どうするのがいいのだろうか?
友人の話
大学4年生のとき苦労して内定をとった会社に勤めていた友人がコロナの影響で解雇された。
おそらく友人に限らずもこういった境遇に置かれた人は少なくないのだと思う。
なんとも理不尽な世界だと思う。
悪者はどこにいるのか?
言ってしまえば自然災害には悪者はいない。(誰のせいでもない。)
まだコロナをばらまいた明らかな絶対的悪人がいて、それを攻めて攻撃する方が精神衛生上よかったのかもしれない。
でもそんなものはない。
悪者は自分か?
どこにも責める要素がなくなると、
「なぜこんな目に合うのだろう?」
「就活しているときに、もっと大企業に努めていれば大丈夫だったのかもしれない。」
「なぜもっと早く対策して安定しているところに挑戦しなかったのか?」
「公務員も受けておけばよかったかもしれない。」
などと自分を責める対象にする。悪者は自分だったのだ。
錯覚
「自分が頑張らなかったせいで、今こんな大変な目にあっている」と思ったことは誰でも経験したことはあるのではないだろうか。
そのとおりの時もあるかもしれないが、今回の場合は下記。
自分が頑張っていなかったから、(原因)
解雇されてしまった。(結果)
今回の件に限ってはこの原因と結果はめちゃめちゃだ。間違いなく錯覚だ。
解雇された原因は、たまたまコロナが広まりたまたまコロナの影響を受けやすい会社に内定しておりと色んな要因が複雑に絡まりあっていただけである。
しかし突然のネガティブなライフイベントに対してはよくこんな錯覚に騙されるときがある。
この錯覚の最も悪い点は、たとえ頭で錯覚と理解していても錯覚にとらわれているところだと思う。
強い人を目撃する
最近テレビを見ているとコロナで経営が苦しいときに、なんとか色んなことを試して現状維持しようとしている力強く生き生きとした素晴らしい経営者の方のインタビューなどを見る。
こういうところを見ると、
「よし、挫けずに新しい職を探そう」
と勇気づけられるかもしれない。こうなったらまた頑張れそうだ。
しかし一方で、「苦しいとき、なんとかしようとしている人がいるなか頑張れない自分はダメな人なのではないか」
とさらに錯覚を強めていくこともあるかもしれない。
後者の場合はどうしたらいいのだろうか。
私の場合
私はとことん錯覚にとらわれに行くと思う。あくまで個人的な話だけれども、積極的に意図的に自分を責めよう責めようと努力していると、なぜか反動で「いやいやいや、まてまて、俺はそんなにダメじゃなくないか」と心のほんとに住の方で、小さな声が聞こえるような気がする。※ちなみにこれを僕はレジスタンスと呼んでいる。笑
この部分を見つけたら、よく観察してみる。そして徐々に広げていくイメージ。レジスタンスの勢力を拡大し、支配者をくじく。
こんなことをしているうちにいつの間にか、元気になって活動し始めているときがある。
あまりおすすめはできないけれど、なんだな苦しい思いから抜け出せなくなったとき、意図的に自分に向かって「お前はダメなやつだ、お前はダメなやつだ、お前はダメなやつだ」と言ってみるのもいいかもしれない。
続けているとなぜか「いやそんなダメなやつじゃねぇから!!」と反対の心が顔を出すことがあるかもしれない。レジスタンスの登場である。
人間ってのは、見るなと言われると見たくなるし、考えるなと言われたら考えてしまうし、反対のことをしたくなる。
自分を責めないでって言われると責めてしまうので、めちゃめちゃ自分を責めなさいとか言われると、意外と責めない。
友人の場合
私は友人に何もしてあげられない。私流の解決を提案してもいいかもしれないが、友人に適応した方法であるかはわからない。
現段階では険しい表情で彼の話を聞くだけしかできない。下手に頑張れとも言えない。友人は既に頑張っていたから。
友人はどんな今体験をしているのか。
そして僕は何をするのがベストなんだろうか。
人に寄り添うとはどういうことなのか?
まとめ
まとまらないnote
参考
自身の体験