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映画感想文「違国日記」 話と文章では違う印象がする

叔母と姪というより
大嫌いだった姉が、夫と共に突然交通事故で亡くなり、ひとり残された姉夫婦の娘の朝(15歳)を叔母に当たる小説家の高代槙生35歳(新垣結衣)が引き取ることにする。

交通事故で本人が事故死をして異世界に転生するという物語は日本のエンタメで山のように量産されていて、でも現実ではこの映画のように本人ではなく、自分の両親や友人、恋人が突然事故死をしたり病死をして自分の現実の世界が激変する。

世の中で何か理解が出来ない事件が起きると、原因は犯人が現実と虚構の区別がつかなくなったからみたいなことを言う人がいる、でも実際に自分の世界から小説や映画のストーリーみたいに大切な人が不条理に突然いなくなることはあるので、現実の世界と虚構の物語にそれほど違いはない気がする。

この映画の自分自身は一秒前と何も変わっていないのに、自分のいる環境だけが突然入れ替わるように違う世界になってしまう、両親の事故後の朝の心理状態の描写はすごくリアルに感じた。だからこそ朝を引き取るのは小説家の高代槙生でなければならないのかもしれない。

突然両親を失って15歳の少女がこれから一人で生きていかなければならないという設定は、本当に小説の主人公のような展開だから。映画は見た人によって受け止め方が違うので、個人の勝手な感想になると思う、槙生と朝の出会いは小説家が小説のヒロインと現実で出会ったような感じもした。

槙生が朝と会ってすぐに朝の母親(実の姉)を酷く嫌っていたことを告白する場面の印象が強いからそう感じたのかもしれない。現実でもフィクションでも普通はそういうことは言わない。ここは小説家の槙生がまだ朝のことを現実に存在している人間というより、小説家の視点で朝と接している印象を受ける。

実際、映画の中盤までは、槙生は朝が自分にとってどんな存在なのかわからず、混乱しているような描写が続く。今まで接点のなかった叔母と姪が相手の本心を探り合っているという描写なのかもしれない、でも槙生は子供のころから姉に「現実を見ろ、虚構の世界に閉じこもるな」みたいなことを言われ続けたから嫌いになったと説明しているので、槙生にとって朝は嫌いな姉が遣わした現実という贈りものに感じたのかもしれない。

槙生にとっては現実をリアルに生きている女子高生との生活は今までにない人生経験のはずで、小説一筋の槙生には違う世界に来たみたいに感じられたはず。では朝にとって槙生はどんな存在なのか、自分の母親を理由も言わずに完全否定する、突然現れた今まで会ったことのない少し変わった大人の女性ということになるのかもしれない。

この朝の普通に生きていたら接点を持つことはなかっただろう槙生への心理描写が違国日記なのだと思う。朝のこの少し恥ずかしいような共感できるような心理がこの映画の魅力だと思う。

小説家の槙生と女子高生の朝を結びつけるのが、実は死んでこの世にいない槙生の姉で朝の母親の日記という、槙生は姉の言葉で姉が嫌いになり、姉の日記の縁で自分以外に大切な人を見つけるという。
槙生が姉を嫌いなままでいたいと感じているのは、姉の現実的過ぎる言葉が原因なのだろうか、でも姉が日記を書くような人だと知って違う世界観が生まれたのだろうか。槙生が朝に日記を書くように勧めたので、本当は姉の中にも小説的な想像的な言葉があることを知って、朝のことも理解したくなったのだろうか。

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