映画感想文「愛に乱暴」 小説も読んでいる人の感想
〇2013年に発表された原作の小説
原作の小説は2013年に発表されていて、その頃はまだ多くの日本人は日本は先進国で経済大国だと思い込んでいた。でも主人公の桃子(江口のりこ)のような30歳を超えて子供のいない主婦や一部の日本人は、日本にはもう何もないと気付いていて社会の空虚さと向かい合っていた。
桃子は夫から必要とされていないと気付いていて、義母からは体面を取り繕っただけの対応をされて、再就職をしたくても選択肢は閉じられている。
政治家が時折暴言を吐く「子供を産まない女性には価値がない」というような日本社会の歪んだ価値観の生贄にされた女性の象徴が桃子なのだと思う。30歳を過ぎて子供のいない主婦は、この国の誰からも必要とされていないよと、後ろ指をさされているような被害妄想に囚われて日常を生きている桃子。
小説では桃子は韓流ファンという設定になっていて、あの2010年代がピークだったと思われる主婦層の韓流ブームというのは、桃子のような存在するのに透明人間のように扱われていた女性たちにとって最後の心の拠り所だったのだと「愛に乱暴」の小説を読むとわかる。だから、この前提がないと最後の韓国人留学生の桃子への「ありがとう」という台詞の意味は観客に伝わらないと思う。
桃子にとって現実の人生はもう生きるに値するリアリティーはなく、韓流の虚構の世界のほうがリアルに感じられている。確かに30歳を過ぎて子供のいない主婦は日本社会から完全に無視されて、韓流と猫だけが生きる理由だった、それに近い時代があった気がする。
今は日本の貧困と社会の異様さは誰の目にも明らかになったので30歳を過ぎて子供のいない主婦だけではなく、すべての日本人がある種のディストピアの虚無を感じて生きているので、2010年代ほど主婦層の間で韓流は盛り上がっていない?でも2010年代の頃から桃子のような社会からも家庭からも疎外されていると感じて生きている女性の叫び声は上がり始めていた気がする。
これも映画ではカットされていたが、桃子の義父の母親(夫の真守のおばあさん)がその当時で言うお妾さんだったらしく、桃子の住んでいるあの家にその女性も閉じ込められるように住んでいて、当時も近所で放火事件があって、桃子は犯人はその夫のおばあさんだったのではないかと疑っている。
桃子はその女性と自分を重ねている、だからチェーンソーで床を切り刻むのは、自分と同じように居場所のないような鬱屈した想いで生きていた夫のおばあさんの魂を開放するという意味もあったと思う。ここは映画では伝わりにくいと思う。単純にチェーンソーはそういう不遇の女性の悲鳴の隠喩なのかもしれないけれど。
〇誰が桃子に優しい言葉をかけてくれるのか
これも映画ではカットされているが小説では桃子は真守と不倫をして真守の前妻から略奪した形で真守と結婚している。桃子は夫の不倫相手の女性にも過去の自分を重ねている、結構複雑な設定。だから桃子は精神的におかしくなっていない、映画の中の台詞で言っているように、おかしな振りをしないと誰からも気にしてもらえないから、透明人間のような存在から抜け出すために苦闘している。
だから桃子がもうダメだと思った時に韓国人留学生がありがとうと言う、韓流という推しだけが桃子を救ってくれる、桃子に手を差し伸べてくれるのは、韓流というフィクションだけ、現実の日本社会は自己責任という言葉で桃子のような真面目に生きている女性を簡単に切り捨てるという皮肉だと思う。実際2016年ぐらいに「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題になって、子供がいる主婦にも冷たい現実が忍び寄り始めて、だから「愛に乱暴」はあの時代の主婦が感じ取った嫌な時代の始まりをリアルに描いた物語のような気がする。