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漢詩自作自解⑤「度日本海」

 武漢で出会った友人の一人に譚陽たんよう(仮名)君という学生がいました。
 哲学科修士の学生です。
 高校時代はかなり優秀な学生で、学校を代表するほどの成績でした。
 ところが、高考ガオカオ(中国の全国統一大学入試)で思うような得点が取れなかったのでしょうか。
 大学入学時、ご両親は息子が哲学科に入ったことが不満で、一浪してもっと違う学科に入ったらどうかと勧めました。
 しかし、譚君は「一浪するぐらいなら、川に飛び込む」と言って拒否、両親を納得させたそうです(以上、彼の友人から聞いた話です)。

 ご存知の方も多いでしょうが、中国の受験の厳しさは日本の比ではありません。
 高校3年生ともなると、早朝6時から深夜10時頃まで、全員毎日ひたすら勉強させられるのが普通です。
 体育の授業もあるのですが、ある学生は「3年間、ただひたすら走るだけだった」と言っていました。
 日本人の私からすれば「灰色の高校生活」という感じですが、彼らも同じように感じているようです。
 譚君も勉強塗れの生活に、ほとほと嫌気がさしていたのでしょう。
 その反動か、大学院生の彼はゲームやアニメに没頭していました。

 彼の実家に2度泊めてもらったことがあります。
 2018年7月と、2019年9月のことです。
 いずれも彼の友人数人と、咸寧かんねいにある譚君の実家を訪れました。
 咸寧市は武漢の南にある、人口約300万の都市です。
 開発の波はこの町にも押し寄せており、あちこちに高層マンションが建てられていましたが、譚君いわく、ほとんど売れていない、とのことでした。
 彼の家は高鉄(中国の新幹線)の咸寧北駅の近くにあります。
 3階建ての立派なお家で、まだ新築であるように見えました。

咸寧の街
咸寧北駅。一度目に訪れたとき、周囲にはこれといったものは何もありませんでした。一年後、訪れた時、駅前にいくつもの巨大な建物の建設が始まっていました。経済成長する中国を目の当たりにしたような気がしました。経営者である私の知人(日本人)がその頃、言っていたのですが、「日本のバブルは5年ほど続いた。人口規模が日本の10倍ある中国はバブルが50年続くという意見もある」と語っていました。彼はもちろんこの考え方を肯定していたわけではないし、今となっては中国のバブル崩壊は誰の目にも明らかですが、当時は中国の経済がアメリカを凌駕するという見方を信じる人も少なくありませんでした。私も“躍動”する中国に驚かされるばかりでした。

 最初に訪れた際、到着がちょっと遅れて、夜の8時ごろになったのですが、譚君のご両親は私たちの訪問をとても喜んでくれました。
 譚君はご両親が高齢になってから生まれた一人息子で、私たちが訪問した時、お母さまは60代後半、お父さまはもう70を超えておられました。
 お母さまはとても料理が上手で、私たちのためにお一人で幾種類ものご馳走を作ってくれました。
 それがすべておいしかったのです。
 中国にありがちな辛い味付けではなく、穏やかな味であったのも日本人の私の口に合ったのでしょう。

二日目の夜に出された譚君のお母さまの手料理。一日目の夜の料理はもっと豪勢でした。どうやって作ったのだろうというような、手の込んだ料理もありました。写真を撮らなかったことがつくづく悔やまれます。

 私はお父さまの隣に座って、いろいろな話を聞かせてもらいました。
 生まれは屈原で有名な汨羅べきらであり、ドラゴンボート(竜舟)が盛んであること、大躍進政策のころは食べ物がなくて、近所でも餓死した人がいたこと、譚君が子供の頃の話などです。

 お父さま自身の子供の頃の逸話として、こんな話もしてくれました。

――5歳の頃の話。
 親に言われて、ちょっと離れたところにある家にお使いに行った。
 帰りに、水のようなものが入った瓶を持たされた。
 夏だったのでともかく暑く、喉が渇いて仕方がなかった。
 そこで、瓶の中の“水”を一気に飲み干した。
 ところが、それは水ではなく、白酒バイジウだった。
 自分はそのことを知らず飲み干し、その後眠くなって、そのまま道で寝てしまった。
 子どもがいつまでも帰って来ないので、心配した親が探しに来て、道端に寝ているのを発見、連れ帰ってくれた。――

 中国の白酒は、アルコール度が40度以上あります。
 大人でもなかなか飲めるものではありません。
 5歳の子が瓶に入っていた白酒を一気に飲み干したというのですから、命に関わるような話です。
 よほどお酒に強い体質だったのでしょう。
 70を超えてからは、健康も考えてお酒は控えるようになったとのことでしたが、それでもその日は息子の友人が大勢集まったのが嬉しかったらしく、ずいぶん飲んでおられました。

 ちなみに、私はというと、初めは白酒を受け付けませんでした。
 しかし、付き合いもあり、ちょっと飲む練習をしました。
 それで、日本の焼酎のように、お湯で割って飲んでみました。
 その話をすると、周りの中国人たちには笑われましたが。
 そのうち、だんだん飲めるようになってきて、ついには「酒豪」と呼ばれるほどになりました。
 ……愚かな自慢話で、申し訳ありません。
 ただ、強い酒のために咽喉をやられてしまったらしく、声がかすれるようになりました。
 それで、日本にいる今はもちろん飲んでいませんし、今後中国に渡ったとしても、白酒はできるだけ飲まないようにしようと思っています。

武漢で友人たちと愛飲した「白雲辺」。すっきりした味で、おいしい割には比較的安価な白酒でした。名前が「白雲辺」というのもお気に入りだった理由の一つです。酒の名は李白の詩「洞庭湖に遊ぶ(其の二)」にある詩句から採られています。ただ「中国あるある」ですが、ニセモノも多かったです。一度、二つの店から白雲辺を買ってきて、友人たちと飲み比べしたことがあります。値段は同一でした。どちらで買ったのかわからなくして、それぞれの白雲辺を飲んでみましたが、一方は雑味があって、明らかに不味く感じました。ただし、これは飲み比べをしたからこそわかったことで、一本だけを飲んでいたらたぶん気が付かなかったでしょう。

 さて、譚君ですが、大学院卒業後、日本に渡ると言い出しました。
 日本に渡って日本語の勉強をし、そのまま日本で仕事を見つけるというのです。
 とある業者が、すべて斡旋してくれるとのことです。
 周りの友人たちは、みな止めました。
 その頃はまだ中国の経済も好調でした。
 しかし、友人たちが反対したのは、譚君はきっと悪徳業者に騙されていると思ったからでした。
 実際、中国人が中国人を騙すという話が海外でもよくありました(今もあります)。
 ですが、なんせ「川へ飛び込んででも、浪人だけは嫌だ」といって、自分の意志を貫いた譚君です。
 皆に反対されても、頑として意志を曲げません。
 友人たちは私にも意見を求めました。
 私は、基本的に若者は自分のしたいことを好きにやればいいという考えですので、あまり気乗りはしなかったのですが、怪しい話ではあるので、一応それらしい忠告をしてみました。
 案の定、彼の考えを翻すことはできませんでした。

 なお、彼は独学で日本語能力試験1級に合格しています。
 やはり、勉強は得意なのでしょう。
 ただ、当時、日本語会話はほとんどできませんでした。
 会話の能力とペーパーテストの能力とは別だったのでしょう。


 いよいよ明日、日本に渡るという日になって、私は譚君に祝福のメールを送りました(2019年9月25日)。
 先日、譚君の家でご馳走になったことへのお礼を述べるとともに、彼の日本での成功を祈りました。
 その時に付したのが、「度日本海」の詩です。
 例によって、賈島の「度桑乾」のパロディです。


 度日本海
  日本海にほんかいわた
客舎武漢已八霜
 武漢ぶかん客舎かくしゃして すで八霜はっそう
宿心日夜憶扶桑
 宿心しゅくしん日夜にちや 扶桑ふそうおも
堅定東渡日本海
 堅定けんてい ひがしのかた日本海にほんかいわた
凱旋咸寧是鳳凰
 咸寧かんねい凱旋がいせんすれば 鳳凰ほうおう

〈口語訳〉
 日本海を渡る
譚君、君は武漢に仮住まいして、もう8年が過ぎた。
その間、かねてからの念願でもある日本渡航を日夜思い続けていたね。
その固い決意の甲斐あって、今回、東に向かい、日本海を渡ることになった。
日本で功を立て、故郷咸寧に凱旋できれば、君は鳳凰である。

〈語釈〉
〇客舎…旅先で投宿する。仮に住まう。
〇霜…年。星霜。「霜」は毎年降るところから、年月の経過を言うようになった。
〇宿心…かねてからの希望。宿願。
〇扶桑…日本のこと。元は、古代中国で太陽の昇る東海の中にある神木、またはその木のある地のことを言った。
〇堅定…動揺しないさま。立場がぶれないさま。
〇咸寧…湖北省南東のある町の名。譚君の故郷。原詩にある「咸陽」と1文字が同じ。
〇鳳凰…中国神話に登場する霊鳥。五色に輝く鳥の王。

〈押韻〉
霜・桑・凰
下平声・七陽

〈参考〉
 度桑乾   賈島
  桑乾を度る
客舎并州已十霜
 并州に客舎して 已に十霜
歸心日夜憶咸陽
 帰心 日夜 咸陽を憶う
無端更渡桑乾水
 端無くも更に渡る 桑乾の水
却望并州是故郷
 却って并州を望めば 是れ故郷

 ※ サムネイルは桑乾河の写真です。


 譚君からは次のような返事が来ました。
 日本語の変なところもありますが、だいたい次のような内容でした。

――この前のこと、ごちそうなんて言えないよ。
 わたしこそ、いつもお世話になっておりました。
 貴方と出会ってから2年間、本当に楽しかった。
 こんな何の取り柄もないわたしをずうっと励ましてくれて、ありがとう。

 こんな素晴らしい漢詩を作り出す、本当にびっくりしました。
 わたしのためなんて、まことに恐縮です。
 いずれ書道を勉強し、この詩を書き出して、大切にします。
 わたしは詩才がないので、雅な言葉で返すのは無理です。
 ごめんなさい。
 でもこれからどんどん研鑽して、何時か詩で交流しましょう。――


 賈島を真似ただけの詩にこんなにも感激してもらうことができ、私も感激しました。

 彼は今も日本で頑張っています。
 現在の中国の政治的、経済的状況を見れば、譚君は先見の明があったと言えるのではないでしょうか。

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