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自分の感情を、抱きしめる。

「もっとさ、素直になれたらいいのにね」

旅行中、たまたま電話をした相手から言われた。「あぁ、そうか、そうだな、私はいつも強がってばかりだな」と思って、「そうだね」って笑ってしまった。

高校生くらいまでだろうか、よく「お前は素直だなぁ」と言われていた。挨拶して相手に返してもらえたのが嬉しくてにこにこしている私を見て、家の方向が同じだった二個上の先輩はよくそう言っていた。だから、私は素直、そう思っていた。

ただ、年齢を重ねていってあれから10年。自分でも「変わったな」と思うことが増えた。いろんな人と出会って、知り合って、付き合ったり喧嘩したりして、もう会わない人、会えない人、今でも連絡を取る人、いろんな人ができた。私はその中で、その人が今ほしい言葉だったり、それに伴って自分があるべき姿が感覚的にわかることが増えてきた。気がつけば、素直な私よりも“素直そうに振る舞う私”が増えていたように思う。割合が少しずつ変わっていっていた。

私は、自分の感情に向き合うのが苦手だ。客観的には、理解はしている。怒るべきだ、悲しむべきだ、泣いてもいいんだ。そうは思う。そうは思うのだけど、怒れない、悲しめない、泣けない私がたまにいる。

昨年度末、私は珍しく人前で泣いた。仕事がしんどいと思っていて頑張らなきゃと肩に力が入っていた時に、「私、あなたが頑張ってるの知ってるよ。私あなたが大好きよ。」と会社の女性の先輩が言ってくれて、ボロボロと泣いた。そこから、上司と同僚の先輩が昇格してとても嬉しくて、一緒に働けて幸せだと話しながら心から泣いた。その時のことは薄っすらとしか覚えていないけど、私はまだ誰かの前で泣いたりできるのだと安心した。

最近、家にいると一人で泣くことが増えた。「仕事に行きたくない…」と泣くこともあれば、家にいるのに「帰りたい…」と泣くこともある。理由もなく泣くこともある。そんなとき、私は泣いている自分に慌てる一方で、どこか安心している自分がいることに気がつく。

泣けている。泣けているんだなぁ、そっか、私は悲しかったんだね、つらかったんだね、嫌だったんだね。そう言いながら、白湯を飲んだり、お味噌汁を飲んだり、自分を落ち着かせるためにお皿を洗ったりする。少しずつ飲み込んでいく、流していく。

自分の感情に向き合うのは、何歳になっても難しい。子供がどうして悲しくて泣いているのかわからない時があるように、私もどうして悲しくなって泣いているのかわからないときがいまだにある。けれど、それでも私は私なりの方法で、少しずつ少しずつ向き合って、自分の感情を抱きしめてあげられたらいいと思う。

今日も、私は泣いている。わけもわからず、漠然とした不安を抱えながら泣いている。そうだよね、そうなんだよねと、少しずつ飲み込んで、流して、抱きしめて、ゆっくり眠りについて。そうしていつか、私が自分の感情を表してもいいと思える日が来たらいいなと、心から思う。

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