学生寮時代に学んだ戦略「革命を起こすならまずは端から」(vol.1)
経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォーム「KEIEISHA TERRACE」。「プロ経営者の条件」では、高いマネジメントスキルや豊富な経営経験を持ち、社外から招聘されて企業の経営トップに就任された方にその能力を発揮するまでに辿った道のり、想い、自らに課しているルールなどを伺い、その人物像を明らかにしています。
多彩なキャリアの中で培われた豊富な経験を活かし、経営を通して企業の価値を最大化する“プロ経営者”。昨今、日本でもその存在に注目が集まっているが、果たしてその定義は何か? 経営のプロとされるゆえんはどこにあるのだろう?
活躍中のプロ経営者の話から、それらを解き明かす「プロ経営者の条件」。今回ご登場いただくのは、かつてカルチュア・コンビニエンス・クラブグループでインターネット事業の成長に大きく貢献した山地浩氏。
現在山地氏がCEOを務める株式会社サウンドファンは、ソフトウェアビジネスの代表格のようなCCCとは180°異なるスピーカーの製造販売メーカーだ。山地氏がサウンドファンの代表を引き受けた経緯、現在担うミッションなどを伺いながら、令和における製造スタートアップ成功のポイントを、3回にわたって探求する。
(聞き手:井上和幸)
自治寮の薫陶を受け資本主義経済への疑念を抱えていた学生時代
井上 山地さんといえば、やはりカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下CCC)グループで、宅配レンタルの「TSUTAYA DISCAS」事業などを成功させた経営者としてのイメージが強いと思いますが、学生時代はどのような仕事観をお持ちだったのですか?
山地 いまのように学生起業をする人がいたり、キャリアプランニングの授業があったりする時代ではありませんから、自分のキャリアについて真面目に考えてはいませんでした。バブル真っ盛りでしたから、誰でもどこかに就職できるだろうという雰囲気もありましたしね。
そもそも、働くことにあまり良いイメージを持っていませんでした。僕は、当時の日本に対して、第三世界の人たちを労働搾取して原料を買い上げ、加工貿易そして儲かっている国というイメージを持っていた。そこに加担して、途上国の人を虐げるかもしれない仕事をするのが嫌だったんです。あの頃は、まさか日本の経済が、いまのように残念なことになるなんて思いもしていませんでしたし(笑)。
井上 仕事、あるいは日本経済に対して、そのような視線を持つようになったきっかけはあったのですか?
山地 学生時代は、北海道大学で学生寮に入っていました。この恵迪寮というのが、東大の駒場寮や京大の吉田寮と同じく旧制高校時代の流れを汲んだ古い自治寮で。もちろん、学生運動は終わっていた時代でしたが、古き良き自治寮文化を好んで血気盛んな学生たちが集まっていた。大学側から見たら厄介な学生たちが集まっている場所だったでしょうね。
ただ、自分たちで決めて自分たちで運営していくことが原則でしたから、僕自身にとっては社会に出る...
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