
おすすめのレポート
私が2012年から少しづつ書き溜めてきたレポートの中で(現時点における)おすすめのものを挙げてみます。素人の方だけでなく職業的哲学研究者の方たちにもぜひ読んでみてほしいと思います(というかむしろそちらの方向けだと思います)。 レポート一覧はこちらです(経験論研究所:レポート一覧)。
ウィトゲンシュタイン:論理はアプリオリではない
論理空間とは何なのか ~野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』第8章「論理はア・プリオリである」の分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report41.pdf
・・・論理空間に関してここまで徹底的に説明したものはおそらく他にはないのでは。分析哲学者ではここまでの分析はできないと思います。
「語りえない」ものとは? ~ 野矢茂樹著、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む、第1~3章の分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report35.pdf
・・・野矢茂樹著、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(筑摩書房、2006年)の第1章から第3章まで(最初~74ページ)の分析です。
野矢氏(とウィトゲンシュタイン)は、「思考」とは何か明確でないまま「思考の限界」について議論しようとしており、そのため思考の限界と言語の有意味性の問題が混同されてしまい論理が錯綜しているように思えます。さらに事態、事実、対象、命題、名、像といった用語の位置づけが私たちの実際の具体的経験と齟齬をきたしているため、言葉(論理も言葉です)の有意味性の問題を正確に分析できていないのではないでしょうか。
本稿ではこれらの用語を、私たちの実際の具体的経験に沿った形で捉えなおした上で、「語りえない」ものは「論理」ではなく「言葉と事態・事実との繋がり(対象と名との繋がり)」であることを明らかにしてくものです。
「本質」という倒錯:哲学という学問に広がる言葉の意味に関する誤解
「本質」という倒錯:竹田現象学における「本質観取(本質直観)」とは実質的に何のことなのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report37.pdf
・・・竹田現象学における「本質観取」「本質直観」とは実質的に何を示しているのか、どういった意義を有するのか、竹田青嗣著『現象学入門』(NHKブックス、1989年)を分析しながら具体的に説明しています。
そもそも「理念」「本質」というものが実際に具体的経験として現れているのか、竹田氏の”経験観”に対しても疑念を抱かざるをえません。ただ、竹田氏による「本質観取(直観)」に関する見解は、真理、そして言葉の意味について二つの重要な論点を明らかにするという意義も有しています。
先ほど紹介した以下のレポートも、言葉の意味に関する哲学者たちの誤解を指摘するものです。
「語りえない」ものとは? ~ 野矢茂樹著、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む、第1~3章の分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report35.pdf
論理学:間違っていることを「真」とする論理学、論理学的トートロジーという幻想
A→Bが「正しい」とはどういうことなのか ~真理(値)表とは何なのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report40.pdf
命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?
http://miya.aki.gs/miya/miya_report39.pdf
ヴェーバー批判:私にとっての一つの到達点
価値・理念について議論するとはどういうことなのか
~「なんのための」社会学か? の批判的検証を中心に
http://miya.aki.gs/miya/shakaigaku1.pdf
(PDFファイル、だいたい441KBです)
・・・西研氏のウェブサイト( http://www007.upp.so-net.ne.jp/inuhashi/ )中に掲載されている論文、「なんのための」社会学か? ( http://www007.upp.so-net.ne.jp/inuhashi/nan.htm )を批判的に検証しながら、同時に『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(マックス・ヴェーバー著、富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳、岩波書店)前半部分における問題点(社会科学と価値・理念との関係)を明らかにするものです。
(さらに同時に、竹田現象学における”欲望相関性””関心相関性”の間接的批判になっていると思います。)
ヴェーバー研究で見落とされてきた、盲点かもしれません。
『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』第Ⅱ部の批判的分析
~意義・価値理念と事実関係、法則と個性的因果連関、直接に与えられた実在と抽象に関するヴェーバーの誤解
http://miya.aki.gs/miya/miya_report23.pdf
・・・『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(マックス・ヴェーバー著、富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳、岩波書店)第II部(55ページ以降)、因果関係・法則に関するヴェーバーの見解、そして理念型に基づいたヴェーバーの方法論の問題点を指摘するものです。
西田の純粋経験論:純粋経験の「一事実」から「他の事実」への「変化」を、「純粋経験を離れる」と誤認してしまったことが西田純粋経験論の混乱を招いた
純粋経験から「離れる」ことはできない
~西田幾多郎著『善の研究』第一編第一章「純粋経験」分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report13.pdf
・・・西田幾多郎著『善の研究』第一編第一章「純粋経験」の分析ですが、実質的に第一編全体の論点をほぼ網羅していると思います。ここにおける西田の最大の間違いは、純粋経験を“状態”と見なし、そこから「離れたり」、純粋経験の状態が「破壊」されたり、そういう視点から捉えてしまったことだと思います。それゆえに理屈が合わなくなったところを”背後にある”想定概念で苦し紛れに辻褄合わせをせざるをえなくなってしまったのだと言えます。
時間論(ヒューム的時間論):哲学的時間論の究極
哲学的時間論における二つの誤謬、および「自己出産モデル」 の意義
http://miya.aki.gs/miya/miya_report17.pdf
・・・森岡正博著「独在今在此在的存在者生命の哲学の構築に向けて(9)」『現代生命哲学 研究』第6号(2017年3月):101-156、の時間論についての分析です。哲学における時間論でしばしばみられる二つの誤謬について指摘した上で、森岡氏の提唱される「自己出産モデル」の問題点および意義について考えるものです。