祖母の死を経て
※ この話題は死にまつわるものです。強い表現や詳しい描写があるため不快に感じたり読むことが難しいと感じたら、無理はせずすぐに読むことをやめてください。
人間はなぜ生きるのか。
ふとした瞬間に、死を思うことがある。
簡単に、唐突に無性に死を願うことがある。
作業と作業の合間、気の抜けた瞬間にやってくる。
なんでこんなに頑張ってるのだろう。
生きるために働き、ご飯を食べて寝る。
やることなすこと、エゴでしかない。
生きているだけでゴミを出す。
そんなゴミを生み出し続けるだけの人生。
生きる意味、ある?
1.
祖母はわたしが大学生の頃に大腸ガンだと診断を受けた。ほどなくして実家の一階でやっていた小さな八百屋も閉じた。
抗がん剤治療で薄くなる毛を気にして帽子ばかりの日々。ふくよかな体型も少し痩せてしてしまった。
そんな頃、ひとり離れて暮らすわたしはいつも考えていた。
ばあちゃん、病気になる前は早く死にたい、スッと死にたいと言ってたのに病気になったらなったで絶対治すって。へんなの。
しんどい思いして、周りにも迷惑かけてただ生きる、生き延びるために病院へ行き、薬をもらいご飯を食べて寝るだけ。
それならいっそ死んだ方が楽なんじゃないか。
2.
わたしはまめに電話する方ではなかった。
バイトを始めた。
今月はお金が足りないから振り込んで欲しい。
夏季休暇は実家に帰るかわからない。
用がある時だけの連絡。
電話をすると、今日は何の用件かと毎回聞かれた。
「用がなくても電話していいじゃん。話したいんだから。」
そうやって電話をかけ始めたのはコロナが始まってからだった。
電話をかけるといつも体調を心配された。
「楓も元気でやんなさいよ、アタシも頑張るからね」鹿児島弁の訛りが心地いい。電話を切る前は毎回この言葉で締めくくられた。
3.
祖母が癌になってから、約8年。
入退院を繰り返しながらも、途中カーブスに行き始めたり、家事は全部やってのけたり、ほとんど治ったのかと思う時期もあったが2022年7月に体調を崩してからはあっという間だった。
癌は至る所に転移していた。手術も耐えられないほど弱っていた。病院での入院治療ではなく、自宅でのケアに移った。
そろそろだからと連絡を受け実家に戻った。
久々に見る祖母は骸骨のように痩せていた。抱きしめると、ゴツゴツと背骨が当たる。ふんわり腐ったようなツンと甘い匂いがする。
ホラー小説ややミステリー小説で度々出てくる饐えた匂いってこれなのかなと思った。
祖母の食べる量が減り、背中一面に帯状疱疹が出来て皮膚が溶けていた。ゾウのように腫れ上がった足の皮膚から浸出液が染み出して、ペットシーツを足に巻いていた。固定の包帯を巻いてやったり、トイレに行く手伝いをしてやった。
動く余力はなさそうなのに気合いを込め自力でトイレに行こうとしていた。
「元気になったらまた店をやりたい。頑張るからね」
電話の時と同じトーンで祖母は言った。
十分頑張ってるからね、ありがとうね。
そう声をかけながらながらベッドで横たわる祖母の頭を洗い、濡れたタオルで体を拭いた。介護の仕方は訪問看護の人たちが優しく教えてくれた。
4.
眠るのが怖いのか、四六時中体を起こし座っていた。この頃になると朦朧とし始め分単位で寝て起きてを繰り返した。わたしのことを幼い頃のように「かえでちゃん」と呼び始めた。夜に電気を消すことも、テレビを消すことも許さなかった。朝も夜も無かった。
少しでも休んでもらいたくてベッドを平らにする。大丈夫だよ、と手を握って子供を寝かしつけるみたいに撫でてやった。うとうとしている。
気付いたらわたしが寝ていて、呂律の回らない声で身体を起こせと指示してきた。引っ張り上げろと強く手を掴んできた。
生きる意思がある人は、こんなにも力が強いのかと、こんなにも力が出せるのかと思い知った。
次の日の朝は晴れていてとても清々しく、気晴らしに近所を散歩した。船着場で少し休み、桜島を眺めていたら空も海もとても綺麗で、ふと「今日なのだな」と納得した。急いで帰った。
水も飲めなくなっていた。口の中を掃除してやり、湿らせたハンカチで口を濡らしてやった。家族を呼んで、すぐそばで寝ていた祖父を起こし手を握らせた。
最期に祖母はすぅと息を吸った。
5.
死の間際、祖母は色んなことを許し始めた。
嫌がっていた紙パンツを履いた。
弱っている姿を見せたがらなかったのに、祖母の友人が訪問することを喜んだ。
お気に入りの店のクリームコロッケを無邪気に食べた。
コーヒーを買ってこいとせがんだ。
わたしが寝ていると起こし、自分は寝た。
少女のようだった。
語らず空気で察せよ、と言う雰囲気を纏っていた祖母の面影は全くなく、素直に自分の気持ちを露わにした。
こんな姿が見れるとは思わなかった。驚くことばかりだった。
介護は悲しくキツく辛く、ときどき楽しかった。
自分の感情が目まぐるしく変わった。たくさんの人に自分も支えられた。
生きるているだけで人に影響を与える。
たった一週間。祖母の近くで過ごし、たくさんの学びを得た。考えた。家族のこと、人生のこと。介護や世話の大変さ。生きることへの執念。
祖母の死を経て、ただ「在る」だけで良いのだと、気付いた。
そこに在る、居る。存在するだけで周りに影響を及ぼす。どんな影響かなんてどうでもいい。
生きる意味など考えなくていい。
存在証明など必要ない。
気付かぬうちに誰かを支え、支えられている。
生きているだけで、誰かに何かを考えさせたり影響を与えたりする。勝手に形を作っていく。
無理に与えようと思わなくても。
だから生きる理由は必要ない。
ただ在るだけで。そこに居るだけでいいのだと。