宿題に向かう姪の横でごろごろする
本日はおやつ時のこの時間に、小学3年生になる姪が宿題をする傍ら、ワニのぬいぐるみを枕に、畳に寝転がる。なんとも贅沢な時間だ‥
姪は、うらやましいと言う。
仕事もしないでだらだらしてる叔母を見てたら、羨ましすぎて宿題に集中できないと。
「宿題かー、やらないとダメなの?」
休職中とはいえ教師にあるまじき発言かもしれないが、仕事や俗世から離れると、一般常識に則らなくていいこの環境に、途端思考は甘え出してしまう。
「だめだよ、居残りさせられる」
「居残りかー、逃げたらどうなるのかな」
「怒られるよ」
「どんな怒られ方するのかな」
「んー」
「叩かれる?」
「それはない」
そうだ。そんなこと、"今の時代の常識"では許されない。
「怒鳴られる?」
「それもないかな」
そうか、怒鳴るのもそろそろ"常識ではない"になるのかもな。
「理由をきかれるんだよ、しつこく」
「あー。『どうしてにげたの?ダメだよね。なんで?』って?」
「そう。しつこく。だから面倒臭いから宿題するの」
言いながら、案外楽しげに姪は漢字をノートに書いていく。やり始めてしまえば興が乗ってくるものなのだろう。なるべく漢字を使わないでひらがな多めの例文を作るのだそうだ。
『学校に行くのはたいへん。ひきこもり』
なんて文を書いているんだ、私のことか。
そうね、世間に化粧して口調を変えて順応するのは案外大変なことだったのかもしれない。
楽しいことで誤魔化して上塗りしていたから、そんなに大変なつもりではなかったのだけど。
小学生の頃、私は宿題をサボったことは一度もない、丁寧な字でノートを仕上げるが好きだった。
が、結果30歳少し過ぎた現在、心に変調をきたし、昨今よくニュースで取り上げられ始めた見事な不登校先生になったわけだ。
「なんのために宿題なんてするのかしらねー」
寝返り打って天井を見つめる。
姪はうーんと少し考えて、
「立派な大人になるため?」
宿題を欠かさず出していた小学生は、このような大人になるのだから、その回答には残念ながらエビデンスがないな。いや、エビデンスどうこう言う必要もないくらいわかりきったことだ。
宿題しようがしなかろうが時間が経てば、子どもは勝手に大人になる。
立派がどんなものか知らないけど、宿題は関係なさそうだと、大人はみんなわかってる。
姪の親は、宿題しないとダメなんだと熱弁する娘に「洗脳されてる…」なんてぼやくぐらいには、世の中を斜めに見る捻くれ具合を持ち合わせている。この親にこの叔母である。姪はどんな大人になるだろうか。
姪はたぶんLD傾向があって、夏休み前半毎日泣きながら宿題に向かっていた。そこまでしてやる宿題とは。どう考えても身になっていないのは明らかだが。
私は数年前に特別支援学級を任されるようになってから、自分自身、学級の子どもに宿題はそこまで頑張んなくていい、できる範囲でOK、ぐらいの意見でいたこともあるけれど。
ますます宿題とは…と思う姪の光景。
毎日コツコツ宿題頑張って、頑張ることは素晴らしい教に入信して、結果その価値観から抜け出せず、こうして畳に転げることになるのなら、もっと別の有意義な学びがあったかもと思ったりしなかったり。
「でもさ、泣かなくなったよ。めんどくさいけどやるしかないから、あきらめようって思ったら泣かなくなったよ」
ブラック企業の社員みたいなことを言う姪に、ああ、これぞ日本の教育だなあと笑う。
まあ、とはいえだ。
小3漢字の読みくらいはできた方が、確かに世の中は生きやすそうなので、がんばれ姪よ。
学びは案外ただの娯楽から始まったものなのだよ、楽しめ姪よ。
畳に転がりながら、漢字の豆知識を楽しく喋る叔母に冷たい視線を向ける、姪よ。
叔母は、そなたが幸せな大人になれることを心より願っているぞ。
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