【呪いをかけていたのは自分だった】
すべては淀みなく流れているのに
それを止めているのは自分なんだな。
って感じることがあって。
止めているのは自分なのに
流れが止まったことに
一喜一憂している自分がいる。
おもしろいよね。
できる・できない
に囚われていた時は
できること・できないこと
を
自分に許可できなかった
できること・できないこと
を
許すことができたら
どちらを選んでもいいし、
どちらを選んでも変わらない。
そしたら、
できなかったとしても
そこにもやもやすることはない。
したいけどできない
と思うと葛藤になる。
できることを許せば、
できなくても葛藤は起こらない。
できないことを許せば
自分を責めることはない。
「できる」「できない」
は
どうでもよくなる。
できる・できない
って受動的。
する・しない
になると、
問題じゃなくなっちゃうよね。
主体的に生きれば、
なんの問題もなかったりする。
受動的になることで
自分で流れを止めてるんだよね。
実際のところ、
主体的に受動的になっているんですけどね。
笑。
自分に制限という呪いをかけていたのは、
自分自身。
それが解けたら
好きも嫌いも
快も不快も
なくなる。
そうなったら・・・
わたしは
めっちゃ退屈!
って思っちゃうんだよね (;´∀`)