台湾新竹市に来て10日目の朝
2024年8月10日。
新竹市に来て、すでに10日目の朝となりました。
買い物や移動、方向感覚もだいぶつかめ、基本的な生活が定着してきています。自分のメモ書きとしてもここに書いていますので、この10日間の主な活動や出来事を以下にまとめます。それぞれが項目として成立する内容なのですが、今は備忘録的にさらっといきます。
8月1日(木)
・新竹市到着、新竹鉄道芸術村にて受け入れていただく
・宿泊先の紹介
・夜市にて易径占い
8月2日(金)
・市内散策
・レジデンス中にやってみたいことのリスト共有
8月3日(土)
・滞在中のアーティスト(Richard Müllerさん)による道に関する3Dアーカイビング・スキャンを実践するフィールド・ワークシップ参加
・国際交流基金主催の「すし」に関する展覧会オープニング参加
・過去の滞在アーティストであるHsin Shyuさんによるアイスランドのレジデンス報告会参加
・夜の散歩中に新竹城隍廟「福門大開」に迷い込む
8月4日(日)
・World Gym入会
・日本統治時代の歴代小学校校長先生の官舎見学
・新竹鉄道芸術村にて金子未弥さんの展覧会オープン参加
・歓迎会ディナー
8月5日(月)
・休息
・市内散策
8月6日(火)
・レンタサイクル(Ubike)の利用開始
・新竹市立美術館展覧会見学
8月7日(水)
・新竹241芸術空間展覧会見学
・新竹市ガラス工芸博物館見学
・東門市場で夕食会
8月8日(木)
・Office Keijiro 始動
・新竹市影像博物館見学
・宝くじ100元購入、その場で100元当たり
・宮崎県沖でマグニチュード7.1の地震発生
8月9日(金)
・台湾語を学ぶためにHsinchu Language Social Exchangeを通して、知り合った陳さんとタンさんと台湾語の初歩の初歩を学ぶ
・日本の統治下の教育を1年間受けた曽さんと日本語で台湾の歴史や新竹市の建物のことを伺う
この間に日本から持参した栖来ひかりさんが翻訳された「陳澄波を探して」を少しずつ読み進めつつ、新竹市のリサーチから得られた情報からインスピレーションやアイデアなどを頭に思い浮かべる日々を過ごしています。
もともとは山口と台湾のつながりを取り上げたいと考え、明治期の山口の画家兼地質学者である高島北海を参照しつつ、2015年に山口県防府市で見つかった《東台湾臨海道路》を描いた陳澄波さんにまつわるようなプロジェクトをしたいと考えてきましたが、こちらに来て滞在中のタイムライン、時期、立地などの要因を検討し、今回の滞在中にできることできないことの精査とこの地ならではのトピックなどに視野を広げて取り組もうと言う心持ちに至っています。なので、どのようにことが進むか未知なので、色々と楽しみです。
その楽しみにしているいくつかを紹介させていただくと「ホスピタル・アート」を実践している病院見学の予定です。これまでコミュニティーやヘルスケアなどの観点で「役立つアート」をリサーチしたり、実践してきましたが、こちらの新竹市にも実践している病院があると言うことで、どのような作品やプロジェクトが導入されているか、また、どのような決定方法であったのか、設置後どのような効果を実感しているかなどを聞いてみたいと思っています。
また、2024年2月後半に日本の熊本県にも工場が設立された半導体受託生産の世界最大手TMSCの本丸が新竹市にあると言うことを知り、そこで運営されているMuseum of Innovationへの見学もとても楽しみにしています。
そして、新竹市ガラス工芸博物館見学を見学して学んだことなのですが、新竹市はガラス産業が盛んだと言うこと、そして、そのガラス産業は実は日本の統治下である1920年に新竹の地域にガラス製造に必要な珪砂やガスがあることが判明したことから発展したとのことでした。ここでも日本と台湾のつながりに出会うことができました。私がガラス工芸博物館を見学した時に日本人のガラス作家である田中英樹さんの個展が開催されていて、どのようなご縁でこの展覧会が開催されたのだろうという疑問の象徴的な答えにもなりました。
と、今のところ、興味の赴くままにリサーチを進め、リソースを蓄積させているところですが、そのうち、頭か心か、どこかわからない自分の奥底にある宇宙のような空間で、たぶん、アイデアやインスピレーションが星の如く輝き、ランダムに存在しているように見えるそれぞれの星に関係性が生まれ、星座の如く、形作られていくのだろうと思います。私が意識してか無意識にか、脳内細胞が繋がっていくように、アイデアも星座の如く繋がり、認識できる何かになっていくと思います。私が制作する時の過程というのは普段こんなプロセスを通ります。
さて、もう一つ、台湾語のレッスンもとても楽しいので、これも少しずつですが進めつつ、日本の統治下で1年間だけ日本の教育を受け、日本語でお話ができる1937年生まれの曽さんのお話もとても興味深く聞くことができました。自己紹介の中で、曽さんは名前の一部「岑(しん)」の意味を、「低い山だが高い理想と志を持って、今をしっかりと生きる」という意味が込められた漢字だと教えてくださいました。台湾の歴史、台湾の原住民や中国から来た人たちのこと、オランダ人やスペイン人、日本人の存在、新竹市にある日本人の設計による建築物のことなど、初対面でしたが、出会って早々1時間半ほどノンストップでQ&Aを繰り広げられました!聞きたいことがたくさんありすぎて、今回だけでは聞ききれなかったので、また近々、お話を聞きに行きたいと思っています!
今日、民国113年8月10日のnoteは、このくらいで終わります〜!
良い週末を〜
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