映画レビュー「異端の純愛」 誠実な恋愛映画
この映画は三話で構成されていて、一話と二話は男性の女性に対する妄想めいたでも正直な欲望が描かれている気がする。
一話の主人公の男性は欲望を感じている女性の背後に、いつしか不気味な男性の幻覚を見るようになる。
主人公はイケメンではないが、幻覚の男性は女性が嫌悪するような怪物的な外見をしている、なのに主人公が片思いをしている女性はその幻覚の男性に気を許しているように主人公には見えていて、次第に女性に嫌悪が入り混じったような歪んだ欲望を抱くようになる。
この勝手に女性に欲望を感じて、でもその女性が自分のようなフェチ趣味のある男性のものになるのは嫌という、主人公の男性の心理はすごくリアリティがあると思う。
あの幻覚の男性は主人公自身の願望で自己否定でもあって、だけど自分の好きな女性はフェチな男性を嫌いで良いという矛盾?
二話の主人公の男子高校生の片腕の女性への欲望はよくわからない、どちらかというと姉への欲望を認めたくない主人公が生み出した幻覚のような気もする。
二話のクライマックスは姉が誘拐されて主人公は助けに行く、そこで姉が犯人にナイフでお尻を傷つけられる姿を見て…、主人公は姉にサディスティックな欲望を感じていて、片腕の女性は主人公のその欲望を肯定するための存在、主人公が姉に求めているのは世間的には許されないことだから片腕の女性というイメージが必要ということなのだろうか。
三話はこの感覚がわかるという人は結構いるのかもしれない。自分が恋をしている女性が食事をして排泄するという事実にどこか違和感を覚える感覚。女性も生きているので排泄して当然なのだが、男性の中にはそれが強迫観念にまでなる場合もある気がする。そしてその強迫観念を克服しようとして谷崎潤一郎の「春琴抄」のような世界にまで到達する。
三話の最後の方は異端の極致なのだろうけれど、普通の人たちも視覚とか話術で相手を好きになる、それもフェティッシュといえばそう言える気もする。髪型を変えた相手を見て恍惚感を覚えるとか、好きな相手と話をして欲望が満たされるとか、そういう普通の行為にも異様な欲望はあると思う。