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ゼロ戦「無敵神話」の光と影③ 今も生きる先の大戦の教訓
1 情報戦を蔑視した海軍
後に、「アクタン・ゼロ」と呼ばれる、米軍がろ獲したゼロ戦は、17年6月4日ミッドウェー(以下「MI」と略す。)作戦と同時平行で行われた米領アリュー シャン列島の攻略作戦に伴い、停泊中の艦船、港湾施設(ダッチハーバー)を攻撃した際、地上からの機銃掃射により被弾し、アクタン島に不時着した未帰還機(21型)であった。ゼロ戦の不時着という何でもない出来事が、後に制空権を米軍に明け渡すきっかけの一つとなったともされ、元海軍中佐の奥宮正武氏は(戦後航空自衛隊に入隊、第3航空団司令等歴任)は、アクタン・ゼロのろ獲は「(日本にとって)MI海戦の敗北に劣らないほど深刻」であり、「最終的な降伏を早めることに多大な影響を及ぼした」と述べたが、実際は、これ以前にもゼロ戦のろ獲機は複数存在しており、パイロット証言や残骸物等の調査で、ゼロ戦の実像は丸裸にされつつあり、実際はこうした情報活動の象徴的存在に過ぎなかった(※1)。
やや話は逸れたが、 僚機搭乗員2名は、不時着したゼロ戦が仰向けにひっくり返った状況を上空から見ていた。 現場上空を4~5分間旋回し、事故機搭乗員が機体から這い出してくるのを願い見つめていたが、姿は現れなかった。このうち一人は、『零戦燃ゆ』の著者である 柳田邦男 氏の取材に対し、「ここは、敵地内だ。彼が既に死んでいるのなら、この 零戦は、自分たちが破壊しなければならない、機銃弾はまだ十分に残っている。しかし、撃つなんて、とんでもない」と迷ううちに、残燃料が少ないことに気づき、もう1機の搭乗員が合図をしたので、後ろ髪を引かれる思いで引き返したと切実に語った。
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