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体調不良の日、親はいつも優しかった。

怪我や体調を崩したときの記憶は、なぜか覚えているものが多い。

はじめて親が血相変えて私を看病してくれたのは、ジャングルジムから落ちたときだった気がする。4歳とか5歳の頃に父と公園で遊んできたらジャングルジムから落ちた。回る球のタイプのジャングルジムで、私は自らひょいひょい上がっていって、気がついた時には落ちて口の中を切っていた。この頃には、父が片親で育ててくれていたから、帰りは父におんぶされて帰った。182センチもあるお父さんの背中はすごく大きくて、私はその背中がとても好きな子供だった。

その時は家から帰ると父親が噛みやすいものということで、やわらかく茹でたうどんを作ってくれた。麺のつゆが傷口に染みて、「お父さん、これいたい…」と少し不満を漏らしたのを覚えている。

今の母が家族になってからは、母が看病してくれることが多かった。とはいえ、そもそも共働きの我が家は、基本風邪を引いても親が仕事を休むことはなかったから、いつも少し寂しかった。

それでも、たまたま仕事の休みの日に重なったり、親が朝ゆっくりな日だと少し構ってくれるのが、私は好きだった。

私はたぶん、心の底では甘えたい子供だったのだと思う。今思えば、記憶の中で、親に甘えた経験はあまりない。子供ながらに、私が笑っていれば家族が笑顔になることを知っていたから、いつもにこにこしていようと思っていた。父や母が大変なのはわかっていたから、手のかからない子になりたかった。結局、手のかかる子だったと思うけど、それでもそう思っていた。

だから、構ってくれる日が嬉しかった。寝てなきゃいけなくても、作ってくれたおじややパン粥をぺろりと食べると「そんだけ食べられるなら大丈夫だよ、すぐ良くなるね」と笑いかけてくれる父と母が好きだった。自分が元気になることを、こんなに喜んでくれる人がいることが私はすごく嬉しかった。


誕生日に熱を出して、自分の力ではご飯が作れなかった。あの頃寝ている間に作ってくれていて、起きてくると「熱測ってからね」と言ってくれていたのは、優しさ以外の何物でもなかったのだと25歳になって知った。

親だって人間。きっと私が体調を崩しているとき、親も体調が悪かった日があったと思う。けど、不思議なことに親の風邪をひいた姿を私は知らない。

姉が母になってしばらく経った頃、「親って風邪引かないものだと思っていた」と送ったことがある。姉からは、「引いてる場合じゃないから、気合いで凌いでいただけだったってことに気がついたよ笑」と返ってきたて、「あぁ、親は強かったんだな、強くなるんだな」と思ったのを、微熱のなかで思い出した。

年に一回、両親に会ったとして、私はあと何回生きている両親に会うことができるだろう。下手すると、両手両足で数えられるくらいなのかもしれない。いつ、なんてわかることはきっとない。

誕生日の連絡、父からの「最近顔見てないけど、元気にしていますか」の連絡に「年末はしっかり帰ります」と返した。たまには美味しいデザートでも買っていこうかな、父と母が喜びそうなやつ。

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