海に会えば、
海に会いたい。
何かの糸が切れた時に、そう思うことがある。切れて、無気力になった時に、海に会いたくなる。6月と10月と、そして今。今年になって、度々訪れる感情だ。
昔から漠然と海は好きだった。
父は海に関わる仕事をしていたから、船に乗る機会もあったし、魚については父からの話はもちろん、絵本を通して学んだ。大人になった今は、水族館で旅行先を決めるくらいには海の生き物が好きだ。
そんな海に、会いたいと思うことが増えた。
6月は、加茂水族館がある山形の鶴岡に行った。クラゲがたくさんいて、1泊2日の旅程なのにも関わらず5時間くらいずっと水族館にいた。ホテルは海沿いのところを予約して、完全に日が沈むまで2時間くらい海を眺めていたし、朝もずっと海を見ていた。
10月は宮城に行った。うみの杜水族館に行ったし、松島ではフェリーに乗って外のデッキで海をずっと眺めていた。
海に会いたくなるのは決まって疲れたときで、すべてのことを投げ出したくなってしまったとき。人との連絡もまともに取れなかったり、自分の食事も「たのしみ」ではなく「栄養摂取」として考え始めてしまう頃だ。そんなとき、何かを誰かに許して欲しくなって、それは決まって海のような気がして、私は逃げるように全力で、なるべくそのとき行ける範囲で最も遠い海を目指す。
海の近くは、なんだか守られているような気がするから好きだ。許してくれるような気がするから好きだ。きっと泣いていても、嬉しそうにしていても、そんなの気にせずにいてくれる。変わらず一定のリズムで寄せては返していく波が心地よく感じるのは、そんな気にせずにいてくれる友人のような感じがするからだと思う。
そして、不思議なことに海に会うと、「やっと戻ってこられた」と思うし帰るときには「また来るね」という気持ちになる。たぶん、私のなかの海は遠くどこかで父と繋がっていて、私はそれに安心をするのかもしれない。だから実家じゃないけど実家みたいな、ここにいていいような気持ちになるのはそういうことなんだろう。
海は大きくて、青くて、ずっとどこまでも繋がっている。
東京を走る電車に揺られながら、遠い海に思いを巡らせて、強く心の底から会いたいと思う。
今、海に会いたい。
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