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映画レビュー「視線」 アメリカ人の外国人恐怖症

夫がルーマニアに赴任することになったので、アメリカ人の妻も同行する。だけど、ある時ふと向かいのアパートに住んでいる住人が自分を見ている視線に気が付く。
観客は主人公の女性が体験した恐怖を知っているので、彼女の周囲にいる人たちが外国で暮らすストレスからくる被害妄想だと決めつけることに苛立つ。

この主人公の女性が周囲のコミュニティから孤立していく状況は、今の国際社会から孤立していくアメリカの比喩なのだろうか。アメリカには陰謀論のような米国は影の政府に支配されているという強迫観念を抱いているアメリカ人が多くいる。アメリカ以外の国からしたら経済的に軍事的に外交的に強力な権力を持っているアメリカ人が被害者みたいなことを言うことに違和感を感じる。

でもアメリカ優先主義があれだけ支持されるのは、外国や外国人を米国人は本気で怖れているということなのかもしれない。
たぶん、この映画の主人公のように現実のアメリカ人も外国に行くと自分が監視されているような、陰で悪口を言われているような疎外感と孤立感を感じるのかもしれない。

アメリカ人があそこまで銃に執着するのも自分が狙われているという実感のようなものがあるからだと思う。映画では主人公の隣に住んでいる住人が銃を隠し持っていて、彼女にこれがあるから大丈夫という場面がある。主人公が自分のことを監視していると疑っている相手の男性は、女性が手を振ったから振りかえしたと弁明する。現実のアメリカも他国が友好の意を示したら、逆に罠だと疑い出すような印象は確かにある。

映画の最後も、ほらアメリカ人の言っていたことは正しかったでしょう、外国人は腹の中ではアメリカ人を憎んでいる、なのにこちらが少し愛想よくしたら図に乗って馴れ馴れしく近づいてきて外国人は本当に鬱陶しいという内面の声が聞こえてきそう。
でも、アメリカ人はテロリストに狙われているのも事実なので、この主人公のような被害妄想と強迫観念をアメリカ人が抱くのは仕方がないのかもしれない。アメリカは世界最強の国なのに、そのせいで外国に行くと不安に駆られる、確かにアメリカ人にとって外国は不条理に満ちた悪夢の地で、外国人はサイコパスに見えるのかもしれない。


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