桂子。

広告会社で働いている社会人4年目です。 あなたを言葉で肯定できたなら、こんなに嬉しいことはないです。

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マガジン

  • 大切な家族に向けて

    家族について書いたnoteです

  • 頭の片隅。

    恋の話をしています。

  • 企画メシについて

    企画メシに関するnoteをまとめています

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私が知らない母親を、Facebookは知っていた。

この一月、私は実の母親と再会した。 その時の話は次のnoteを読んでもらえたら嬉しい。 それ以降、特別母親とは連絡を取っていない。もともと、新年と誕生日くらいしか連絡は取らないだろうとは思っていたからそんなものだとは思っていた。だから、特別思い出すことなんて何もなかった。 そんな中、六月から始まった企画メシに合わせて作成したFacebookのアカウントで「知り合いかも」に母親の名前があった。赤の他人かと思ったけれども、違うことはどこかでわかっていた。 Facebookで

    • 海に会えば、

      海に会いたい。 何かの糸が切れた時に、そう思うことがある。切れて、無気力になった時に、海に会いたくなる。6月と10月と、そして今。今年になって、度々訪れる感情だ。 昔から漠然と海は好きだった。 父は海に関わる仕事をしていたから、船に乗る機会もあったし、魚については父からの話はもちろん、絵本を通して学んだ。大人になった今は、水族館で旅行先を決めるくらいには海の生き物が好きだ。 そんな海に、会いたいと思うことが増えた。 6月は、加茂水族館がある山形の鶴岡に行った。クラゲがた

      • 生活のなかの私

        「生活してるんだから、バタバタな日くらいあるよ笑」 連絡を取っていた相手への返信が遅くなってしまい、謝罪のメッセージを送った。そのあとの返事。怒るような相手じゃないのはわかっていたが、「いいよ」とかじゃなくて、私の現状を肯定してくれたようなその言葉が嬉しかった。 日々、暮らしているとうまくいかないことが多い。 いつもご機嫌ではいられないし、いつもやる気に溢れていられるわけじゃない。眠い日だってあるし、つらい日だってあるし、どんより曇り空みたいな日もある。 今日だって、玄

        • いつか大きな深呼吸をしたい。

          「もしかしたら会えないかも…」 詰まっていく仕事の予定を見ながら、提案の締め切りからスケジュールの逆算をしていた。私が休もうと思っていたところは、どう考えても大事なmtgが入りそうで、なんなら勤務しないと予定が間に合わなさそうだった。下腹部が痛む。月に一度の不調が、この忙しい時期に重ならなくてもいいじゃないか。イライラしてくる。 休もうとしていた日は、正直いえば早く上がれれば事足りる予定だった。それは、海外で働いている部活の同期の帰国に合わせて同期会をするというものだった

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        私が知らない母親を、Facebookは知っていた。

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          8本

        記事

          It's not my day.

          「うっわぁ…カバンびしょ濡れじゃん…」 朝の電車の中、前に抱えたカバンの底がなぜか濡れていることに気がつき、中を触ってみたらびしょ濡れだった。犯人は、蓋がしっかり締まっていなかった水筒。水浸しならぬ、お茶浸し。朝から最悪だなぁと思いながら、会社に着くなりカバンの中身を全て出した。濡れたパソコンがいつも通り起動してくれてたのだけが、唯一の救いだった。 年に数回、何もうまくいかない日というのがある。今日がおそらくその日だった。 朝は水筒のお茶浸しで始まり、会社に着いてからも

          It's not my day.

          減点方式でも、生きていく。

          「自分に自信がないんだね」 自分に昔から自信がなかった。心の中にはいつも『自分なんて』があった。100点満点をいつでも取らないといけないと思っていたから、少しでも欠けると「自分はダメなんだ」と思っていた。 自分自身への評価の仕方に気がついたのは、いつだったろう。よくは覚えてないけど、ふと周りは加点方式の人が多いのに、自分は減点方式で生きているんだなと気がついた。少しでも欠点があるとそこにスポットライトを当てて減点していってしまう。誰も得なんてしない、そんなことはわかってい

          減点方式でも、生きていく。

          夏の昼下がりとクリームソーダ。

          「おーい。クリームソーダにしようよー。」 夏のお昼すぎ、3階の子供部屋で過ごしていると、よく父親の声が階下にあるキッチンから聞こえた。父親は、いつも少し嬉しそうな声で私たちを呼んだ。 決まって、食べるのは土曜日だった。土曜日は、だいたい午前中のうちに一週間分の買い出しに出かけ、その後は家でお昼ごはん。夏のお昼ごはんは、チャーハンか焼きそばか冷やし中華か素麺だった気がする。夏のお昼ごはん、結構好きだった。 クリームソーダは、そんな土曜日のお昼ごはんのあと、少し食休みをして

          夏の昼下がりとクリームソーダ。

          私は、60分間で何ができるだろう。

          「60分、だとは思えなかったね。」 60分間の映画を観たあと、声が漏れた。ストーリーは知っていた。数年前にSNSで見ていたから知っていたが、それでも、私はあの暗い映画館の中で微笑んで泣いて、感情を揺らされていた。 高校時代の先輩の演劇もそうだった。「パーフェクト・ドライブ」と題された60分間の演劇。60分。舞台の上には、たった4人。着替えもない一つの舞台。 たった60分なのに引き込まれていた。高校の同級生との再会をきっかけに描かれる様々の中で、私は、今さら言うこと、今だ

          私は、60分間で何ができるだろう。

          鶴岡が、私の肩の力を抜いてくれた。

          「たーくさん、休んで癒されていってください。山形は美味しいものとお酒と、いい景色がありますから。」 そう話してくれたのは、鶴岡市にある丙申堂の方。私はなんだか心がほぐれてしまって、少しだけ泣きそうになった。 鶴岡の旅行は、特段計画されたものではなかった。決めていたのは、行きの飛行機と帰りの新幹線、泊まるホテル。そして、加茂水族館に行くことだけだった。行き先の決定も適当なもので、BRUTUSの水族館特集を見ながら行きたい水族館をもとに探して、その中でも梅雨の影響を大きく受け

          鶴岡が、私の肩の力を抜いてくれた。

          自分の感情を、抱きしめる。

          「もっとさ、素直になれたらいいのにね」 旅行中、たまたま電話をした相手から言われた。「あぁ、そうか、そうだな、私はいつも強がってばかりだな」と思って、「そうだね」って笑ってしまった。 高校生くらいまでだろうか、よく「お前は素直だなぁ」と言われていた。挨拶して相手に返してもらえたのが嬉しくてにこにこしている私を見て、家の方向が同じだった二個上の先輩はよくそう言っていた。だから、私は素直、そう思っていた。 ただ、年齢を重ねていってあれから10年。自分でも「変わったな」と思う

          自分の感情を、抱きしめる。

          親に会いに行くのは、いつも強がれるとき。

          「おお、おかえり」 そう言って玄関の扉を開けてくれたのは、半年ぶりに会った父親だった。もう長い間聴いていなかった「おかえり」にびっくりして、ただいまとはうまく言えず「やぁやぁ、久しぶりだね」と言った。照れ隠しだった。久しぶりの「おかえり」はなんだかやさしくて、少し泣きそうになった。 生まれ育った街にある私の家は、今は他の誰かに貸している。だから、私にとっての「帰省」は父方の実家か母方の実家のどちらか。今回は、父と兄が住んでいる父方の実家。母は認知症の祖母と一緒に暮らしてい

          親に会いに行くのは、いつも強がれるとき。

          未来のことが、考えられない。

          家に帰ってくると、涙がとめどなく溢れた。小さな子どものように大声をあげて泣き、「もう無理だよ、しんどいよ、帰りたい」と泣きながら口にした。子どもの頃は何時間も泣いていたような気がするのに、大人になって ずっと泣くなんてことはなくなった。一通り泣いて、目元が真っ赤な鏡の中の自分見て、限界が近いことを悟った。 何ヶ月前からだろうか、未来のことを考えることができなくなった。 はじめのきっかけは、会社に来ている保険の営業さんと話したときだった。よく話す彼女がある日、私のためにとプ

          未来のことが、考えられない。

          お弁当は、きっと私のためだから。

          「今日もお弁当作ってきたの?毎日えらいね」 会社でお弁当を食べているとかけられる言葉で最も多いのが、この一言。そんなことないですよ、気晴らしなんです と答えて笑う日々を過ごしている。 私がお弁当を作るようになったのは、一人暮らしをして一年が経った頃だったように思う。作ろうと思ったきっかけは単純で、それは私が「ランチに行く」という行為が苦手だったことがきっかけだ。 私は、ランチに出かけるのが苦手だった。私が勤務している駅の最寄り駅にはたくさんの飲食店がある。ビジネス街だか

          お弁当は、きっと私のためだから。

          影がある世界でよかった。

          悲しくなったり、消えたいなぁと考えたとき、自分の足元や人の足元を見て安心することがある。 影。この世の誰の足元にもできるそれが、私はとても好きだ。いつから好きなのかはよくわからないけれど、きっかけは、おそらくある一冊の本。 それは、「影をなくした男」という本で、詩人であり植物学者のアーデルベルト・フォン・シャミッソーが書いた小説。実家の父親の何千とあったであろう本の中の一冊がこれで、私は小学生の頃にたまたま手に取って開いていた。自由課題で読書感想文の題材にまで選んだその本

          影がある世界でよかった。

          心のなかでも、殺したくない。

          「それで、あいつが心中したりしたらウケるよな」 取り留めもない会話のなかで、知人から出てきた発言にゾッとした。それまで楽しく話していて笑っていたのにビックリしてしまい、暖色で彩度が高い色だった私の笑い声は、いつの間にか乾いて褪せた色になっていた。みんなが遠くで笑っているみたいだった。 以前はよく、誰かのことを恨めしく思ったり憎むように思うことがあった。口に出すことはしなくても、それなりの罵詈雑言を心の中で放っていた。そんなときの自分はどこか汚いもののように思えて、好きじゃ

          心のなかでも、殺したくない。

          呼ばれ方が、すこし変わっただけ。

          桂子、桂子ちゃん、桂ちゃん、けいさん。 名字のあだ名も合わせれば、10個くらいはあるだろうか。私のあだ名はわりと多くて、それらそれぞれが私は好きだったりする。 私の仲のいいその人は、私を名字にさん付けして呼ぶ人だった。年齢は同い年だし、本当なら呼び捨てでも構わないのだろうが、私と彼が知り合ったのはお店で、私はあくまでお客さんだった。お互い名前こそ会話の中で知っていたが、どこまで行ってもお客さんと店員の関係。だからこそ、どれだけ仲がよくなろうとも私たちの間でさん付けが廃止され

          呼ばれ方が、すこし変わっただけ。