主夫から見た世界線
「はやくいくよ、なにやってんのよ!!
もう飛行機乗らないからね!!!おいてくからね!!!」
怒号とはいわないけれど、はっきりとまわりに聞こえる声。
いらだちを隠せないお母さん。
そして、泣き出すこども。
その様子をみた人がツイートする。
「そんなふうにいわなくてもいいんじゃないかなぁ。余計、こどもが聞かなくなってしまうよ。」
上記は、いつかのタイムラインに流れてきたポスト。
初めてみたときは、確かにそうだな。大きな声を出して怒らなくても、もっと寄り添っていったらいいのに。こどももしっかり感じとるだろうし、もう少しうまくいくのに。と、シェアしそうになった。
・・・
少しだけ自分にフォーカスをあてさせてほしい。
とある忙しい日の1日。
朝6時に起きてこどものお弁当をつくる。家族の朝ゴハンをつくり、こどもたちを起こす。ゴハンを食べさせて、お着替えさせて、保育園バッグを用意して、車にのせて送る。帰ってきたら、出張の用意をする。ついでに夜ゴハンの保温調理をつくり、全部いれる。
上記の間に洗濯機を回している。終わっていたら、洗濯物を干す。洗濯の間に掃除までできたらベスト。
さぁ、仕事をはじめてラップトップを開く頃にはフラフラだ。ガーミンの体調管理を数値化するボディバッテリーを使っている。朝と夜の家事をしてると、すでに3−4割減ってるから、フラフラはあながちウソじゃない。
文章にするとこんなにも滑らかに聞こえる、けどそうじゃない。朝おこすと、子どもがまずイヤイヤいう。なだめるのに、昨日買ってきたカードを見せたり、今日の朝ごはんは大好きなトマトチーズツナ丼だよ、といってイヤイヤから楽しい方向になるようにいってみる。お着替えも、わざわざ大好きな服を用意したりしても、1日で気分が変わる。気分で着ないのも日常茶飯事。果ては、裸のまんまご飯を食べようとだってする。保育園に行こうってなっても、「お腹痛い」といって動かない、なんてザラ。車に乗ったとしても、あのぬいぐるみを持ってきてほしい、とか、あのカードがないといきたくない、とか。とか。とか。とか。
ここで想像してほしい。冒頭に戻る。
僕があのお母さんだったら
とかとかでいっぱいの朝をすごしたあとでの出来事だったら
・・・そりゃ、声が大きくなる。
他人は最後の最後を見ただけだ。最初から味わっていないから、大きな声の理由もわからない。
育児をするようになってから、冒頭のような出来事に出会うたびに、背景が気になるようになった。あんなふうに声が出ちゃうってことはいっぱいいっぱいなのかな、とか。きっと怒っても意味ないってわかっていても声が出ちゃうんだろうな、とか。
僕自身もアンガーマネジメントやNVCの知識や実践だってやってる。けど、全然ダメダメ。声が大きくなるときもあるよ〜、うちもそうだよ〜、と伝えたい。
この記事に、ポスト主に認識を改めてほしい、という意図はなくて。
すべての保護者に対しての敬意と、心穏やかにあれる祈りのようなもの。
心穏やかにすごすための社会システム・家族システムってなんなのだろう、と一緒に試行錯誤できたら嬉しいから書いてる。