単位でトレーニング強度や目的を変えていく
・レース中の駆け引きの波:ペースの上げ下げやスパートのタイミングなど心理戦に直接関わる
・メンタルの波(中期):数週間単位での精神的なモチベーションや疲労感の変動。プレッシャー
長期的な波=大会やキャリア全体を通じた計画
・半年程度の怪我等に関連した調子の波
・大学4年間における活躍タイミングの波
・人生全体における活躍タイミングの波:選手寿命、ライフステージ

さらに分解していけば無限に出てきますが、このように数多ある波の、出来るだけ多くを「此処ぞ」に合わせていくことこそが”ピーキング”だと考えています。

波をどうコントロールするか


世の中にも陸上競技にも波がたくさんあることは分かった、でもじゃあどうやってその波をコントロールするの?と言う話です。

その方法は無数にあると思いますが、ここでは、

①長期視点からの谷の管理
②気持ちの波をコントロールするテーマ設定と音楽の力
③ルーティン設定による微調整

の3つを取り上げたいと思います。あくまで鈴木太陽の場合は、の紹介です。

最終ゴールの設定として、自分なりに「どんな状態で『此処ぞ』の舞台のスタートラインに立っていたいか」をイメージし、そこに向けて上の3つを駆使しながら波をコントロールしていきます。
僕の場合は”心身ともに”、”心の底からワクワクしつつ地に足のついたチャレンジャー精神を持った状態”が最終ゴールです。
「ワクワク×メラメラ×落ち着き」が自分の中で絶妙なバランスになるように、筋肉の張り具合からメンタル状態まで様々な観点で調整していきます。

まず、「①長期視点からの谷の管理」ですが、例えば期分けによる数ヶ月単位の波を例に上げると、狙った試合から逆算した時にどこに谷を持ってくるかを設定し、谷を作っていきます。
あえて距離を踏む、あえてジョグのペースをゆっくりにする、あえて流しを入れずに動きづくりで代替する、あえて登りでの流しにとどめ俊敏さは出さないようにする、このように、あえて身体を動かなくする状態を作ることで意図的に谷を作り出します。夏合宿の意図はこの側面が強いでしょう。そのバランスは要検討ですが。
日ごとや週ごと細かい波あるいはメンタルの波に着目する時も、山を生み出そうとするよりも谷の周期やリズムを頭に入れ、その谷のリズムを調整しながら本番に山を合わせるようにする方がいい時もあります。

続いて「②気持ちの波をコントロールするテーマ設定と音楽の力」です。
坂本龍一の「波そのものである音が、人間の意識や感情に作用する」とはまさにここにもリンクしてきます。
1つの試合に対してどのようなテーマ設定をするかで日々の気持ちの波の生まれ方、そこから生じる筋肉の緊張具合、試合中の集中下における駆け引きの波の生まれ方もまるで変わり、設定したテーマがその時の自分の気分と舞台にハマればハマるほど大きな力が生まれると考えています。そして個人的にはそのテーマに即した音楽がピタッと見つかると、深く集中した領域に持っていけることが多いです。

「音楽」は、僕にとって陸上競技の波だけでなく日々の波をコントロールするにも大事なツールで、その時の気分やテーマにピタッッッとハマる曲に出会うまで延々と、これじゃないあれじゃないと色々な曲を周回します。
大事なのはその時の本当の気分に合うもの。今の自分の気分は波のどこの部分に当たるのかを見極め、それとズレがない曲を探していきます。
例えば気分が谷底にいる時にポジティブ全開の曲を聴いても刺さらないことが多い。今の自分の波の位置に則しつつ、気持ちのベクトルを少しだけ上に向けてくれる曲に出会うと波を上方向に持っていくことができます。反対に、さっきの谷底周期の管理の観点から、わざと気持ちを落としたい時はベクトルが下に向くような曲と出会うまで周回します。

最後に、「ルーティン設定による微調整」です。
波の観点において、ルーティンとは半ば強制的に波が通る道を定める行為だと考えています。イメージとしては、川の流れの方向を整えたり、分断・制御する「水門」のような役割でしょうか。
あまりこの水門を置きすぎるのも波の自由度が少なくなってしまうというデメリットもあるので、バランスを見ながらですが、僕は試合前のルーティンをいくつか決めています。

・召集所でネックレスをパチっと外して、身体ひとつで戦うぞという意思を示す。
・スタート直線に肩をぐるぐるして体側を伸ばした後に、両肩をぱっぱっと振り払い、埃やプレッシャーを肩から振り落とす。

よく見ると、こんなルーティンを高校生の頃からずっとしています。
このように、どんな状況でもこのタイミングでは必ずこれをやる!というのを決めておくと、波の最後の微調整として効果的なのかなと思います。
また、日々の中でも水門として適切なタイミングにルーティンを置くことができると、波のコントロールがしやすくなるのではないかと思います。

このような方法も用いながら、いくつもの波をコントロールすることを試みます。ただ、全ての波をコントロールするのは無理であるということも頭に入れ、どの波ならコントロールしやすいか、結果へのインパクトが大きいか、という観点で取捨選択してくことも必要だと思います。

大事なのは、波は乗るものというイメージが強い中で、それだけではなく、できる限り自らの手で生み出し、コントロールしていく姿勢を持つというところです。

時に波をぶった斬る強さも必要


ここまで波の重要性を散々書いてきましたが、時に、「波をぶったぎる強さ」も必要だし、「強者」の本質はそこにあると思います。

例えば試合中の展開の波の影響をもろに受けるのがサッカーなどの球技でしょう。
自分達のチームがリードしていて、ゲーム展開的にも観客の雰囲気的にも良い波に乗れてる時は、体が良く動くのは当たり前です。
そうではなく、負けてる時、体が動きにくく視野も狭くなりがちな時に、流れや波を引きちぎって得点を決められるかどうか。
「ゲームチェンジャー」になれるかどうかが、もう一歩先に行けるかの分かれ目だと思います。

焼肉の食べる手順の波において、周りが当然のようにタンから食べるときに、いきなり石焼ビビンバを食べ出すことも時には必要ということです。
どよめきます。間違いなく強者です。
意味が分かりません、焼肉の一番はじめと言ったらタンじゃないですか。

でも自分はそう言った固定概念(=今までの文化が創り出してきた波の脈絡)に囚われがちなところもあります。
「焼肉の一番初めといったらタンでしょ!」「居酒屋の一番初めといったらビールっしょ!」という固定概念に対して、時に疑問を抱きつつも、結局喜んで巻かれにいくタイプだということです。悪いとは言ってません。

一年前に書いたブログ↓↓↓では、一本の線に縛られずに自由に勝負したい!!と書きましたが、その言葉の背景には良くも悪くも波という一本の線を重視にしてしまう自分の性格があります。

流れ=波なんかに縛られずその場の一発勝負で魅せたい、と言いつつも、それは願望や憧れにも似たものであり、時にその憧れを内包し成りきれている時もあれば、波をめちゃくちゃ意識する本来の自分が顔を出す時もあります。
本来の自分というのもおかしいかもしれません、どちらもありのままの自分です。

波を意識することのメリットは過去・現在・未来を線で結び、長期的な視点から計画を立てられることです。
波を意識することのデメリットは過去・現在・未来を線で結んでしまうことで、時にその流れに囚われてしまうことです。

となると一長一短、どちらの良いところも取り入れるしかない。

準備の段階では波を意識して、波を自らの手で出来る限りコントロールして、乗りこなせるよう精一杯努力して、
此処ぞの一発勝負では、いい波には乗っかり、悪い波は引きちぎり、その波の概念すら忘れてその時一発の大きな走り、結果で魅せられるようになりたいものですね。

*  *  *  *

終わりに、
今回のブログでは、坂本龍一展から導入し、世の中全体の話から陸上競技の話に繋いで行きましたが、この陸上競技における波のコントロールをそのまま人生に活かすことも可能です。というか活かさなくてはなりません。

そもそも、人生は波である、という俯瞰的な視点を持つことで、いい時も、悪い時も、自分の好きな自分でいられている時も、そうでない時も、全部丸ごと自分の一部だと受け入れる手助けになると考えています
そして、自分にも他者にも波があり、そして世の中にもあらゆる波があることを常に念頭に入れ、大きな心でどっしりと世の中と対峙できるようになりたい。
それこそが、坂本龍一が東日本大震災の復興や環境問題へも取り組みながら、その精神性を音楽という波に乗せて伝えようとしていることなのではないでしょうか。
完全に主観が入りまくりの考察ですが。笑

坂本龍一展、3月末までやってるのでぜひ

と言うことで
”さぁ波たちよ、かかってきなさい”
という言葉で締めたいと思います。

2025年も鈴木太陽をよろしくお願いします!!🐍
次はこうたろうです。

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