瞑想・坐禅などの悩み。
瞑想・坐禅をしていると以下の悩みをよく聞きます。
「坐禅中(瞑想中)は色んな考えが浮かんできて、さまよってばかり。うまく心を静めることができない。」
めちゃめちゃわかりますし、瞑想を始めたてのころはほぼ全ての人が思うことではないでしょうか?
しかし、
私が最近読んだマインドフルネス系書籍のなかでは、瞑想・坐禅・マインドフルネス等において最も重要なのは、「思考、感情にとらわれていること、雑念を追ってしまっていることに『気づく』こと」です。
「なぜ今、仏教なのか?」という本のなかには、生徒(この本の著者)と瞑想指導者のこんな会話が書かれています。
「どうしても他のことを考えてしまい、呼吸に集中できない」
「なるほど、意識がさまよってばかりいることに気づいているのですね。」
「はい。」
「いいことです。」
「意識がさまよってばかりいることがですか?」
「いいえ。意識がさまよってばかりいることにあなたが気づいていることがいいのです。」
「でも、それがなんというか、しょっちゅう起こるんです。」
「それはもっといい。何度も気づけているということです。」
つまり
めちゃめちゃ雑念まみれでもいいわけです。それに気づくことができるのであれば。
以前、参加した禅講座にて、講師の先生も「坐禅をすると落ち着くばかりか、はじめたばかりの頃は逆にいろいろ気になってしまうこともあるんです。」とおっしゃっていました。
瞑想・坐禅・マインドフルネスを始めようと思っている人(私もですが)の多くは、それがもたらす大きな効果に目が向き、うまくできているのか不安になることがあると思いますが、とても自然なことであるのであまり心配しなくて良さそうです。
というか「今、瞑想がしっかりできているか不安に感じているようだ。このやり方であっているのか心配している。」あるいは「何度も意識がそれてしまっていて、そのことで本当にしっかり瞑想できているのか心配だし、イライラもしている。」と見つめることができます。どんな感情、考えも瞑想に利用できるわけです。
めげずに「気づく」ことを繰り返していくと、いずれ平穏なこころが手にはいるのでしょうかね。
結論
そういえば、手動瞑想というのがあるらしいですね。YouTubeで少し動画をみたら、マインドフルネス瞑想とかは呼吸に注意を向けますが、手の動きに注意を向けるという瞑想らしい。気になりますね~。手動瞑想を言葉で説明するのは難解極まりないのでYouTubeのリンクを貼っときます。
参考
ロバート・ライト(2018) 「なぜ今、仏教なのか?」早川書房 など
※ロバート・ライトさんは研究者ではなく科学ジャーナリストなので、論文や専門書よりもだいぶ読みやすく、専門家目線ではなく一般目線な感じもして読みやすいです。つまり読みやすいです。読みやすいっていっぱいいいました。
https://youtu.be/gcBeC6Qdg9k 手動瞑想の動画のリンク