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『TAR/ター(2022)』を観ました。

ケイト・ブランシェットが指揮者のター役ということで、オーケストラのメンバーとぶつかったりしてバラバラになりそうになるが、なんとか乗り越えて演奏を成功させるみたいなお話を想像して観る方がほとんどであろう。でもそういう思いはほとんど裏切られる。

今作は物語な作りではなくて、見せ方はまるでドキュメンタリーみたいな作りである。私は1回目観た時はなにが起きているかわけがわからず、なんとか眠らないで起きてお話の最後まで辿り着くのがやっとであったので、もう1回見観に行った。
例えれば、1回目は列車に乗って終点まで行くのがやっとであったが、2回目はなんでここを通っているのかとか周りの風景なんかも見ることができた。私は2回目を見てやっとこの作品の凄さがわかった。はっきり言って予定調和をぶっ壊した傑作であると思う(今後、少しずつ今作を好きな人=理解者、が増えていくんではないだろうか)。

フィールド監督はケイト・ブランシェットが主役を演じることを念頭に本作の脚本を書いていた。それが叶わなかった場合、脚本自体をお蔵入りにするつもりでいたというが、脚本を読んだブランシェットは出演を即座に了承した。

リディア・ターはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団における女性初の首席指揮者であり、作曲家としても指揮者としても当代随一だと評価されていた。しかし、リディアはその地位によって得た権力を使い、若い女性音楽家に肉体関係を迫るなどのハラスメントを行っていた。リディアの妻、シャロンをはじめ周囲の人物は見て見ぬふりをしていたが、被害者の1人が自殺したことをきっかけに、リディアの蛮行を告発しようという動きが出てきた。キャリアの危機を前にして、リディアは徐々に精神の平衡を失い始める。

https://ja.wikipedia.org/wiki/TAR%2Fター

まず今作を観るにあたっての注意が以下になります。

1.『字幕を追いかけるな』

どうしても洋画の日本での上映では字幕が出てきて、それによって作品が理解できると思っているが、今作のトラップ(落とし穴)の一つは字幕を追いすぎてわけがわからなくなることである。
知らない音楽家の話や人の名前が次々出てきて「誰の話しているの?」ということになる。例えば誰かの話をしているところでも「ああ、超有名な人にダメ出しするくらい『自分の方が全然才能ある』とか思い上がっているような表情しているな」とか「まるで頂点を極めたみたいな喋りっぷりだなあ」とか声のトーンとか表情とか仕草とかをまず見て欲しい。実際言ってる内容はBGMくらいに聞いて見て流すくらいでいい(特に最初らへん)。

2.『事実がどうかはどうでもいい』

ネタバレになるかもしれませんが、今作では上り詰めたTAR/ター(以後ター)指揮者は炎上します。転落します。
でもター指揮者がやったことが事実かどうかはほとんど描かれませんので観てる側が「ター指揮者が正しいか間違っているか」はジャッジできません。
『どのようにしてター指揮者が転落していくか』は描いていますが『実際にター指揮者が相手(顔すら見れない)になにをしたか』は映像では描かれないのです。だから「ター指揮者のこういう部分はいいけど、こういう部分は許されないし責任を取るべきであろう」とか「こんなことをしたのなら裁かれて当然だろう」みたいな考察は今作では的外れかと思います。

3.『一つの才能が転落するさまを見る』

よき昔の時代には「いくらやることが無茶苦茶でも、いいものが残せればOK」みたいのがあって、それで常識からはみ出しまくった怪物みたいなアーティストが様々なジャンルに存在したように見たり聞いたりしています。でも今の時代にそういう者が出現したらどうなるでしょう「きっと炎上して潰されるんじゃねえ」。今作はそういう作品なんではないかと思います。

ケイト・ブランシェット演じるター指揮者を「実際に存在した人」とか思う人も多いらしいですが(私も1回目はそう思っていた)、この人物はいくつかの人を参考にした創作された人物のようです。
才能があるから普通には収まらない。才能があるから才能を持っている者に気が付く。他の人にわからないように隠さないといけない感情なんかをうまく隠せない。感情も内面もわかりやすく剥き出しだから揚げ足を簡単に取られる。
そんな無難に生きられないけど才能があることで存在しているイビツな人間がター指揮者ではないかと思います。


Tar Trailer(映像が美しい英語版の予告):2分24秒 https://vimeo.com/756717890


今作は構成もイビツ
です。

通常であればはじまりはお話に入りやすく音楽の演奏のシーンとかを入れるとか、幼い頃の音楽との出会いを映像的に見せるではないだろうか。だが今作はそうではなく、専門的な言葉の弾幕で観る者を突き放している感じすらする。

最近見る側がなにも考えなくてもわかる作品が多いのは、「わからなくてチャンネルを回される(観るのを停止される)」ことがないようにかもしれない。こういう作品だと見る側は「ボーッと見ているだけ」でいい。しかし、今作は見てそのままわかる作品ではなく自分から読み取っていって理解していくような作品である。「こっちから動かないとお話のパズルが組み合わさっていかない」ような作品だと思う。

不遇な下積みから見せて頂点に立つまでを描いていれば「見る側が達成感や満足感を得られる作品になる」のかもしれない。でも今作はそうではなく「指揮者としての頂点から転落するまで」を描いているのは何故だろう。1980年代とかであれば今回のような転落を描くようにはならなかったかもしれない。これは今の時代にあえてぶつけている転落話なんではないだろうか。

今作はことごとく不親切であり、それは不愉快であるかもしれない。でもあえてそういう作品を作り手はぶつけてきているのではなかろうか。
はじめはゆっくりと安定していた眠くなるようなテンポが、お話が進んでいくとブツ切りになり、テンポも速くなって加速していく。はじめは専門的で何を言ってるのかわからなかった話が、どんどん俗っぽくて下品なところまで落ちてくる。観るべきはこの転落の落差ではなかろうか。

その転落の先にター指揮者はどこに辿り着くのか。ター指揮者はなんで音楽の道に進もうとしたのであろうか。余計なものがなくなった時にこそ大事なものがわかることだってあるじゃないか。失った先をどう生きるかが肝心なんではないだろうか。


映画館で私の座ってた列の逆の端に座ってた男性がイビキをかいて寝ていた。私も1回目は眠さとの闘いであった。今作をわからないままで「退屈な作品」と評価してしまうのは落とし穴にはまったようでくやしすぎる。

私が2回目に見た時の感覚が凄かった。前回ははまらなくてバラバラだったパズルが、吸い込まれるように次々はまっていくというあまりの心地よさ。こんな映画もあるんだというのと同時に「もっとわかりやすく作っておくれよ」というのもあったのではありますが。


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