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読書感想文 ジェイムズ・ジョイス「痛ましい事件」 こういう作品のほうが良いと思う
主人公のジェイムズ・ダフィは孤独な中年男性で、仕事を終えるとひとりで食事を済ませて、友人も恋人もいない彼はたまにオペラかコンサートに行くのが唯一の放蕩という、禁欲的といえばそうだけど自分しかいない世界に生きている、もっと言えば人間嫌いで自分は俗物ではなく崇高な人間だと思っている。
ダフィは銀行で働いているが、作者の世界観が彼に投影されているのかもしれない。そんなダフィがあるオペラの観劇中に隣の席に座ったシニコウ夫人という中年女性と会話をしたことがきっかけで親密な関係になる。
といっても会って話をするだけ、だけどダフィは「少しずつ自分の考えに彼女を引き込んでいった」という文章があり、ダフィは彼女に本を貸してさまざまな思想を教えて自分の精神世界に彼女を誘い込んだとも書かれている。
夫と娘のいる、でも孤独を感じていたシニコウ夫人は30代後半で初めて自分が好きだと確信できる相手に出会えたということなのだろうか。ある日シニコウ夫人はダフィの手を握って思わず自分の頬にあててしまう。
ダフィはシニコウ夫人に幻滅して彼女に別れを告げる。1914年に書かれた話なので女性は夫と子供のために生きるのが美徳という世相なので、ダフィも紳士として正しい決断をしたように思える、でもそうなのだろうか。
この時代ははっきり言って男性の方が女性より優秀という世界観で成り立っていた。ダフィのような孤独な男性が唯一女性に与えられるものは自分の思想と教養だけだったのではないだろうか。
ダフィが自分の精神世界にシニコウ夫人を導いて有頂天になっている様子には、どこか映画監督が演技指導をしているうちに女優と師弟関係のようなものが出来て、やがて恋愛関係に発展するみたいな、そんな印象もある。
短編小説だし1914年という時代なので具体的には書かれていないが、2025年に生きる日本の男性にもダフィのこの気持ちは理解できる気がする。
ダフィはシニコウ夫人に知性の面で優越感を感じていたはずで、シニコウ夫人は男性に従順なタイプだとダフィは何の根拠もないが彼女は自分のことを尊敬してくれていると思い込んでいた感じがある。
でも女性から積極的に肉体的なふれあいを求められて劣等感を感じてしまった。こういうのはダフィや日本の男性だけではなく、アメリカの映画でも主人公の男性が恋人の女性から過去に五人以上の男性と交際していたと告白され、愛しているのにドン引きしてしまい別れるという作品があった。
ダフィはシニコウ夫人を指導する形で、自分の優越感を守りながら愛していたのに、それをひっくり返されてプライドを傷つけられた。
いや、そういう話ではなく、道徳観の強い時代の純愛の悲劇だという解釈もあると思う。だけど、別れた四年後にシニコウ夫人が死んだことを知ったダフィは彼女とよく散歩をした公園に夜に行って、そこで暗闇で愛し合う恋人たちを見て、品行方正な自分の人生が忌々しく感じられる、自分は人生の饗宴からはじかれたと悔いているのだから、本当はシニコウ夫人と結ばれたかったのだと思う。
ダフィとシニコウ夫人がもし肉体的に結ばれていたら社会的には終わったのかもしれないが、だけど清廉潔白な人生を貫いて孤独なまま人生を終えるのが本当に素晴らしいことなのかという作者の疑問は正しい気がする。世間の評判なんか捨てて、自分のプライドも捨てて道ならぬ愛を選ぶぐらいのことをしないと孤独からは抜け出せないというのは真実かもしれない。