心のなかでも、殺したくない。
「それで、あいつが心中したりしたらウケるよな」
取り留めもない会話のなかで、知人から出てきた発言にゾッとした。それまで楽しく話していて笑っていたのにビックリしてしまい、暖色で彩度が高い色だった私の笑い声は、いつの間にか乾いて褪せた色になっていた。みんなが遠くで笑っているみたいだった。
以前はよく、誰かのことを恨めしく思ったり憎むように思うことがあった。口に出すことはしなくても、それなりの罵詈雑言を心の中で放っていた。そんなときの自分はどこか汚いもののように思えて、好きじゃなかった。
私を変えたのは、大学のキリスト教学の授業だった気がする。
それは旧約聖書を紐解いていく授業で、その日はたしか、兄弟の話か何かをしていた気がする。内容は全然覚えてないけれど、授業の中で教授は、「心のなかで誰かを殺したいと思ったとき、それは誰かを殺しているのと同義ですよ」と言った。
実際に誰かを殺めなかったとしても、心の中でそれを想像したとき、相手はあなたの心の中ではすでに命を落としているし、あなたはその人を殺めているという内容だった。
そのときの私は、なぜかとても腑に落ちていた。そうだよなと思って、帰宅してから自分の部屋で考え事をしてすこしの間泣いていた。殺すまでいかなくても、私は心の中で誰かを傷つけたことがあったし、誰かに傷つけられたこともおそらくあるなと思ったら涙が出た。そして、もう二度と心の中であってもだれかを傷つけたくはないなと思った。
だからと言って、いつでも穏やかな私でいられるわけでもない。腹が立つこともあるし、嫌だなぁと思うこともある。けど、大学生のこの頃から誰かを傷つけることは考えなくなった。
嫌なことや腹が立つことがあれば、本人が傷つかないアンハッピーを願う程度にしている。自販機にお金を入れたときに、何度でも返ってきて、結局お札を入れなきゃいけないことが今後ずっと起きますように!だとか。毎回Tシャツの前後を間違えて着てしまいますように!だとか。改札でいつもうまく反応せずに止まっちゃいますように!だとか。そんなことが多い。
けど、実際それくらいでいいのだ。そうやって、ちょっとのアンハッピーくらいで別に良いと思うようになったし、私にとっては嫌な人であるその人も、他の誰かにとっては大切な人だったりする。だとしたら、傷つけることなんてやっぱりできないなと思ってしまう。すこしのアンハッピーを願いながら、限りなく私から遠い場所でそれなりのハッピーとアンハッピーを抱えながら生きてくれていれば良い。
ちょっとのアンハッピーを想像してクスッとしてしまうくらいが、自分の精神衛生上もきっとちょうどいい。
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