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自由に生きる

私は核家族で育った。父と母は大学で出会った仲で、父は教師に、母は構造設計士になった。
私は3兄弟の姉、下に妹と弟がいる。

家族の中でも私が一番自由でわがままだと思う。長女だから甘やかされて育ったのもあるし、シガラミに囚われずに好きなことをしている父母に憧れがあったからでもある。

やりたい事を一生懸命にやる事に美学を感じ過ぎている。


両親は大学でお付き合いをして、卒業してから就職して、結婚のお許しをもらうのに母の実家に挨拶に行ったという。
その時、当時にしても少し希少になっていた「THE昭和のお父さん」であった母方の祖父は猛反対したらしい。古い考えだが、教師を目指す奴はみんな思想が赤だと決めつけていたそうだ。
そこから5年以上、反対され続けても交際して何とか理解を得て結婚したらしい。

私が生まれてからは祖父は孫を溺愛し、ちびまる子ちゃんのトモゾウのような「THE甘やかしおじいちゃん」になっていったのだが。

母は、自分が良いと思うものには一直線に没頭する人間だ。仕事もそうだ。定年を迎えても、終電まで働き、土日は構造設計の勉強をしている。

中学校では、女性で一人だけ学区外の高校で理系クラスを受験したいと言って、全校生徒の前で頭を下げさせられたことがあったという。
昭和ならではのエピソードだが、これに全く納得がいってなかったみたいで、母は何度もこの時の悔しい気持ちを話していた。

父は多趣味な人間だ。40代でいきなりサックスを吹きたいと教室に通いだし、60歳をこえても続けている。最近はその繋がりで、学校の音楽祭を催したそうだ。土日には映画をみまくったり、スポーツ観戦も好きなようで、学校の部活の試合をよく見に行っている。

昔から父はよく、部屋で読書をしながら書き物をしていた。〇〇年〇月〇日〜と書かれたノートに、自分の気になったフレーズや本で学んだ考え方をまとめていた。母とは違い、形から入るタイプなのか、書きながら見聞を整理していた。
幼い頃は、私も学生で土日に宿題をしていたので、お父さんも勉強頑張ってんなー程度だったが、今大人になってみると、仕事がない日もそうやって研究していたのかと頭が下がる。

とにかく、私の父母は、自分がやりたい事に一生懸命だった。お互いにその部分は共通していたから、否定し合うことはなかった。私はそれを見てカッコいいな、と感じていた。

今、私がやりたいことは、仕事で成果を上げることと、趣味のバスケを上手くなる事だ。

この5,6年、この2つを通して、人間的にも成長できたと思うし、課題も大分明確になった。

この自由に一生懸命に生きる生き方に憧れるのは、遺伝なのか、育った環境なのか、どっちもなのか、それは分からないが、この考え方を否定するようになることは絶対にないと思う。
それは自分の存在だったり、今までの人生を否定する事になるからだ。

私はチャランポランに生きてきたが、意外とその人生が気に入っているみたいだ。

だから、私が培ってきた、私から見た普通の人生を否定される事がとても苦痛だ。
旦那はもっと普通の夫婦になりたいと言うが、それは私の知る普通ではない。
趣味を否定するにしても、理由が「普通じゃないから」っていうのは納得できない。

そうやって私の人生を否定する彼を、今はもう好きではなくなったと思う。
向こうも自分の【普通】が納得されないわけだから、可哀想に、気の毒にとは思う。
でも、それでも、価値観の違いを当たり前と出来ず、この違いに目を背けて、上から否定してくる彼を、全くもって受け入れられない。

……。単純に、私の大好きな「一生懸命にバスケを頑張る人たち」を、「趣味に没頭して現実逃避してるヤバい奴ら」と思われているのがムカつくだけかもしれないが。


以上、私がなぜ自由に生きるということに執着してるのかを、親要因の可能性から紐解いてみました!!!

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