田中絹代監督の『乳房よ永遠なれ(1955)』が怖かった。
監督がレジェンド級映画女優である田中絹代さんであったので(プライムビデオで)観てみた。今作は乳がんにより31歳の生涯を閉じた歌人の中城ふみ子のお話であり。作中に短歌がでてくるのは中城ふみ子の作である。
女性の本能が剥き出しになったようなスゴい作品であった。なにも知らないで観たりなんかしたら大変なので、少し観る参考になるようなことを書いてみたいと思う。
●崖っぷちの夫婦関係
「えーっ田中絹代って映画監督もやってたんだ」という興味本位で観はじめたが、すぐに背筋を伸ばして見る姿勢となった。なにしろ、いきなり幼子供2人のいる夫婦であるが、夫はひどく不機嫌なのである。
以下は出かけようとする夫に妻が声をかけるシーンである。
この世の地獄のような最悪の空気である。その場にいれば毒を吸うように心が壊れてしまいかねない(幸い子供たちは外出中であった)。
以下はwikiの中城ふみ子の引用である。
●本のタイトルが映画のタイトルに
この作品は「当時はやった泣かせる難病もの(健気なヒロインが難病になり、がんばって生きるが最後は亡くなり、観る者は涙してしまう作品)ではないだろうか」と思った私であるが、(観てない人には)観る前に言っておきたい「これはそんな、お涙ちょうだい的な作品なんかではない」と。
『乳房よ永遠なれ』というタイトルから少しギョッとした人の多いのでは。
当時病院に入院していた中城ふみ子を新聞記者の若月(映画では大月)という男が取材して、病室で肉体関係を持ったということを本に書いて出版した。その本のタイトルが『乳房よ永遠なれ』だったのである。
当時23歳の若月は背が高く美男子であったらしい。時事新報の学芸担当の記者で中城ふみ子の才能に惚れ込んでいたようではあるが、だからって病室で関係を持つのは現代でもかなりセンセーショナルであろう。
●胸中に決して満たされぬことのない黒い空洞を持っていること
当時「短歌研究」という短歌雑誌で短歌を募集していた。そこに保守化、伝統重視の世界に留まり、動こうとしない歌壇の現状に怒りを深めていた中井英夫がいました。彼が中城ふみ子の作品を発掘したのでした。
現在ではズレているのを承知で言えば私は、
「わざわざ作品を作って発表するような人はどこかぶっ壊れている(決してわるい意味でなく)のかもしれない」と思うことがある。なにか言いたいことがあるから作るのであれば、現状に満足している人はわざわざ作ろうとは思わないのではなかろうか。
中城ふみ子はまるで自ら捨て身でぶつかっていって、短歌を作るネタをもぎ取って生きているように見える、彼女にとっていい作品を生み出すためなら、過酷も悲惨もいとわないように見える。
作中でふみ子が短歌を発表する集まりの堀さんの家を訪ねるシーンがある。
堀さんはふみ子にとって憧れの男性であるが、同じように短歌を志す奥さんもいるし、その奥さんとふみ子も友人なのであった。
胸の内にしまっておいて言わなければよいようなことを、あえて言ってしまうふみ子である。きっと自分の言いたいことを我慢して、相手に合わせて生きることができないのである。
●『乳房よ永遠なれ』を監督3本目の作品として選んだ田中絹代
『月は上りぬ(1955)』も(プライムビデオで)観たが、脚本も撮影も編集も演技も本当によくできていた。こちらは「お姉様があの素敵な男性と結婚したらどんなにか素敵でしょう」という少女漫画のようなお話であり。多くの男性が求める女性像、下品な言い方をすると男好みの女性像であり、多くの人が感情移入できる作品ではないかと思った。その次の作品が今作『乳房よ永遠なれ』であった。
田中絹代監督は映画を作ってみたら問題作になったのではなくて、あえてそういう映画を作ろうと思って作ったのであった。それで興行成績はどうなったかと言えば以下である。
ふみ子が胸に違和感を感じるシーン、大事な人に会うために着替えるシーンは男性監督であればこうは撮らなかったかもしれないと思ったりした。特にふみ子が友人の家のお風呂に入っているシーンは驚愕と言うか、私の中では「ギャーーーッ」と悲鳴があがったくらい剥き出しで怖かった(素晴らしかった)。
この後私は、女優の田中絹代作品を見たくなってベルリン国際映画祭最優秀女優賞 を受賞した『サンダカン八番娼館 望郷(1974)』(プライムビデオで)を見たが、また違う意味で「ギャーーーッ」と私の中で悲鳴があがった。これは演じているのではなくてその人として作品の中に存在しているのではないだろうか。これは女優だけでなく監督も経て到達した境地ではなかろうか。これもこれであまり見たことがない存在感で怖かった(素晴らしかった)。