明恵上人
昨日は大きい病院に検診に行き、待ち時間のお友達に河合隼雄さんの『明恵ー夢を生きるー』を持って行きました。
私のバイブルのひとつで、何度も読み返しています。
読む度新たな発見をするのですが、今回は
「内的体験に主体的に取り組む」
という言葉がツボでした。
ここしばらく考えていたテーマが氷解する言葉でした。
この中に明恵上人と戦国末期を生きた多聞院英峻の比較が出てきます。
簡単に言えば、英峻さんはとある夢を自分に都合の良いことが起こる夢と解釈して大喜びするのですが、なかなか実現せず、
「なんだ、ハズレじゃないか!」
とふててしまう、というお話です。
対する明恵上人はどうかというと、夢をつぶさに見つめながら、その内容に一喜一憂するということはなく、夢を通してその瞬間の自分を鋭くありのままに内観していきます。
この違いは、私にとってとても勉強になるものでした。
英峻さん、多分素直な人なのだと思いますが、「内的体験に主体的に取り組む」と言った時に、合致する姿勢とは言えなさそうです。
「あるべきやうは」
この言葉は本書全体にまたがる大きなキーワードで、本当にこれに尽きます。
情けない自分も卑下するのではなく、ただただ受け止める。
理想の自分を目指す、というのとも違うのです。
ただただそこにいる私はどのようで、何を感じ、何を思うのか、つぶさにありのままを見つめ続ける。
なかなかに勇気が要って辛いことですね。
何度読み返しても発見があり、優しくありのままを包んでくれるような著者の視線を感じるからこそ、何度でも 姿勢を正してやってみよう、と思いたくなる。
私にとってはそんな本です。
『明恵 夢を生きる』河合隼雄著 講談社α文庫
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