父のあれ
父のあれというと、パチンコ麻雀、女の人に酒、さけ、酒。
いいところまでいったアマチュア将棋も、
お酒にまみれて大会へ臨むものだから、出禁になってしまいました。
そのうち自転車に乗るにもお酒の力が要るようになったその秋に。
亡くなりました。
黒のジャージと酒焼けの首元。脂ぎった髪の毛。
父を思うと、芋のツルのようにでてくる感覚的なもの。
そしてにおい。どんなに逃げてもにおいはついてくるものですね。
まだ赤ちゃんだった子を連れて歩いたその町のにおいは、父と同じにおいがしました。
商店街の店先には黒のジャージがならび、道行く人はお酒の小瓶を片手に
歌を歌っていたり、そのまま座り込んで目をつぶって揺れていたり。
裏道には、木のついたてにたくさんの鳥居が赤いペンキで描かれてあって「小便するな」とあります。
どこかの人が二人して、大きいのや小さい鳥居のしるしを目がけて用を足していました。笑い声といっしょにおしっこの熱いにおいがあがりました。
坂道の土手側には、たくさんの立て看板を持った方々がいました。
大声で歌い、叫んでいます。いっしょに流している音声が大きすぎて何を叫んでいるのかは聞き取れません。
道を挟んだ深い側溝には、はだかのひとが倒れていて何人もの人に囲まれていました。見ると、肌の色は紫色で全く力が抜けているようす。
だれかがおまわりさんを呼んでいます。
子が寝ていてよかった。
こわくはありませんでした。
長かった駅までの道中、ずっと父のことを考えていました。
この街で生きる父を想像していました。
好きなお酒がこれほどあって。
好きなジャージもあふれていて。
パチンコ屋も飲み屋さんもたらふくある。
少し行くときれいな料亭も立ち並んでいて。
それなのにどれだけ想像しても、ちいさなアパートの小窓からそっと顔を出して群衆をながめる、大酒にまみれて赤い目をした父しか思い浮かばない。
誰かと一緒にわらいながら、赤い鳥居におしっこをまき散らせる姿がどうしても浮かびません。
ひとりぽっちの父。
父が亡くなってもうすぐ25年。
あれから何度かその街を歩いています。
父のことは思わずに。
ひとりで大事に歩いています。
ひとりぽっちを感じていたのはわたしです。
あんなにもこんなにも…自分はさびしかったのだな。
さびしすぎて、すぐそばで人が亡くなるこわさにも気づかなかった。
気づけた今は、街の危うさが少しこわいです。
わたしのなかに、においのように侵入していた父の気配はずいぶん薄まりました。
あぁそういえば。
あなたの大好きだったあれが、アレだそうです。
よかったね。
安らかで…。