友達だと思ってたのに
「友達だと思ってたのに…」
こんな直接的な言葉は
私は言われたことはないが
考えてみた。
そう思わせる
そう言われているように感じることは誰でもあるのかもしれない
そして
相手は友達だと思ってなかった
と言う悲しい現実もある
この言葉が出て来るってことは
○相手が交友関係が広い
○実は私生活を全然知らない
○相手の友達の比重が違う
こういうことなのだろうか…
○相手の友達の比重が違うについて
仕事、プライベート、趣味、家族、友達、恋人のてっぺんに友達がいないと言うことです
損得勘定なしに時間を作れる人が友達を超えた親友なのかもしれないが、その親友が沢山いる人もいるのです
そして
「みんな友達」と言う思考の人もいるのです。
多分本当に友達がいない人から出て来る言葉なのかもしれない
相手の話を聞いてあげてましたか?
自分が言いっ放しではなかったですか?
相手が実は合わせてあげてるだけだったことって往々にしてあるのかもしれない
秘密を共有しているからって友達とも限らない
逆に秘密を共有しているから友達ではないと言うこともあるがこれは2つに別れる
○倫理を超えた関係
○たまたま知ってしまっただけ
SNSが普及して来た現在
ちょっと見てるだけでたまたま入ってしまった情報と言うものがある
「見なきゃいいのに」
と言う人は多分相手のことを全くわかってない
「それならアップしなきゃいいのに」
流れ弾に当たった場合なのでこういう言い分です
損得勘定なしで秘密を共有出来る相手が友達なのかもしれない
相手が窮地に陥っている時に心が動くか、そして行動に移せるか
最後に行動に移せた場合はリスクを自分も負う場合が多いので、それが出来る人に出会えたら幸いなので大切にして欲しい
「話が合って一緒にいられれば友達と確認しなくても友達でしょう」
こんなことを言ってくれる人に出会ったら、自分の魂と心が成長出来るソウルメイトなのかもしれない
そして取りこぼしている場合もある
それは相手が誘って来たのに、時間を作れなかったり、そのままにしている時である
相手は会う場所からやることを時間をかけてリサーチして現地に赴いて下見していることもあるのです
それくらい
友達をつくること
関係を維持することは
大変な作業なのである
だから
気軽に
「友達だと思ってたのに」
なんて言ってはいけないのです
そして相手の話を聞きたくないから断ると言うことも出来るのです
それは
犯罪に繋がるような内容の場合です
私は子供の頃の友人の性的関係の内容を全て聞かざるを得ない状況がありました。
これは同性でも
同性だからこそ
犯罪になるのです。
知りたくないこと
自分がイヤだと思うことは
断ってもいいのです
誰かに助けを求めてもいいのです
それはもう友達ではないのです
相手が依存しているだけなので、やはり一方通行なのです
相手の態度を見ればわかります
友人だけではなく家族に対して横柄な態度をしていて、そのお母さんがあまりにも可哀想な時があり、そのお母さんに頼まれていることもあるのです。
間に誰かが介在している場合
これは友人関係としては本当に危険なのです
イヤだと思ったら
相手を見捨てていいのです
友人だから何でも言っていいなんてことはやはりないのです
甘い蜜は禁断の果実
楽園を追放されると言う覚悟が出来た時に自由と言うものがその先にあるのです
自由を束縛と思うか
束縛の中に自由が存在するのか
自分自身だけで決められないことは専門家に任せた方が無難です
タロットカードの隠者のカードってこういう意味なのかな…