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#2 「めんどくさい」は本能なのか?

めんどくさいの哲学 #2

 めんどくさいという言葉でまず思いだすのは、冬の寒い朝、起きたときに、トイレにいきたくなるというシチュエーションです。オシッコもれそう。でも布団から出るのがつらい。このままオシッコをもらすわけにもいかないし、ガマンし続けるという選択肢はありえないのに、トイレにいくのを伸ばし伸ばしにする。歌人の穂村弘さんのエッセイで、そんなとき、オシッコだけ瞬間移動でトイレにいかせることができればいいのにと思うって話があって、まったく同感!という気持ちになります。

 つまりめんどくさいは、「〜をしなければならない」と「したくない」の相反する2つの力があるときに、生まれる感情だと言えます。めんどくさいを生じさせる「〜をしなければならない」は、基本「いやなこと」です。でも、「うれしいこと」であっても、そのまわりに小さな「いやなこと」があると、やはりめんどくさくなる。たとえば旅行に行くのは「うれしいこと」ですが、そのために計画を立てたり、切符を買ったり、荷物をまとめたり、電車に乗ったり、というのが「いやなこと」だと、旅行自体がめんどくさくなります。お風呂もそうですよね。「お風呂に後悔なし」と言われるように、お風呂は入った後は気持ちいいのですが、服を脱いだり、体重を測ったり、体を洗ったり、湯船の中で水圧に耐えたり、ということがあって、入る前にめんどくさい気持ちになります。

 あと、「〜をしなければならない」は大きく分けて2種類あると思います。風呂に入らなければならない、トイレに行かなければならないといった、自分にまつわるものと、仕事をしなければならない、就職しなければならないといった社会的なものです。心理学に一次的欲求(生理的欲求)と二次的欲求(社会的欲求)という言葉がありますが、まさにそれでしょう。仕事や就職は、自分からの要請ではなく社会的要請なので、よりハードルが高いような気がします。このnoteでは、息子たちが自立を前にしためんどくさいを問題にしてるので、二次的欲求を考えています。

 脳内科医であり医学博士である加藤俊徳さんの『「めんどくさい」がなくなる脳』という本によると、脳はあつかう内容によって使う部位が違うのだそうです。加藤博士によると人の脳は、思考系、伝達系、運動系、感情系、記憶系、聴覚系、視覚系、理解系という8つの脳番地(脳の部位)にわかれていて、普段使ってない番地を使うとき、めんどくさいと感じるのだとか。いつも使ってるところの神経細胞は発達していて、そうでないところは発達しておらず、つながりが悪いらしい。イメージとしてわかりやすいですよね。

 動物は同じことをしたがります。コンラート・ローレンツという動物行動学者は、たくさんの動物を家で飼っていたのですが、その中のハイイロガンが、いつも同じルートで階段を登っていくという話がありました。階段を妙に回り込んで登っていく。ある日、ハイイロガンを驚かしたら、直線で階段に辿り着き登っていってしまったのですが、途中でいつものルートと違うことにはたと気づき、いったん降りていつものルートで登りなおしたそうです。こうしたことは、脳神経細胞の話とつながっているのかもしれません。おそらく、いつもと違う行動は命の危険を伴う動物は、いつもやってることを大切にし、いつもと違うことを嫌う。それは動物の本能ということではないでしょうか。
 ただその一方で、人は退屈を嫌う動物でもあります。いつもと違うことをやることで、人は進歩とか進化とか、新しいことができるようになってきました。いつもと違うことをしたがるというのもまた、人という動物の本能のような気がします。

 とすれば、まったく方向性の違う「〜しなければならない」ことと「したくない」ことの間で引き裂かれて「めんどくさい」を発動してしまうというのも、人の本能と言えるのかもしれません。加藤博士は、めんどくさいは脳のデフォルト(初期設定)と言います。人が「めんどくさい」と感じるのは、当たり前のことなのです。


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