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敬意は、自分の理解を越えた相手に払う
敬意を払うのは、敬意を払うべき価値のある対象に対してであり、それは社会的地位の高い人や人格的能力的に優秀な人であると思っている人が多いのではないだろうか。
もちろん、それが間違いであるとは言えないのだが、それはあくまで人の視点であり、敬意とは少し違う。
敬意を払う対象を自ら狭めてしまえば、自分で自分の行動に制限をかけてしまうことになる。
例えば、新入社員が思うように動いてくれない。
取引先に失礼なことを平気で言ったり、自分で考えようともせずChatGPTに今出した指示を打ち込んだりしている。
また例えば、配属された職場の上司がバカである。
抽象的なことしか言わず、怒鳴れば言うことを聞くと思っている。
要するに、相手が自分の期待から外れていたということだ。相手が自分の想像と異なる動きをして、なぜそうするのか分からない。
ならば、自分の理解(=人智)を超えた存在なので敬意の対象となる。
つまり、立場が上とか下とかとは別に、心の距離を取って慎重に対応したほうがよさそうだと考える。
どのような心の距離を取るのか。
相手を失礼な奴とイライラする自分の心や、馬鹿な奴と見下したくなる自分の心と距離を取り、相手の自尊心を傷つけないよう、ことさら自分の言葉に注意する。
なぜなら、相手による災いはなるべく避けたい。心のままに言葉を放つたなら、相手を傷つけるかもしれない。そのとき、理解を超えた相手がどう反応するかは分からない。そのうえで、できることなら恩恵を引き出したいからだ。
<休憩コーナー>
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ニラの種と何かの実(笑)を挿してみました。
まだ夏前というのに、なんとなく秋の香りがします。
言うは易く行うは難しとはまさにこのこと。
これができていなかったがために失敗してきたことが山ほどある。
ただ、敬語を知る前との違いは、自分の失敗であることが分かることのみである。
それでは、また。
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