エゴイスティックラブ 愛という名の執着
エゴイズムと愛について続きです。
エゴイズムと愛 人生における多くの問題の原因について|KEI #note
エゴイスティックラブとは自己中心的な愛のこと。
真理の学びにおいて一番大切な土台となるものは愛の理解です。
この愛は私たちの様々な思い込みで凝り固まった小さな脳みそでは想像もつかないほどのレベルの愛であり、絶対無限の存在そのものです。
日本には八百万の神がいますが、神々のそれぞれの働きは絶対無限の存在とダスカロスが呼ぶ神の一側面が強調されたものです。
神々をも生み出す絶対無限の存在は自己充足の状態にあり完璧な存在です。
愛であることの喜びが自身を愛をもって表現するという欲求を生み出し、宇宙や生命を作り出しました。
愛の状態は自己充足していて満たされており、愛されることを必要としません。
しかし、人間は愛の状態を忘れているため、本当の愛がなんなのか分かりません。そこで自己の周りに様々な欲求によって愛と思うものを見つけ出し、手に入れ、執着します。
執着すればするほど本当の愛から遠ざかり、愛する人だけに執着することは痛みを生み出します。
執着は潜在意識におけるエゴイズムの働きです。
エゴイズムは愛を自己中心的にしか捉えることができないため、人を差別したり、憎んだり、意地悪したり、文句を言ったりします。
また、自分の欲求を満たす相手とそれ以外の人と線引きをし、愛を限定的に表現することしかできませんし、自分の欲求を満たすために相手をコントロールしようとします。
真理ー愛ー神として愛を理解すると、相手の中に神を感じたり、相手の目の中に神が見えるようになり、他人という線引きが消え去っていきます。
しかし、現実の暮らしの中で私たちは自分にとって愛する特別な人を見つけたら、恋をして夢中になり、自然と愛を注ぎたくなります。
愛する人は特別であるが故に強い執着を生み出し、同じように自分を愛してくれることを要求するようになります。
このような個人的な愛を体験することも大いなる愛を知るためには必要なステージですが、エゴイズムが強すぎて相手の人格ではなく相手の持っている地位、財産、人脈、才能などが愛の対象となってしまうと愛のレッスンがスタートする以前の問題です。
お金を愛しても、お金は私たちを愛してはくれません。
私たちが愛を学び合うには相手が人である必要があるのです。
幼稚で自己中なエゴイスティックラブの状態から少しずつ潜在意識の中のエレメンタルを入れ替えて、好き嫌いや差別や憎しみや意地悪な部分もある心を自己充足する愛が中心にある心へと育てていきます。
私たちは何千年も愛を学ぶために転生を繰り返し、少しずつ愛の学びを深めています。
真理の学びの土台は愛を知ることですから、あなたの中に傷ついた感情や記憶がハートにあるのならばそれを癒しましょう。
毎晩21時の平和の祈りの瞑想はあなたのハートを癒し、キリスト・ロゴスや大天使たちの愛にアチューメントすることに役立ちます。
愛を知ることなく、次のステップには進んだとしてもエゴイズムによって悟りを逃し、力に溺れて新たなカルマを作りかねません。
愛が全てであり、愛によってあなたの魂も肉体も創造され、いつも愛に満たされていることに気づこうとしてください。