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一年のはじめに
新たな年の始まり。
一年のはじめに、少し大きな話をしてみよう。
以和為貴
「「以和為貴(和を以って貴しと為す)」とは、聖徳太子が制定した17条憲法の第一条だ。
「以和為貴」は、敬語の目指すところとして多くの人が納得するだろう。それは、決して烏合の衆になれということでもなければ、強い者に唯々諾々と従えということでもない。
そもそも同じ考えの者同士なら、和を強調する必要もない。
価値観も考え方も異なる人が集まる中での和が難しいからこそ、かつ、それでも和が一番大切だからこそ、十七条憲法の第一条に持ってきた考えるべきだ。
それならば、多様性が求められる今、和の重要性とその実現を目指す敬語の重要性はもっと高まっているのではないか。
もちろん現在使われている敬語を、飛鳥時代の太子らが使っていたわけではない。敬語そのものも敬語の使い方も大きく変わってはいるが、それでも敬語には日本の心が詰まっているように思えてならない。
「なる」に含まれる大いなる自然への畏敬
例えばファミコン言葉(ファミレスやコンビニでよく使われるおかしな言葉遣い)を代表する「コーヒーになります」という言葉がある。持ってきている間にコーヒーへと変化したわけではないから、もちろん間違ってはいる。しかし、それならばなぜこのような言葉を選び、それが広まり、しかも定着してしまうのか。
そこには、「なる」という言葉が自然現象を指すときの表現であり、自然の前に人間はひれ伏すしかないというアニミズムの精神が通底している。
桜が咲いても嵐が来ても、富士山が夕焼けで赤く染まろうとも雪が積もって白く塗り上げられようとも、それを自然のありのままの姿として受け入れ尊ぶ、その心を老いも若きもが共有しているからこそ、「コーヒーになります」が言葉として通用し、コミュニケーションが成立するのだ。
ここに私は言葉の持つ力を感じる。
力を正しい方向へ
ただし、それを傍観しているわけにはいかない。方向性が間違っているからだ、
「なる」を使った言葉で表現され、受け入れられ尊ばれなければならないのは「お飲みになる」客であって給仕する側ではない。
言葉の力が生きていればこそ、その中でも人間関係を表す敬語を正すことによって、人が幸せになり、良い社会になりうるのではないか。人の絆が試されている今、そんな希望を抱えながら、今年も言葉を紡いでいこうと思う。
今年も、どうか、お付き合い願いたい。
では、また。
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