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コロナ禍の「高揚感」と刷り込まれる「罪悪感」~持つべきは「安心感」~

これは、自省も込めて書きます。
そして、いつもはなるべく典拠を明示するのですが、ほとんど主観で書きます。

「普通で居ること」で生じる罪悪感

ある朝、テレビのニュースを観ていました。
いつ観ても、コロナの話題ばかりです。

コメンテーターとして出ていた、国際政治学者の三浦瑠麗さんが、こんなことを言っていたのが印象に残りました。
私の記憶なので、文言自体は正確ではないのですが、何となく趣旨を書きます。

今のこの帰省・自粛は、例えば恋愛関係など、人間が自然に営んでいたことや、コミュニケーションまで規制する流れになっていて、
潜在的に、自分のやっていたこと(やっていること)が悪いこと、という刷り込みになる。だから皆ギスギスしている」

ということを話していました。
特段、規制・自粛をやめようという意図ではないと感じられましたが、東京都が規制を強化する、という話題のときに、こういった形でコメントを加える辺りが、この方らしい視点だな、と思いました。

外出をする、遊ぶことなどを「自粛してほしい」というムードが、次第に「自粛しないなんてけしからん」というムードに変わってきたように思います。  

私は地方の人間なので、例えば上京した人が帰ってきてコロナウイルス陽性反応だったとなると、えらいことになって「どこの誰だ!?」「あそこには近寄らないようにしないと!」みたいな反応をしている光景も見ましたが、

そうしているうちに、我々は、これまで普通に行ってきていたことを自粛せざるを得ない状況になり、コロナウイルス陽性だった人だけでなく、「普通の行動をしている」という人ですら、非難される対象になるようになりました。

そうした「普通の行動をしている人」が非難される空気感が、そうした人に「罪悪感」を刷り込んでいる、というのが三浦瑠麗さんのコメントの趣旨だと思います。

有事の高揚感

三浦瑠麗さんの言ったギスギス感だったり、普通の行動をしている人が非難される要因として、世間でも聞きますが、いわゆる「有事の高揚感」のようなものがあるのではないかと思います。  

そうした「高揚感」に任せて、多くの方から「コロナ対策のために私はこういうことをしています!」というメッセージが強く発せられることが増えて、
そのメッセージは、(現状)「コロナ対策ができていない人」だったり、「通常通りに動かざるを得ない人」にとっては強いプレッシャーとなることがあります。

お寺でいうと、「人が集まるような行事を開催しない」(あるいは無観客)とか、法要のライブ配信をするとか、そんなメッセージを、(正直な書き方をすれば)「飽きるほど」見ました。  

(ここは私の反論ですが)でも、そもそもいつも少人数で行事・法要をしているお寺まで、その流れに乗る必要はありませんよね。
あるいは対策をしていても、それを逐一ネットで発信する必要はないとも思います。

今はインターネットでそうした強いメッセージが発せられるようになり、その光は、一見(インターネットで見ると)対策をしていないように見える人に影をつくり出します。
お寺で言えば、私の自坊は(今は)何とかやっていけていますが、経済的な事情もあり、行事や法要の一時的な中止という選択も取れないお寺は、非常に辛い状態にあるのではないかと思います。

インターネットで言えば、発信する側は「高揚感」にまかせて発信をしたりせず、「自分の発信を周りが見たらどう思うか」常に考えながら発信する、そんな配慮も必要なのでしょうね。この辺り、周りでもそういう人はいますが、私も自省するところでもあります。

「高揚感」と「罪悪感」より「安心感」を

では、有事の「高揚感」と「罪悪感」とでギスギスしてしまうこの状況で、皆がどういう心持ちになったら良いのか、正直明確な答えは出ません。

出ないなりに考えたのが、1つには「安心感」が鍵ではないかと思っています。
仏教的に言えば安心(あんじん)ですが、安穏(あんのん)という言葉もあったりします。

いわば、我々は、このような状況の中で、行動を変えなくてはならないことがあっても、心を変える必要はない、ということだと思います。

先ほど、発信側が「高揚感」にまかせず発信をしない、ということを書きましたが、反対に罪悪感を感じる人は「犀角独歩(犀の角のように独り歩む)」というような、もはや要らない情報を拾わず「私は私」としての心持ちを保つ。
自分の心まで変えてしまう必要はありません。

これ、実はすべて「情報リテラシー」(情報活用能力)の話だったりもします。この言葉自体は、私は中学生くらいで耳にしていたので、随分昔から言われているのですが、このコロナ禍という有事で、一気にオンラインを中心とした双方向でのやり取りが増えて、日本人の情報リテラシーがまだ追いついていないのだと思います。

もう1つ、安倍首相の「オンライン帰省」という話が突飛すぎて話題になっていましたが、そう考えると、「身体は規制する」けども「心は帰省する」というのも、結構仏教的な発想じゃないかな、と勝手に想いを至らせたところです。


森下 恵王 合掌
―――――――
身延山宮崎別院 立正寺 副住職
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