映画感想文「フラワー・アンド・ハニー」 逆の意味ですごい映画を見たという満足感
ロサンゼルスで花屋を経営している主人公のサラは、亡くなった叔母が遺言で農場を継いでほしいと書いてあったので、ネットもつながらない田舎に行って自分の目で土地を確認することにする。
そこには養蜂業をしている素朴な男性のクリスという男性がいて、サラはしばらく農場で花を育てることにする。
この映画が2021年に制作されたアメリカ映画だと知って、逆にこれはアンチアメリカ映画なのではと疑い、現在のホラー映画ブームや何十発も銃をぶっ放されても、なかなか死なないアクション映画の男性主人公への当てつけなのかもしれないと思ったほど。
だけど、そうではなくて土の中にいる大きなミミズを平気で手でつかみ、ごく自然に農場で花を植えて育てる、そういう姿が似合うこの映画の主人公のサラを見ているうちに気付かされる。
我々がアメリカ人女性に持っていた元々のイメージはサラのような楽天的ででも自立心があって、裏表もなく、男性に一切色目を使わない、それは子供の頃にディズニーアニメに植え付けられたイメージなのかもしれないし、自分より上の世代にとっては「大草原の小さな家」とかのテレビドラマのイメージなのかもしれない。
だけど20年前ぐらいまでは日本人のアメリカ人女性のイメージは、明るくて元気で気さくで、トウモロコシ畑が似合うようなそんな印象だった気がする。そういうイメージは自分だけの思い込みだとは思わない、20年ぐらい前まではアメリカ映画に出てくる女性は口を大きく開けて天真爛漫に笑っていた。
今は白人中心の物語は時代に合わないのかもしれないし、黒人の女優も明るくて元気いっぱいの役で出演していることもある。今の十代の日本人にはピンと来ないのかもしれないが、アメリカ人の女性に対するイメージは良い意味で明るいカントリーガールだった、この映画のサラを見てこれが自分の知っているアメリカの女性だと嬉しく感じたのは自分だけではないと思うのだけど、どうなのだろう。
この映画は、ほぼ田舎の農場でサラと隣に住んでいるクリスとクリスの妹の普通の近所付き合いからサラとクリスの間に恋が芽生える、それだけの話。一応ドラマ的な対立構造もあるのだが、サラもクリスも根に持つこともなくあっさり立ち直り、基本笑顔で物語は進む。
確かにポリコレ派の人は白人しか出てこないとクレームをつけるのかもしれない(ひとり黒人男性は出てくる)、意識の高さをアピールするような現代思想や啓蒙主義的なグローバリズムを絶賛するスピーチも誰もしない、経済的成功に対する妄信もない、もちろん銃の出番はない、大麻も吸わない、鎮痛剤を飲むシーンもない、これがすごいのだがピザとドーナツも出てこない。ただ、クリスの妹は離婚している、だけど次の男を探してマッチングアプリなんかしない、兄のクリスの恋の応援をする。サラの入浴シーンはあることはあるが、首までお湯に浸かっている、基本サラの服装はズボンと長袖のブラウス、なんか逆にすごい映画を見たという満足感がある。