「転がる石の辿り着く場所 ~ニューウェーブ以後のローリング・ストーンたち~」
フリーターとニート、合わせて280万人。若者の5人にひとりが、このどちらかに当てはまる計算になる。ニートに限った統計を見ると、その数の6割を25歳から34歳までが占めている。つまり1970年代に生まれた人たち。戦争も、戦後も、バブル経済もバブル崩壊も経験せず、過去の事実としてしか認識していない世代である。不景気といわれながらも平和で穏やかな、言い換えれば「のっぺりとした」時代に生まれ育っている。
父母は戦後生まれ、バブルは小学生の頃に、携帯電話の登場は高校時代に。「就職氷河期」という言葉がもう目新しくもない頃に就職活動を始め、インターネットでエントリーシートを登録する。1979年生まれの私もそんな時代に育ったひとりである。100社近い会社にエントリーし、30社近い会社の説明を受け、そのうち書類選考に残ったいくつかの会社の面接を受けた。ある広告代理店では約半年掛かりで5次試験まで受け、そこで落ちてしまった。がっかりする暇もなくまた新しく就職活動を始め、卒業間近にやっと小さな児童図書出版社に勤めることが決まった。出版と通販事業に関するあらゆる雑務を任され、週休2日と言いつつも土曜日も出社しなければならない勤務状態ではあったものの、学生時代とは違う楽しみを仕事に見つけることができた。1年後に正社員に、という契約だったのでその間保険や年金を自費で払ってはいたが、僅かな期間のことだとあまり深く考えずに働いていた。しかし、約束の1年後に突然クビになってしまった。「事業縮小のため人員整理をしなければならない」「まだ若いから他にいくらでも仕事はある」「実家暮らしだから困らないだろう」などと言われて。正社員ではないので失業保険もないまま、放り出されてしまったのだ。
仕事に対する一連の出来事は、「私の不器用さが招いた不運なケース」だと思っていた。しかし、驚くべきことに、数年ぶりに会う高校時代の友人のほとんどが、私と似たような経験をし、今も正社員以外として職場に籍を置いていると言う。6割どころが8割がと言っても過言ではない。フリーター・ニートと呼ばれたいと願い、自らそうなったひとは280万人のなかにどれだけいるのだろうか。「結果として」フリーターという立場に身を置くこととなり、その環境に順応し、対応していく友人たちの姿は逞しくさえ見えた。日本のことわざ「転石苔むさず」というよりも、英語の「A rolling stone gathers no moss」の解釈―活動的だと腐らない―に近いような、常に動きつづけ、何事にも縛られない自由な空気のなかで生き生きとしているように思えた。
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1960年代生まれの歌人、穂村弘・荻原裕幸・加藤治朗、それから俵万智らによるニューウェーブやライトバース以降の世代による第1歌集の刊行がこのところ目立つようになった。「ローリング・ストーン」的な1970年代生まれの歌人たちの登場である。
元禄寿司従業員控室入口に「会議中」の紙 ぼくもまぜて
ビルでも見ようとしたら柳沢さんがビルを見ていた背広が見える
1972年生まれの斉藤斉藤の『渡辺のわたし』。「生の豊かさの表現とは別の、システムによって生が分割された時代のリアリズム」と穂村弘に評されたこの1冊には「働いている姿」は垣間見られるがその職種・内容に関しては読み取ることができない。回転寿司屋に張られた張り紙にふと「ぼくもまぜて」とつぶやいてしまう軽やかさ。なんとなくの人恋しさ、興味本位の視線の先に「他人の仕事」や「会議」に対しての意識の軽さが繋がっている。同じ職場の「柳沢さん」を屋上に見つけても、そこに感情は含まれず、ただ「背広が見える」と観察するような冷静な視線を向ける。ほかにも「矢野さん」など人物名とともに職場での場面が詠まれるが「職場詠」というにはあまりにも登場人物に対する思い入れのなさ、関係の浅さが感じられる。二次元のキャラクターのような薄っぺらさ。それは作者の力量不足ではない。あきらかに狙っての描き方である。それによって過去多く詠まれた職場詠ならではの重みが完全に消され、まさにいつでも交換可能な派遣社員やアルバイトによって成り立っている危うく薄っぺらい現代の会社がリアリティを伴って歌のなかに表れている。
この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ
キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる
1973年生まれの佐藤りえの『フラジャイル』。「わたし」を「この世」に繋ぎとめてくれる霧笛のようなケトルの音。けたたましく暗闇に響くその音の高い高い響きが残響として耳に残るような錯覚を覚える。キラキラ、撃たれて、やばい。なにかが起きている。それも平常ではありえないようなことが。下句で突如登場する「美しが丘」はもちろん本当の住まいのある場所ではなく、詩的なイメージから選ばれた駅名である。魂が軽やかに「この世の中」ではない場所や詩的な地名の「美しが丘」へと飛んでゆく。生まれ育った場所や生活している土地には繋がれていない。生まれた時からカラーテレビがあり、標準語で話される番組をどんな地方でも見ることができ、またどの町に行ってもおなじコンビニ、ファミレス、大型スーパーがある時代以降に育っている「ローリング・ストーン」世代は、故郷と呼べる郷土を消失している。どう振り払っても身体に染み付いてしまう生まれた土地の匂い、言葉遣い、生活習慣などを背負っていない。あとがきの著者略歴を見るまで、その作者の故郷は見えてこない。ニューウェーブ世代のように「あえて」そこは避けました、という意識も見られない。開放された魂だからこその美しく詩的で、孤独なまでに捕らわれない空間が歌のなかに広がっている。
The world is mine と低く呟けばはるけき空は迫りぬ吾に
違う世にあらば覇王となるはずの彼と僕とが観覧車にいる
『黒耀宮』の黒瀬珂瀾は1977年生まれ。やはり1冊を通しても作者の生活は見えてこない。学生であるのか、社会人であるのか、どんな土地で生まれ育ったのか、家族構成はどうなっているのか。それらが歌に詠まれることはなく、ただあるのは作者の美意識、趣味・嗜好の世界である。少年から青年にかけての、美しいもの、穢れたものそれぞれに心奪われ落ちてゆくさま、その思想の結晶としての歌であり、歌集である。世界は我がもの、と宣言してしまうほど己を過信し、怖れを知らない吾へと迫る空。その圧倒的な圧力に背を反らさずにはむかう青年がいる。覇王になれるほどの彼と、ふたりで乗り込むのは空中高くまで昇り、その間密室となる観覧車。どんな人とであっても圧迫感を感じてしまうあの空間はさらに密度を増し、濃く濃くなってゆく。完全に「己の世界」へのめりこむことができなければ作り出せない濃密な空間は、固執するべき現実の「私」や「生活」から解き放たれたことによって生まれている。
鎌倉で猫と誰かと暮らしたい 誰かでいいしあなたでもいい
この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね
『プライベート』の佐藤真由美は1973年生まれ。『プライベート』というタイトルと裏腹に、ここに収められた歌は「個人的な経験」というよりも「真剣な恋をした女の子の経験」という次元にまで研ぎ澄まされている。恋に落ち、駆け引きがあり、仲良くしたりケンカをしたり。恋人以外の人からのアプローチもあれば不倫の恋と別れもある。その間にもきちんと通勤電車に乗り仕事はして、という星の数ほどもいるであろう「女の子たち」の恋を中心としてまわる生活を一見淡々と、芯では深く傷つきながら歌にしている。「誰かでいいしあなたでもいい」は強がりから出た言葉ではない。本当に、心の底から思っているのだ「誰かでいいしあなたでもいい」と。そのことで「あなた」も傷つくであろうし、「わたし」だってそう言い放ってしまえる自分の孤独さに気がついて悲しくなってしまう。恋人の部屋に残る煙草の吸殻がきっかけとなって彼の浮気を知ってしまう。その前後の修羅場は歌にされることはなく、そのときの彼女の呟きだけが31音に切り取られている。「プライベート」な心情を越えて一気に感情移入させられてしまうような、強い場面だけを持ってきている。その効果のために佐藤真由美という「個人」の人生は潔く切り捨てられている。年齢も職業も生活も。読んだ誰しも(もちろん対象は限定されているが)がそれぞれの恋愛の風景をそこに重ねることができるように。
もうひとり、1975年生まれの笹公人『念力家族』に到っては作中に登場するのは「念力先生」や「金星のレナ」「大山のぶ代」など。藤原龍一郎も「ここには虚構性や私性といった短歌の問題は軽々と超越されている」と評している。従来の歌のように作者の背景を追いかければ一層歌が深まる、という効果はない。『念力家族』において作品と作者はまったくの別空間に存在しているからだ。
笹が歌に出会ったきっかけとしてあげている寺山修司の歌の虚構には「青森」という呪術的な郷土が染み付いている。また、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』で穂村弘が描いた他者に仮託したポエジーは「青春の一瞬のきらめき」を切り取ることに長けた作者のひとつの技である。前記に上げた作者たちの「ローリング・ストーン」的な軽やかさ、「私」との繋がりのなさとは種類が違う。繋がりを自ら断ち切って転がっているのではない。はじめから何物にも繋がれない環境に置かれているのだ。
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「ローリング・ストーン」になるための環境はますます整ってきている。インターネットによってどこにいても同じ情報を得ることができる。「恵比寿のカフェの名物ロールケーキ」だって「渋谷のスープ屋のオマール海老と渡り蟹のスープ」だってお取り寄せすれば全国どこでも送料無料で手に入ってしまう。ネットによってますます世界はフラットになってゆく。短歌の世界も「ネット歌会」にどんな場所・時間にでも参加できるし、大きな書店や神田の古本屋まで出向かなくても、アマゾンのサイトから歌集を注文することができる。都市・地方の格差はもはやない。簡単にホームページやブログを立ち上げることができるようになったので、発表の場を紙媒体に求める必要もなくなった。仮に正社員として会社に勤めることが結社に所属することだとしたら、フリーター・ニート状態はインターネット上で作品や文章を発表することにあたるのだろう。就職しなくてもバイトで食べていける、というのと同様に、結社に所属しなくても発表の場があり、すぐに感想を述べてくれる仲間がネット上にはいる。とりあえずであるにせよ、それによって満たされてしまう。
若者の結社離れが進んでいるという。しかし、イコールで若者の短歌離れが進んでいるのかといえば、そうではない。NHKラジオ第1で放送されている「土曜の夜はケータイ短歌」宛てに、毎月のテーマごと数千首が寄せられる。主に10代項半から20代の作者による投稿である。短歌をテーマにしたブログも活発に活動している。そして、結社に所属せずに自分たちで同人誌を立ち上げ活動する作者も出てきた。
糖蜜の温もり満つるこの町でわたし一人がはじかれてゐる
戸の向かうかにか羽ばたく気配して もう、この夢を抜け出なくては
(「sai」vol.01)
「pool」「sai」という同人誌を主に発表の場としている石川美南は1980年生まれ。結社に所属しながら同人誌を立ち上げ、その後結社を「卒業」し同人誌のみで活動する、という経路を通らずに、結社に所属することのないまま現在に到っている。「pool」4号の『「pool」世代を考える』という企画で石川は「『私』のことを歌うのはもうやめることにした。(中略)歌の中で、わたしはありとあらゆるものに変わり、千の声色で人を惑わせる。短歌一首一首に別の物語があり、別の人生が息づく」とコメントを寄せている。「sai」で発表されている連作も架空の町のアパートが舞台に置かれている。場からも、「私」からも石川は自由に羽ばたこうとしている。五島諭などの多くの早稲田短歌会のメンバーも、この同人誌には名を連ねている。同人誌を活動の場にする、ということは会社に就職せずに、会社を起業することにも似ている。大企業にいても将来が安泰なわけではない。フリーター生活を経て小さなIT企業を立ち上げる。自分の目の届く、勝手がきく小回りの良さのなかで、気のあった知人たちと活動する。メンバーの入れ替えも、潰してまた新しい同人誌を立ち上げるのも自由である。自分で舵を取って転がる「ローリング・ストーン」に最適の場である。そのほか、「ケータイで短歌を楽しむ」をコンセプトにした同人誌「歌クテル」も、結社外に重点を置く若手によって創刊されている。
レシートの端っこかじる音だけでオーケストラを作る計画
上空のコンビニエンスストアから木の葉のように降ってくる遺書
(「第4回歌葉新人賞」笹井宏之)
インターネット上で募集されている「歌葉新人賞」を2005年に受賞したのは1982年生まれの笹井宏之である(第2回受賞者はは斉藤斉藤)。笹井の名前はインターネット上のあちこちで見ることができる。「土曜の夜はケータイ短歌」「枡野浩一のかんたん短歌Blog」「笹公人の短歌Blog」「テノヒラタンカ」など、さまざまな投稿欄に作品を応募している。固執するものがないため、そして基本的な「まじめさ」によってそれぞれの場に添って作風を変化させる、させることのできる(技巧的ともいえるが)危うさがあるものの、そこに一貫しているのは笹井という「私性」のなさである。語彙の豊かさ、テクニック、美しいポエジーによって成り立つ歌の基盤になるのは「ただ孤独な私」である。ここにはもう性別すらも存在しない。そしてそのことによって生まれる独自の浮遊感の心地よさ。私は笹井の歌を「ローリング・ストーン」世代のひとつの頂点の歌であるとみている。
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「ローリング・ストーン」世代にとって、ニューウェーブ世代も壁ではない。「歌葉新人賞」のようなデビューの場や歌集出版の場、または歌集のプロデュースや「短歌ヴァーサス」の創刊、マスコミでの活躍など「心優しき先輩」または「頼りになる兄貴」的な存在となっている。石は転がりつづける。そしてこのままどこへ転がってゆくのか。どこかにぶつかって止まる。自分から転がるのをやめてしまう。果てなく転がりつづける石もあるかもしれない。ニート・フリーターだらけの社会のほうが先に破綻をきたすのかもしれない。しかし実際には、「ニート・フリーター」という言葉の否定的なニュアンスをよそに、当人たちは冷静に己の人生を見渡し、そして逞しく生活している。9時から5時まで、与えられた仕事をこなしていればいい、という無気力さでぬるま湯に浸かっている世代とは違う。あの「ホリエモン騒動」は特異なパターンかもしれないが(ちなみに堀江貴文は1972年生まれ)安住する地を初めから持たずに、自分たちで開拓してゆこうとする力強い意思が見られる。
短歌が長く捕らわれてきた「私性」。小説や詩が一生「私性」を出さずに書きつづけることが可能なのに対し、短歌はどうしても続けてゆくうちに己の人生と向かい合わざるをえなくなってくる。「ことわざ」のような短歌を目指し、大衆の代弁者を目指していた枡野浩一は、岡井隆との対談で「エッセイに書いているような離婚問題なども歌にしていかなければ、ここで君は終わってしまう」と叱咤されていた。穂村弘は近作で母の死を扱っていた。前世代までも格闘していた「私性」という大きな壁。「ローリング・ストーン」世代はそれを易々と乗り越えて転がってゆく可能性を秘めている。固執するべき「私」を失う、または始めから持ちえないというかたちの開放で。人生も、歌の発表の場も作風さえも何物にも捕らわれず、繋がらず、軽やかな足取りで石はどこまでも転がってゆく。
(「短歌人」2006年7月号掲載の評論のロングヴァージョンになります)
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