生きたい
誰よりも誰よりも謙虚に生きようと努力してきた。そして過去に壊れたことがある。強くなければ必ずまた壊れる。だから敢えて謙虚さをしたたかさに持ち替えて闘うしかない。こんなアカウント誰も見ていないだろうけどASD(旧アスペルガー症候群)を持たずに生まれた人は天国の中にいるんです。始めて自らの手で命を断とうとしたのは9歳だった。それから数百回本気で死のうとした。皆さんの「普通」は普通などでは無く奇跡なんです涙。幼い頃からそうだった。どれだけトライ&エラーを繰り返しても厳しい言葉しか返ってこない。相手の感情を先に読みとり不快にさせないために振る舞って(集団内過剰適応と呼ばれる行動)最後は自分が倒れる。人生はその繰り返しだった。脳が焼けるようなあの感覚だけは今も忘れられない。司法試験(論文重視)だろうが司法書士(書式比重大択一重視)試験だろうがそれに最終合格しても私を雇う事務所など絶対無い。合格証書はあくまで生きてきた証を残すものとして考え人生に意義を与える証明と割り切ってます(登録はしない可能性の方が高い:絶望を生きた人間にせめて生きた証として)。ASD(旧アスペルガー:自閉症スペクトラム)はそれほどまでにいまだ社会的に偏見を持たれている。一生を独りで生き独りで死ぬことが生まれたときから宿命づけられていた。マイノリティとして虐げられる人の為に合格後は一生涯を小型労組の専従者として人生を捧げるつもりです。「人1人の命は世界一の大富豪の資産より100万倍価値がある」という言葉に殉じたい。異端者たちはいつも誤解と偏見の中にいるんです涙 今まで変わってるよね〜からのASDをカミングアウトすると皆が避けていった。何回死のうとしても意外に人間は死にきれないんです。地獄と絶望の中にやっと生きる道を見出した。出来るだけ多くの人からもアドバイスを傾聴してきたししかしそれを逐次SNSに上げることはしなかった。現在は教材を徹底的にスリム化させ小康状態の中に二大文系対策を進めています。しかし異端者として生産性のみを基準原理とする社会から排斥されるかもしれないという強迫的な恐怖とは今も向き合う毎日です。中1のときの交通事故の後遺症で左半身に激痛が走ることもある(頸部と左上腕部)。絶えず痛み止めを飲みながらの勉強。ASDで生まれるということは本当に生き地獄の中に生まれ落ちることを意味していました。死ぬ恐怖に勝る生きる理由を見失いたくないんです。それでも耐える。ある文豪の言ったように人生は確かに地獄以上に地獄的でした。「私にとって人生は張り詰めた神経の地獄です」という有名な表現がありますがあれが比喩表現か文学界で争われたことがあったそうです。あれは比喩なんかじゃない…神経症傾向が強い人物には確かにそう見えています…私も残念ながら(実際に見えるわけではありませんが空気に割れたガラスのような緊張感が走るイメージです)