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自分を認めてあげようとか、ありのままでとか言うけれど、ぼくはとりあえず動物を目指すことにした


ぼくはそれなりにコンプレックスやトラウマがある。

強がって弱い面を隠せばいいものの、そういったことを無理してすることも疲れてしまうのでうまく突っ張れず、さらけ出しつつも結局傷ついて凹んだりする。

初対面が苦手だったり、見知らぬ人が集まる場が極度に嫌だったり、外観に関するコンプレックスなど、人からしたら取るに足らないことだったり、興味もないことだったりすることも気にしまう。

敏感すぎたり気を使いすぎるところがあるし、自分が見ている意識より見られている意識の方が優位な場合も結構ある。特に海外では平気だけど日本の環境にいるとそういった面が強く出る。

—— 〻 ——

ところが周りからはそんな風には見られていない。堂々としていてピリッとする雰囲気があってとてもしっかりしていると思われていてそういう風に言われる。初対面だと額に汗してしまうのが嫌で嫌で仕方ないのだが、周りは案外熱いのかなあくらいにしか思っていないらしいけど、自分としてはドンドン気持ちが追い込まれてしまう(といっても最初の5分とか10分で落ち着くけど自分では嫌で仕方がなかったりする)。

自分が自覚しているダメさや、だらしなさを周囲が感じていないとしたららぼくはいったい何を凹む必要があるのかと思うことはあるけれど思考は止められないものだ。

自己肯定感をどうしたらあげられるかとかアドラーの嫌われる勇気を読んだり、自身の持ち方など色々な本を読んでは納得はできるんだけど特に変わることはできていない。

—— 〻 ——

一方でありのままの自分を愛するというエルサ女王の言葉のような、今の自分を好きになって!ということや、ありのままを受け止めて生きよという仏教や禅的な本を読んでありのままを認めようともしているけど、心底そのようになるにはまだまだ修行が足りないらしい。

他の方法として考えない方法ということを説いている本も結構ある。考えないために目の前のことにいかに集中するべきかとか、忙しくするとか夢中になるとかそういった本だ。確かにその通りだけど常にそれができるわけでもなく波があったりするので継続が難しい。

—— 〻 ——

このように、ぼくのような悩みは大半の人が持っている悩みであるようで、本屋に並んでいる本を頭の中で仕分けしてみると以下の3つのアプローチに分けられると思う。

自分を変えていく方法

ありのままを認めていく方法

考えないようにする方法

だいたいこの3つに分けられる。

どれも有効な面があってそれぞれ響いた人、変わることができた人が自分の方法を主張して本にしているといえる。万能薬はなく、響く、響かないは人の性格やその時に直面している悩みの種類にもよる。

ぼくはこういったさまざまなアプローチを取り入れながら、できることは取り入れながら、また忘れたり、良くなったら悪くなったりしながら日々を過ごしている。

自分で気にしている「自分が悪いと思っている自分の一面」が頭に溢れてきたときに救いを求めてその時響いた3つのアプローチに触れていて本を読んだり、人から同じようなアドバイスをもらって一定の効果があったりなかったりする。

—— 〻 ——

ぼくは転校しまくった学生時代を過ごしたこともあって周りを見ざるを得なかった。海外も含まれるから子供ながら異文化に放り込まれたことも影響しているだろう。

社会人4年目くらいに鬱気味になったあとに、色々と救われてジワジワ回復したけど未だに全く完全には回復しきっていなくて一生自分の中で変わらない部分として定着してしまった後天的な特性も影響しているだろう。

総じて家族もいて貧困にもいまのところならず幸せだし、やる気をもって仕事を充実させているけど、人間というのは欲が深いもので、いまの幸せを脇にやって、もっともっとと求めてしまう。

—— 〻 ——

人間の脳の構造的な欠陥かもしれないが、障害をもったり過酷な生活を送っている人もいることを忘れ、いまの幸せやありがたみを忘れ、自分のダメな部分やコンプレックスを気にしていかに自分が不幸せかを考えて心を病む。

そんなことを考えながら、思考に毒されない動物のことについて、詩人のウォルトホイットマンの「草の葉」という詩集の一節を思い出した。

「動物は落ち着いていて無口だ。彼らは自分の境遇を悩んだり泣き事を言ったりしない。誰も不満に思うことなく、誰も物欲に狂ったりしない。格好つけるものもいないし不幸なものもいない」

この言葉が好きで忘れられない。

たまに飛行機に乗ると自分の小ささを実感するものだが、普段いかに小さいことに終始してしまっているか気づかされる。生きること、この瞬間の血が通った今を生きている。

きっと動物にはコンプレックスとかないし、トラやウマにはトラウマはない。


ぼくは迷い、悩み、グジュグジュ考える。考えまくる。考えないということがぼくには無理。

だとしたら、できることはやりながら考えることしかない。意思決定はした上で、走りながら考える。とにかく初動を早める。仕事では最も得意としていることだが、自分のことになるとなぜこうも迷うのか。

そんなことを考えた。

とりあえず飼い慣らされた動物園の動物レベルからかもしれないがスタートし、サバンナの動物のような凛とした動物になれるように日々進んでいこう。

keiky.

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